かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

スケッチ・武蔵関公園

2010年01月28日 | スケッチ、油絵、写真

武蔵関公園冬の武蔵関公園(西東京市)ーボートも陸に揚げられている

武蔵関公園ー富士見池

王子駅ちかくの音無橋のスケッチを描いた時に、
その橋のかかる石神井川の上流の武蔵関公園を思い出した。

実は王子に下宿する前は武蔵関公園にちかい早大学生寮に住んでいた。
そんな縁で学生時代によく遊んだこの公園にスケッチに出かけた。

桜の時期の公園が一番たのしいが、冬の木々を映す今の湖面も悪くない。
昔は西武線の電車がもっとよく見えた。




スケッチした富士見池には50年前も貧弱なボート乗り場はあった。
しかし、公園はこんなに整備されておらず、この写真にある”芦の島”
周辺は単なる芦の茂る沼だった。
公園の先の石神井川は遊歩道の工事中だった。
さらに散策によい環境になりそうだ。

 

下野谷遺跡公園ーまもなく武蔵関公園から遊歩道がつながる。

スケッチを終え、青梅街道方面へ坂を登り、昔の学生寮を探した。
当時の学生寮は旧中島飛行機の寮だったので、とっくに新しい建物になっていた。
その近くにアルバイトをした東鳩製菓の工場があったはずと探していたら
遺跡公園になっていた。
この縄文時代の下野谷遺跡公園は2年前に開園したらしい。
大学の寮やテニス場のある地下にも遺跡があるらしといったことを初めて知った。
50年前の面影が残っていたのは学生寮や大学のグランドではなく
この公園と周りの農地だった。

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スケッチ・都電三ノ輪橋

2010年01月23日 | スケッチ、油絵、写真

 このスケッチは昨年の秋のものだが、最近仕上げた。
 都電荒川線の終点、三ノ輪橋駅はバラがきれいだった。 
時間がたりなく、彩色はあとにして携帯でパチリ。 
その写真は写りが悪く、彩色には自信がない。 
これが昨秋から続けた都電沿線シリーズの最後。 

 寒いので、今後しばらくは自宅の近くのスケッチにする。

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スケッチ 音無橋ー王子・音無親水公園

2010年01月15日 | スケッチ、油絵、写真

音無親水公園からの音無橋

都電沿線のスケッチの会で王子・飛鳥山公園からみた都電の絵を描いた。
(このブログ、09年10月17日掲載)
そのすぐ先、王子駅ちかくに音無親水公園がある。
王子・滝野川には50年まえ学生時代に下宿していたので懐かしい。
そこで2か月後に再訪問、周辺を散策、橋下でスケッチをした。


小平市の東端・小金井カントリー周辺から始まる石神井川はここでは音無川。
そこにかかる音無橋は昭和5年建設のアーチ橋。
お茶の水の聖橋に似ている。

古くは広重の名所江戸百景に「音無川堰堤」と「不動の瀧」が描かれている。
王子七瀧があり、飛鳥山とあわせ江戸の名所だった。
50年前は荒れ果てており、散策路なども不備だったが、今は親水公園の上流に
さくら公園、もみじ公園など整備されていた。
が、周辺のマンションなどビルに囲まれ江戸名所の面影はない。
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スケッチ都電・大塚ー向原

2010年01月11日 | スケッチ、油絵、写真

昨秋の土曜スケッチの会は毎回JR大塚駅に集合。
都電大塚駅から荒川線に乗って、沿線のあちこちをスケッチした。
この絵はJR大塚駅から歩いてすぐの坂道で向原方面を見たもの。
もう少し先に行くと池袋サンシャインビル群が見える。
寒かったので彩色仕上げは帰宅してからになった。

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遅ればせながら謹賀新年

2010年01月07日 | スケッチ、油絵、写真
   今年も趣味のスケッチを続けるつもりです。
   時どきこのブログを覗いて頂ければ幸いです。


   年末年始は故郷・佐渡に帰省し、介護付老人ホームから一時帰宅の母と一緒に過ごした。 
   今回はスケッチでなくその時のこと。

    母が3か月の予定で入所した老人ホームはかって金山で栄えた相川の海岸沿いにあった。
    外は”暴風雪”で海には高波が押し寄せていた。しかし、中は暖かく、母たち入所者の様子も明るくホットした。(写真)
    母は今年102歳。昨年亡くなった小林多喜二の恋人だった田口タキさんと同年。
    一緒に施設に迎えに行った母の孫(といっても立派な大人)は「娘時代が蟹工船の時代か!」と感嘆する。
    母は娘時代に北海道古平町の親戚にニシン漁のシーズンにはその手伝いに行き「バケツで浜に転がっているニシンを
    拾い集める仕事した」とかって話していた。
    そのころは多喜二が小樽の銀行員だったのかもしれない。
    しかし、もう息子の私の名前も定かでなく、そのことを確認するような対話はむりだった。
    1年前、このブログに母が娘時代に務めたというNHKの前身・東京放送局(JOAK)のあった港区の愛宕山のスケッチを載せた(08年11月)。       
    その絵をもとに東京時代の話も再度聞きたかったが無理だった。
    しかし、機嫌がいいと昔話を一方的にする。
    アルバムを見ながら20年位まえの写真を指して「私の葬式の時はこの写真がいい」という。
    母は80歳の時に弟が滞在しているドイツ・ジュッセルドルフに一人旅をした。
    飛行機も海外も初めてだったが、そんな勇気のある明治女で、その時のアルバムをみるのが楽しそうだった。
    正月はさらに100歳近い年齢差のひ孫にも会いご機嫌だった。
    しかし、食事もトイレも一人では無理なので、短い正月を自宅で過ごし、施設に戻ってもらった。 
    そのために介護タクシーに同乗しながら、無口になった母をみているとどうしてもかっての”姥捨て山”の物語が想起され
    辛かった。
    この日も佐渡はときどき吹雪の荒れ模様だったが、老人ホームにつくと馴染みになったヘルパーさんたちに迎えられ、
    嬉しいことにお互い笑顔で別れることができた。
    この施設は公的な特養ホームではなくお金もかかるが、それ以上に部屋がなかなか空かなく長期入所の契約に
    なっていないのが問題。
    

     この正月は母と一緒に昔を思い出しながら、自分を含めた高齢化社会と貧しい福祉介護の現状を考えさせられた。

     ということでスケッチブックは持って行ったが、佐渡ではスケッチは一枚も描けなかった。
     コタツに一緒に入り、すぐに横になる母を見ながら、もう少し若いころに母をスケッチしておきたかったなどと考えた。

         

      ”佐渡は荒海”老人ホームのあるのは相川町の名勝・七浦海岸の一角。

        

        
   この施設は荒波が寄せる断崖の上にあるが、中は暖かく明るかった。

        


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