かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

スケッチ佐渡島・真野湾ー3

2008年07月28日 | スケッチ、油絵、写真
真野湾ー暑い夏
このころはスケッチという意識はなく、水彩画を仕上げるため汗だくだった。


”めざましテレビ”に出ました

 昨日の日曜日は次男家族と一緒に2人の孫を中心に東京のはずれの都立野山北・六道山公園の里山民家(武蔵村山市)に行った。かって子供たちと何回か行ったところであり、最近、現場でのスケッチを描いて無いので、スケッチの準備をして。ところが暑いのと、2歳の孫とバッタを追っかけたり、小川に入ったりでスケッチは無理でした。
 たまたま、8チャンの"めざましテレビ”の取材ーあとで分かったのは「暑い、金がない、夏の日曜日」がテーマ-につかまり、今朝7時過ぎに、我が家族がほんのちょっと放映されました。我が家から車で30分、入場タダ、茅葺きの民家は涼しく、娘が「田舎に来たようです」と語ったので採用されたようです。

          
狭山丘陵にあるこの里山公園は春と秋がいい。真夏は年寄りにはきつかった。
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スケッチ佐渡島・真野湾ー2

2008年07月27日 | スケッチ、油絵、写真
佐渡・真野湾ー真野漁協の港 

 新潟港からの船は両津湾の両津港に着く。直江津からの船は両津湾の反対側の真野湾に入る前の外港・小木港に着く。かって京の都から送られた流人などは小木や赤泊の小さな港についた。
 この絵をかいた海岸の近くには”承久の乱”で島流しになった順徳上皇が上陸した”恋が浦”がある。順徳上皇の墓地・真野御陵もちかい。今、御陵周辺の観光施設では北朝鮮に拉致された曽我さんのご主人ジョンキンスさんが働いている。曽我さん母子が拉致された海岸は昨日掲載の絵の右方、幼いころの私が戯れていた海岸の近くである。

この湾には何時も時代の波が押し寄せていたが、今は石油の高騰が漁民を苦しめている。
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佐渡・真野湾のスケッチ-1

2008年07月26日 | スケッチ、油絵、写真
 暑い夏が来た。
 小学生のころの自宅と学校は真野湾にちかく、暑い夏はその白い砂浜で波に戯れるのが日課だった。
 この絵は04年の夏、数十年ぶりにその小学校などを訪ねたおり、真野町から小木町方面に向かった丘の上から描いたもの。子供のころ良く遊んだ砂浜はこの絵の右方。現在、母などが住んでいる家は右方の山・金北山の麓なので、海はちょっと遠い。
 今日の真野湾もじりじりと暑い太陽が照りつけているだろう、しかし海の匂いが懐かしい。今年も帰省したら、もう少しましなスケッチを描いてきたいものだ。
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虹遊会絵画展の作品紹介ー最終回

2008年07月20日 | スケッチ、油絵、写真
 

果物ー石田せつさん(パステル)
 虹遊会展の皆さんの作品紹介を終えたつもりで「かしょう」の絵を紹介したが、この作品が漏れていた。虹遊会展でも皆さんの眼を引いた作品なのにーー。でも、最後に紹介出来て良かった。石田さん、ごめんなさい。

 
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虹遊会絵画展での”かしょう”の絵

2008年07月19日 | スケッチ、油絵、写真
奥多摩の秋(秋川)-かしょう(油彩8号)
 かしょうの風景画には奥多摩の多摩川か秋川が流れる里山風景が多い。若いころから奥多摩や秩父方面のハイキングに行っていたこと、子供たちとも多摩川や秋川渓谷には遊びに行き、そのうち2回に一回はスケッチもしていた。この絵もそのころの作品だが、未完で放置されていたものを描き直した。この河原で子供たちと遊んだのは30年もまえのことか?

         
チュリッヒ・リマト河の夕暮れ(油彩)
上記の秋川の絵と同じように、この絵も一度ブログに掲載している。虹遊会展のため少し手を入れ、「夕暮れ」を強調した(現物はこんなに青っぽくない)。
 虹遊会展に出品し、このブログで6月30日に紹介した「茨城・小貝浜の朝」(油彩)は、無事にいばらきコープに贈呈、受け取って頂いた。実はその絵はブログに掲載してみて色合いの悪さに気がつつき、かなり「朝焼け」らしい色を加えた。写真は撮り直していないので紹介できないが、少々の修正は写真ブログでは分かりにくいのが実態。
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虹遊会絵画展の作品紹介ー8

2008年07月14日 | スケッチ、油絵、写真
扇子と団扇ー窪谷さんの作品群
 窪谷さんは我が絵の会では間もなく2年生という新人。「うまいとか下手とかのまえに楽しくが第一」という我が絵の会の趣旨にそって、楽しみながら創作した作品群。絵手紙は労金友の会の講習会の折りの作品第1号である。

           

扇子ー窪谷さん
 扇子は所定の用紙に描いて、扇子の専門店に頼んで仕上げてもらうというシステムで、私も一度試みたがうまくいかなかった。扇子や団扇はこんなふうにできあがると楽しい。次回の絵画展ではみんなが作成し販売しようかという話がでているが、買ってもらえる作品になるか否か?
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虹遊会絵画展の作品紹介ー7

2008年07月13日 | スケッチ、油絵、写真
姉妹ー中井さん(水墨)
 中井さんの水墨は山水ではなく得意の人物が多い。彼女はその技法、画風など、わが絵の会では個性的でユニークな存在である。個性的であることは芸術家の特性のひとつ。平凡な個性で平凡な絵しか描けない「かしょうさん」など、もっと見習うべきだろう。

            
「遊」ー中井さん(水墨)
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虹遊会絵画展の作品紹介6

2008年07月11日 | スケッチ、油絵、写真
暖炉ー藤岡武義さん(パステル)
 藤岡さんは虹遊会の数少ない男性。絵画展など男手の必要な場合やスケッチ旅行などの”アッシーさん”として期待されている。水彩のスケッチも淡色で素敵だが、今回はパステル画を出品した。



         
 竹田(大分)の武家屋敷ー藤岡さん
 作品は10号ほどの大作だが、写真はガラスが反射して上手く撮れていない。
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虹遊会絵画展の出品作紹介ー5

2008年07月09日 | スケッチ、油絵、写真
 上高地ー原田さん(油彩)
 私も秋の上高地をスッケチし、このブロブに掲載した。原田さんのこの絵をみてあのスケッチの風景を油絵にしたいと思ったが、現地に行かないで描く自信はない。秋にもういちど行きたいがー。


 向日葵ー原田さん(パステル)

            

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虹遊会絵画展の作品紹介ー4

2008年07月08日 | スケッチ、油絵、写真
公園でー黒岩さん(油彩)

 黒岩さんはこの会の発足時からのメンバーで、油彩が基本。月1回の新宿での例会で油彩で描くということは、画材の持ち運びが大変。画材を預けたままの場合が多くなるが、となると完成に数か月かかる。
 私はキャンバスなどを持ち帰り、自宅でも描くが、10号以上の大きな絵になると女性の皆さんは大変だ。つい小さい静物画になりがちである。

パンジーー黒岩さん(油彩)
         
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虹遊会絵画展の作品紹介ー3

2008年07月06日 | スケッチ、油絵、写真
赤い衣装ー石田せつさん(パステル)

 前回、横浜・菊名での絵画展のおりには「ブログでの紹介は恥ずかしいから匿名で」という注文だったのでAさん、Bさんで紹介した。が、今回は写真に実名が入っているので、匿名はやめた。絵画展に展示していて「はずかしいから匿名」はないと私の判断。
 我が絵の仲間には石田さんが二人いる。今回はB子さんの作品。


       

 はなやぎー石田せつさん(パステル)
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虹遊会絵画展の作品紹介ー2

2008年07月04日 | スケッチ、油絵、写真
 睡蓮ー石田さん(パステル)


 この会の多くのメンバーは「作品展だよ」というと「そんな所に出す作品はありません」と応え、1か月間まえになって決まらず、搬入の直前に「しょうがないので決めたわ」ということになる。 石田さんもその一人。

果物ー石田さん(パステル)
             
こんな作品を描いていて「作品展に出す絵はない」はないと思いませんか?

<私が勝手な紹介をしていますが、皆さんからコメントがあれば作者に伝えることになっていますので、よろしく。>
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虹遊会・絵画展の作品紹介ー1

2008年07月03日 | スケッチ、油絵、写真
 東京・杉並の大学生協会館で開催されていた虹遊会展は,2日終了した。
生協OBの素人集団の絵画展としては好評だった(鑑賞者が仲間だから当然か?)。その作品を紹介するが、写真がうまく撮れていないので現物はこれ以上とご理解を。

さくらさくらー板倉さん(パステル)



 板倉さんはこの会の中心的存在。作品が数万円で買われているのは彼女くらい。パステル画が得意で、所属するグループは定期的に銀座で作品展を開催しており、彼女の作品も注目されている。

            

さくら咲くー板倉さん(パステル)



調和ー板倉さん(油彩)

           
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6月ー印象に残った言葉

2008年07月01日 | スケッチ、油絵、写真
 今年も半分終わった。歳をとるとのんびり過ごしているにもかかわらず日時が立つのがはやい。どうも無為にすごす時間が多いためのようだ。反省をこめて、最近、気になった、印象にのこった言葉を記す。

最近印象に残った言葉
<1>「仲間たちよ、畑いじりはあんまりやるな、孫と遊ぶのもいいかげんにしろ」
 これは生協のOB仲間の下山保さんの「9条運動の詩」の1節。60年安保の仲間の集まった「6.14フェスタ」(本来は6・15)で発表したもの。「ジジババ讃歌」から「9条讃歌」まで5節あり、要は60年安保を知っている年寄りに向かっての行動の呼びかけである。9条を気にしながら、3日に1回畑に行き(きゅうりの収穫時期なので)週末は孫と遊び、他の日はカメラやスケッチブックをもってうろうろなので、この詩ーアジ文にはまいった
 この詩の続きー「振り返ってみれば俺たちは、権力の敵に党派の敵、同志の中も敵だらけ。分派闘争で明け暮れて、気ずいてみたらジジイ・ババアー馬鹿げたことはもうやめよう」と連帯を呼び掛けている。
 彼とは同じ大学だが学生時代の運動上の立場はちがっていたようなので、この言葉も大切にし、9条を守るために立場の違う人々の連帯を促進したい。(この「9条運動の詩」は東京都生協連の総会のあとで開催された懇親会で下山さんが配布したA42枚の詩。関心のある方はご連絡を)

<2>「傷ついた生協の信頼は『出資・運営・利用の三位一体』の実現で回復することが必要ではないか」
 この言葉は日本生協連の総会での中村厚労省社会局長の来賓挨拶の一部。中国餃子問題で生協の信頼が傷ついたが、それはコープ商品の安全確保といった対策だけでは回復できない、傷ついたのはコープ商品ではなく生協だという指摘と生協の信頼は「出資・利用・運営」の一体性実現で培われたということへの確信であろう。この言葉に多くの総会参加者が共鳴したのは、その後の発言で分かった。
 感銘したのは外部の方が70年代から80年代にかけての我が国の生協運動の発展の原点について正しく理解し、危機にあたってそれを教訓として述べたことである。それにしても、生協役職員の生協運動史や理念・原則に関する学習・理解は今回の様な事態に直面したときに役立つレベルにあるのだろうか。
<続>

<3>「イカ釣り漁に出られない」「畜産の大パニックの阻止を」――
 これは「言葉」ではなく「重大事態」、原油の値上がりはすべての産業と国民生活に重大な影響をあたえている。私がショックだったのは佐渡漁協のイカ釣り漁休止のニュース。それでなくとも苦しい佐渡の漁民のことを知っていたから。今やマグロの遠洋漁業をふくめ日本の漁業は危機的状況。
 「畜産大パニック阻止」のための訴えの電話をくれたのは生協OBのNさん。彼は畜産の飼料にかかわる仕事をしており、個人的にも深刻のよう。すでに卵の値上げなどが始まっているが、値上げできない畜産分野では生産放棄で秋口には消費者を含めパニックになるのでは--ついては何らかの行動を、という訴え。下山さんは国会へと言い、Nさんはシンポや集会を企画している。
 食糧危機は石油危機と連動しており、農漁民の深刻さは消費者の困難に連動している。日本生協連の総会での多くの代議員の「生協は食糧自給アップのために生産者とともに努力を」という発言はそんな世界的な情勢を反映していた。気になった「言葉」はそんな発言に対し「学習を」という執行部の答弁。3年前に出した日本生協連の農業政策の学習を期待しているのだろうか?かって日本の生協運動は石油危機とパニックのなかで、大衆的な怒りを組織し、消費者運動として役割をはたし、大きく発展した。そんな歴史の学習を。
 
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