「薔薇雨ー1960年6月」手塚英男著を読んだ。
60年前の安保闘争については、このブログで5月19日と23日に自分の思い出を書いた。この本は6月15日の全学連の警官隊との衝突で亡くなった樺美智子について東大の学生仲間であった筆者が書いた小説風のドキュメントである。勤評、警職法、安保と続く学生運動の高揚期に筆者と樺は共産党に入党するが、樺は党の路線に満足できず全学連主流派として筆者とは別行動をとる。当時の党や自治会や寮、セツルメントなどでの運動路線をめぐる論争や幹部の動向を書いたためか樺を「彼女」とし、自らも仮名にしているので実録記とは言えないが、同じ時期に学生運動の一翼にいたものとしては生々しいドキュメントとして読めた。この本の筆者と私はは59年11月の国会構内への雪崩込みの時や羽田空港でのハガチー来日抗議の行動などで同じ場所にいたのだなと当時の情景を思い起こした。
樺美智子が死亡した6月15日は、私たち大学生協連は全学連とは別行動をとっており、彼女たちが警官隊と衝突する前に参議院まえで劇団や文化人グループと一緒に右翼の襲撃にあっていた。80人ものけが人を出し生協でも3人の被害者があり、その救援に当たっていた私は樺美智子のことを知ったのは国会周辺を去ってからであった。
東大の女子学生が警官隊に殺されたというニュ―スは衝撃的で、翌日、早大生協の学生理事などは常務理事で国会行動の責任者であった私に「生協としても店を閉めるなど暴挙に抗議の姿勢をしめせ」と迫った。全学連が国民会議の統一行動から離れて挑発的な行動をとることに批判的な学生も、樺を悼む気持ちは強かったが、「あいつはトロだ」と片付ける先輩の言葉も強かった。彼女に同情する世論を受け国民葬をやろうという動きが出たが、共産党は全学連=共産主義者同盟(ブント)批判を強め、それをけん制した。私の学生仲間には共産党の路線を批判する者、トロッキーやスターリンについて論じる者など少なくなかったが、私にはこの本の筆者と樺などが行ったような学習と論争の経験は少なく、ブントなどの理論と行動が理解できなかかった。ただ、樺美智子の父は社会学者であり、その著書から親しみを持っていた私は樺を悼む気持ちが強かった。今回、新聞「赤旗」にこの本の広告が出たこと、筆者が共産党の人(現在のかかわりについては書いてない)ということもあり、すぐ買って読んだ。が、樺美智子に関心がない人も60年安保と学生運動の内実を知るには面白い本だと思う。
ついでで失礼だが、60年安保以降の60年代の学生運動の一端を知る本として半田勝著「未完の時代」も紹介しておく。筆者は前書の手塚が卒業したあとの東大の学生で8年間も学生党員として全寮連や全学連の委員長などやった人である。最後の章で描かれている新日和見主義騒動などは私はあまり関心がなかった事件であるが、生協に関係した人の名前も出てきて、共産党もまずいことをしたものだと考えさせられた。
筆者は今は党を離れ「党とは是々非々で」協力している関係のようであるが、「いまや『共闘の時代』が来ている。政治面での『野党共闘』をはじめ、9条の会、反原発運動、環境問題等々様々な運動で共闘を」と党と離れたり批判された人々、グループも含めての共闘を訴えている。
なお、この本で新日和見主義で党に批判された学生運動リーダーの川上徹のことが書かれているが、彼が起した同時代社から前書「薔薇雨」が出版されれているのは私にはいいことだと思われた。
「平和とより良い未来のために、という国際学連のスローガンを踏まえて、東大の学生たちが提案した平和とより良い生活のために、が日本の生協のスローガンになったと聞き、」
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