かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

国民学校3年生の8月15日

2021年08月15日 | スケッチ、油絵、写真

 

76年前の8月15日、私は国民学校3年生だった。熱い夏のその日、ラジオのある我が家には近所の大人たちも集まり、「天皇陛下のお言葉」を固い顔をして聞いていた。聞こえてきた言葉は一言も理解できなかったが、母親が日本はアメリカに負け、戦争が終わったらしいと教えてくれた。不機嫌な大人たちから逃れるように子供たちは「泳ぎにいこう」と5人ほどで海に向かった。

家からから海辺までは、坂道を転がるように走って行くと20分くらいで着いた。防風林の松の木の根元にシャツとズボンを脱ぎ捨てると熱い白砂を踏んで海に駆け込む。しばらく経って松の木の下に集まる。皆な「戦争に負けた」ということが気になり、神妙な顔つきだった。1年生が「戦争に負けたらどうなるの」と聞く。5年生が「アメリカが飛行機や軍艦で押し寄せてくるんだろう」という。アメリカ人は鬼のように大きく赤い顔をしていると教えられていたので、みんな怖そうな顔になった。「それでどうなるの」という問いには誰も答えられない。「どこから来るの」という問いに、私が「あの沖からだろう」と入道雲の浮かぶ沖を指さした。私はこの真野湾が北海道からニシンなどを運んできて、味噌や酒などを関西方面に運んでいく海路だということを聞いていた(「北前船」のことはまだ教えられていなかったが)。アメリカは太平洋の先にあると聞いていたが、アメリカが来そうな別の港は知らなかったので、この真野湾の沖に大きな軍艦が並んでこちらに向かう姿を思い浮かべ怖くなった。

しかし、アメリカの軍艦は佐渡の真野湾にはやってこなかった。空襲があるというので防空壕をつくり、避難や消火の訓練もしたが、佐渡には空襲もなかった。勤労奉仕で神社などの掃除をしたり、天皇陛下万歳と叫び、日の丸の旗を振る行事には沢山参加した、軍国少年の卵だった私の戦争は終わった。

 

 

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残暑お見舞い申し上げます

2021年08月12日 | スケッチ、油絵、写真

残暑お見舞い申し上げます

コロナ禍がおさまらず、今年も故郷・佐渡には帰れないので懐かしい尖閣湾の絵を写真を見ながら描いた(上)。

スケッチに出かけることがほとんどなく、代わりにZOOMなどon line生活に慣れた。子供や孫とはlineで楽しみ、硬い仕事はZOOMなどで。この夏は「生協の歴史から戦争と平和を学ぶ」の学習会の講師をZOOMで、同じテーマでの情報誌の取材もZOOMを使って話し、生協総研での公開研究会もon lineだった。この公開研究会には200人を超える全国からの参加者があり、60人もの方から感想文もいただいた。コロナのお陰でon lineのすごいところを学んだ。しかし、今進行中の作業はこの秋出版予定の「日本の生協運動の歩み」の監修。紙と活字との長い付き合いが続いている。近況報告です。

 

 

 

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