大谷超えも噂される大船渡の佐々木投手の決勝戦登板回避については、ニュースでも様々な反響を呼んでいる様子。
この話を聞いたとき、真っ先に監督にあっぱれ!という記事を準備したが、その後の賛否両論は小生の予想を超えるものだった。
大船渡高校には、なぜ投げさせなかったというクレームの電話がたくさん入ったというし、横浜高校の渡辺元監督なども投げさせろ論者だった様子。
翌日のニッカンスポーツには準決勝のときに肩に異常を訴えていたとの記事も出ていたが、知らないうちにそんな情報はどこへやら・・・テレビやネットの記事ではピーチク・パーチク、各自が持論を展開していた。
もちろん、一番投げさせたかったのは監督さんだろうし、その判断に至る事情も考慮すべきだろう。
だが、ある程度予想されていたが、サンデーモーニングの張本(氏などつけたくない)の言葉は想像以上の暴言だった。
詳しくはこちらの記事をご覧いただくが、小生もテレビを見ていて腹立たしくなった。まあ相手になどしなけりゃいいんだが・・・
しつこさでは自信がある小生、これまでの彼の発言を振り返ると一貫していることがいくつかある。そのひとつが日本の野球が素晴らしく、アメリカは全然なっていないという・・・だから、今回の件でも監督さんがアメリカ流の考え方をしたことを激しく否定している。
だが、読者の皆さんは次の発言をどう感じるだろうか。
「アメリカは(投手の肩肘は)消耗品だと思っているから。日本は投げて投げて力を付ける。考え方が全然違うんですよ」
「ケガが怖かったら、スポーツは辞めたほうがいい。将来を考えたら投げさせた方がいいんですよ。苦しい時の投球をね、体で覚えて大成した投手はいくらでもいる。楽させちゃダメですよ、スポーツ選手は」
これを正当化すると、どうやら投手の肩は消耗品ではないらしい。ってか、アメリカと日本では身体の構造が違うらしい。
ついでに張本の一貫しているところは、「巨人のいうことはすべて正しい」という。かつて巨人のナベツネが、「ペナントレースが大事だから、五輪に選手は出さない」と言ったときは「その通り」と絶賛し、その次の大会で「メダル取れないような情けないのは見たくないので出す」と言ったときには、「ペナントレースが大事どころか五輪が大事」と絶賛していた。
さらには高橋由伸が引退させられ、監督になるときにも、「監督は彼しかいない、(引退は)当然」といけしゃあしゃあと言っていた。
令和の時代になっても昭和の時代の根性論を押しつけ、巨人崇拝を固辞する・・・老害以外のなにものでもない。
ついでに言おう、彼は日本流の細かい野球を絶賛する。だが、その源流は一戦必勝のためにセコセコと一点を積み重ね、ときにはトリックプレーまでやって勝利に徹する勝利至上主義である。
最近はさすがに少なくなってきたが、外野手が球をそらしたふりをして、ランナーがオーバーランしたところを刺すなどのプレーはかつて甲子園でよく見られた。
だが、少なくともそうしたプレーは「ソツのない」とか「頭脳的な」とかいわれるが、「セコイ」とか言われることはない。
かつて大リーグから鳴り物入りで日本球界に来た選手があっという間にアメリカに帰ったことがあったが、その選手は「地球の裏側で行われていた競技はベースボールとは違うものだった」と言っていた。
どちらのプレーが上なんて議論するつもりはない、ただ、一方的に日本の・・・いや古い時代の日本の価値観こそが正しいという姿勢にはいら立ちしか感じられない小生である。
追伸:今日になって巨人が佐々木を指名するという記事がスポーツ紙に踊っている。張本の次のコメントが楽しみである。
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