アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

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石渡信一郎氏の「聖徳太子はいなかった」を読んで

2020-07-20 06:00:00 | マニア

2013年の記事で「聖徳太子はなぜ必要だったのか」というものを上げた。現在の研究では厩戸皇子の存在の真偽は別にして、少なくとも聖徳太子はいなかったというのがほぼ定説になっている

 

 つまり、聖徳太子の業績とされているものは、実は別の人がなしたことであり、それは誰で、それはなぜ・・・というのことについて、古代史研究マニアの中で、さまざまな人が多くの説を唱えている状況にある

 前回の記事のコメントで石渡信一郎氏を紹介され、改めて彼の「聖徳太子はいなかった」という本を読んでみた。

 

 詳しい内容はご法度だろうから省くが、中国の記録にある倭の五王の比定や古墳の築造年代の見直しから、記紀の内容に新しい説を唱えられている。

 小生が語る資格などないのは事実だが、人物に関係なく古墳からアプローチした書物や、純粋に統計学的手法から天皇の在位を見直したものを読んだ経験からも、古墳や古代の天皇の在位が通説より古く修正されているということには納得である

 

 さわりのない範囲で書くと、崇神・応神・継体の三人に焦点を当てて説は展開していく。伝応神陵の誉田山古墳が伝仁徳陵の大山古墳のベースになっているのは有名だが、彼の説はその大山古墳の埋葬者を仁徳ではないとする

 もっといえば、仁徳を架空の人物としていて、その埋葬者を・・・と、ここで止めておこう。

 

 さらに古くから諸説入り乱れている天武天皇の出自についても、彼は小生がスルーしていた人物に注目し、これまた諸説ある天智系統と天武系統、そして蘇我氏の実態にまでメスが入っている。

 小生も以前書いているが、崇峻天皇の暗殺自体が蘇我氏の事件として取り上げられていることの不自然さは、崇峻の実在の真偽にもつながってくる

 

 小生も様々な人の説を読み、蘇我氏は大王つまり天皇だったと考えている。ある歴史家の言葉で、「万世一系」などは世界中ありえないと聞いたことがある。

 普通に記紀を読んでも継体や乙巳の変のくだりなどは、不自然そのものだ。そうした流れから生み出されたのが聖徳太子というものだ。

 

 この本については、法隆寺の位置づけは・・・とか、一部の古墳の築造時期の比定など細かいところについては疑義もないではないが、逆に見瀬丸山古墳をひのき舞台にもってきたりするところなど、大きな声であっぱれを言いたいところもたくさんあった。

 その点で、このテーマについて興味のある方にはご一読されることをお勧めしたい。

 

 個人的な興味と昔からの疑問はいまだに解決していないのだが・・・それは前方後円墳が大王の墓でありながら、大王であったはずの馬子の墓が前方後円墳でないことである。

 だとすると、ひょっとして秀吉の大坂城をなきものにした家康のように、馬子の石舞台も蘇我氏滅亡後に改修された可能性も・・・

 

 これは今のところ、小生の知る限り誰も唱えていない説だと思うのだが・・・


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2 コメント

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物凄く興味深い話題に感謝を (大石良雄)
2020-07-20 09:54:19
拝啓 お師匠様にはよろしくお願いいたします。
 自分もこういった「オカルトティック?な話」は大好きで「UFO 未確認生物 地球空洞説 ナチスドイツの狂気の研究 裏歴史」等は小学生の頃より熱心に研究?して来ました。この「聖徳太子の謎」については確かに、記憶ではかなり以前からその人物や存在について、疑問点を提示する研究者も居た様ですが、何分もう半世紀以上も前の話であり決定的な動かぬ証拠と言うのは提示できなかったと。あの当時は全て「書物 伝承 直接取材」しか方法が無く、その書物も物凄く価格が高価な上に部数も少なく入手も困難、街中の書店程度では全く解らずに都会の図書館などでもまず解らない状況でした。更に直接取材として研究者などに面会できても実は必ずしも真実を述べるわけでも無かった様で、ましてや相手が素人の場合は適当な事言って追い返される場面も多々あったようです。かつて「ガリレオが地動説を広めていた」当時、特に言っていた事は「現在解っている事を述べるが当然解らない事も多々ある。よって今後修正訂正は十分に在る事を理解してほしい」と。今日本当に有難いのはやはり「グローバルなネットの環境」により、世界中の研究者とインタラクティヴで連絡が取れる事ですね。つまり「狭い日本国内の事ばかりと思っていたら、実は海外とも深く繋がっていた=戦国時代の動乱の件」等、驚く様な事実も解りつつあります。更に、一番重要なのはこうした研究の場合「文学的と言うか情緒的な心情的な面からでの思考」と「科学的論理的な面からの、容赦無い事実だけを見る面」があり、どうしても我々日本人は前者「情緒的文学的=判官びいき」の様な面があり、難しくしている側面も感じられます。例えば「水戸黄門の諸国漫遊や大岡越前の大岡裁き 赤穂浪士の討ち入りに関する情報」等など、相当に「文学的情緒的に美化神聖化」されてしまっている部分も多く、「エンターテインメントとして観る場合と、純粋な研究者として視る場合」はやはり区別しなくてはなりませんね。
今回の「聖徳太子の真説?」についても本当に興味深く、事実と真理に基づく研究ならば素晴らしいと思いました。お師匠様もご承知の通り「日本の歴史は謎だられ、、、日本人は記録を残したがらない民族」と言われています。よくよく「シナ5000年の歴史 インドは一億年の歴史」等とやたら時間をエキスバンデッドしたがる誇大妄想のお国が多い中、実は日本こそ数億年の歴史があり地球の中心だったと言う説もあるのですが、、残念ながら確たる科学的な証拠が見当たりません。
今後、こうした聖徳太子やキリスト、釈迦等の研究の進捗具合により何か日本の真説が出ないかと、物凄く楽しみにしております。 敬具
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大石様いつもながら ()
2020-07-20 10:55:31
大石様
 いつもながらありがとうございます。小生、もともと日本の古代史にハマり、大学を受ける際も、文学部を目指そうとしていた次第ですが、諸般の事情で経済学部に入り、そこで経済史に出会って近世日本経済史の師のゼミに入った経緯があります。
 今回、大石様が書かれた戦国時代の話は、先日NHKで放送されていた話題かなあとも拝察しましたが・・・実は、小生の仕えたゼミの教授によれば、「江戸時代の日本は鎖国などしていなかった」ということをよく言われていました。というのは先日のテレビでも取り上げられていたよように、当時の日本は(いわゆる鎖国以降も)世界最大の銀の輸出国であり、そのことひとつをもっても鎖国などしているとは言えないと。この先は、長くなりますので割愛しますが、逆に高校生の頃の世界史では「近世の世界最大の銀の輸出国はメキシコ」と習ったはずです。
 また、高校の日本史の先生が今から見ると先進的で、鎌倉幕府の成立した年は決まっていないとか、聖徳太子の話などをずいぶんと聞かされておりました。
 近年、明智光秀や石田三成の評価なども見直されてきていますが、平氏や蘇我氏の評価も変わるときがくるかもしれませんね。
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