アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

いすゞ117クーペ

2016-07-29 06:00:07 | ノスタルジー
かつてトヨタ2000GTが007のボンドカーに採用されたが、今でもその流麗なスタイリングには古さのかけらも見られない。が・・・いかにせよ、希少すぎるため、生で見たことも本当に数えるほどしかなかった。


 その2000GTほどではないものの、希少にして華麗な存在だったのが、いすゞ117クーペだった。調べてみたところ1968年の発売だった
 かのギャランGTOの発売が1970年だから、いかに進んでいたかがわかる。イタリアのジウジアーロのデザインによる華麗なボディは手作りでしか作れなかったため、大量生産ができなかった

 伊豆の温泉町に育った小生、こうした車が温泉街に来ると、すかさず見に行ったもの。だが、117クーペを初めて見たときの感動は今でも覚えている。
 ボディはごく薄いグリーンだった記憶がある。屋根を構成するピラーはあくまで細く、そのため大きなガラスが室内の開放感を強調するような・・・


 また当時のことで驚いたのは、リアシートにもヘッドレストがついていたこと。この流麗なスタイルにして、大人四人がしっかり座れるという車だった。
 当時のクーペは法的には五人乗りでも実質二人プラス子供程度のシートだったのに対し、この車は四人乗りで、ほんとに四人が座れた。

 明らかに、日本人のデザインではなかったし、こんな車をトヨタや日産でなく、いすゞが扱っているということが正直驚きだった。
 技術的にも日本で初めて電子制御燃料噴射装置を搭載していたし、発売開始以来の10年間に1台も廃車が出なかったとの業界記録を持っているという。

 子供心に、なにか高貴な世界の車? って感じがした。それが、後々、大量生産ボディになって、なんとなく普通のスタイルに見えてしまった。
 テールライトも大型化したが、なんか俗っぽくなってしまったような・・・あくまで小生の偏見だが・・・


 最終形に近い時期にはディーゼル車も設定されていた。たまたま小生の知人が、それに乗っていて、乗せてもらったとがある。
 すでに1970年代後半であったが・・・シルバーボディで、中央高速を飛ばし、甲府で宿泊したっけ・・・あの頃は、夢があったなあ。

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