鶴岡で一泊した小生、宿で別のお客さんから、「今年は湯殿山が12年に一度の御縁の年で、登ると出羽三山を登ったことになる」と聞き、翌日立ち寄ることにした。
湯殿山有料道路(といっても、センターラインもない道だが)を登っていくと大きな鳥居が見える。ここが湯殿山神社本宮の入り口だ。
車はここで停め、本宮には山道を30分登るか、専用のバスという。当然、ここはバスだ(苦笑)。ほどなく本宮のバス停に着く。ここからさらに徒歩5分という。
神域はすべて写真撮影禁止。参道を行くと靴を脱ぐゾーンがある。そう、ここははだしでの参拝となるという。なんでも昔はすべて裸での参拝だったそうな。惜しい(苦笑)
ここは山自体が神様で拝殿もない。拝殿がないのは、ここと奈良の大神(おおみわ)神社だけという。お祓いをしてもらってから人形を流し、さらに奥の院に進む。
そこには巨大な赤い岩があった。しかもお湯がこんこんと湧き出ている。おお、まさにこれが湯殿山のご神体なのか。
逆に山の名前の由来を知ったように思った。そしてここでお参りしてから、ご神体に登れるのだ。はだしなのでお湯が温かく気持ちいい。
すっかり神様にひたった小生、帰りの山道を風にあたりながらおりてきた。これで出羽三山をお参りしたことになるぞ、これは嬉しい限り。
しかし考えてみれば、ここまで出かける機会はめったにないだろうから、12年ぶりの機会にめぐり合ったこともご縁かも知れない。
お参り後次の宿泊地の乳頭温泉に向かったが、ここからはまだ距離がある。ということで、象潟(きさかた)に立ち寄ることにした。
象潟は現在は、平成の合併でにかほ市になっているが象潟の地名は町として残っている。松尾芭蕉の「奥の細道」でも歌われているが、彼の訪れた最北の地だ。
東の松島と比較される名勝であるが、19世紀の大地震で地面が隆起し、現在は田園風景になっているが、今でもその名残は九十九島として残っている。
湯殿山と松尾芭蕉というふたつの観光ポイントをめぐり、後は一路宿泊地まで車を走らせる小生であった。
湯殿山有料道路(といっても、センターラインもない道だが)を登っていくと大きな鳥居が見える。ここが湯殿山神社本宮の入り口だ。
車はここで停め、本宮には山道を30分登るか、専用のバスという。当然、ここはバスだ(苦笑)。ほどなく本宮のバス停に着く。ここからさらに徒歩5分という。
神域はすべて写真撮影禁止。参道を行くと靴を脱ぐゾーンがある。そう、ここははだしでの参拝となるという。なんでも昔はすべて裸での参拝だったそうな。惜しい(苦笑)
ここは山自体が神様で拝殿もない。拝殿がないのは、ここと奈良の大神(おおみわ)神社だけという。お祓いをしてもらってから人形を流し、さらに奥の院に進む。
そこには巨大な赤い岩があった。しかもお湯がこんこんと湧き出ている。おお、まさにこれが湯殿山のご神体なのか。
逆に山の名前の由来を知ったように思った。そしてここでお参りしてから、ご神体に登れるのだ。はだしなのでお湯が温かく気持ちいい。
すっかり神様にひたった小生、帰りの山道を風にあたりながらおりてきた。これで出羽三山をお参りしたことになるぞ、これは嬉しい限り。
しかし考えてみれば、ここまで出かける機会はめったにないだろうから、12年ぶりの機会にめぐり合ったこともご縁かも知れない。
お参り後次の宿泊地の乳頭温泉に向かったが、ここからはまだ距離がある。ということで、象潟(きさかた)に立ち寄ることにした。
象潟は現在は、平成の合併でにかほ市になっているが象潟の地名は町として残っている。松尾芭蕉の「奥の細道」でも歌われているが、彼の訪れた最北の地だ。
東の松島と比較される名勝であるが、19世紀の大地震で地面が隆起し、現在は田園風景になっているが、今でもその名残は九十九島として残っている。
湯殿山と松尾芭蕉というふたつの観光ポイントをめぐり、後は一路宿泊地まで車を走らせる小生であった。
丑年の方角にあたる羽黒山は、今年登ると1年分、丑年の人が登ると12年分のご利益があるとの事で、私も旦那も丑年の為、ゴールデンウィーク家族で登ってきましたよ。
羽黒山には家の3歳の息子も登りましたよ。
きついですが、景色もいいのでお勧めです。
次回来たときには是非ご案内いたします。
山頂ではないんですが、しっかり足痛くなりましたあ(汗)