いつもおバカなネタやエロオヤジネタ満載のこちらのブログ、たまには思い切りまじめなネタを書かないと・・・ってことで、先日の連合三田会で聴講した講義に関連して書こう。
当日は、小生がお世話になった教授のお弟子さんで、現在は一橋大の教授の先生が講演をされた。テーマは「江戸時代から現代にいたる格差」についてだった。
さすがに、その講義の内容についてそのままこちらに記載するのはご法度だろうから、それに沿った形で紹介したい。
今、政治に対する不満でよく上げられるのが、「格差の拡大」であるが、一方で江戸時代の格差って、皆さんはどういうイメージをお持ちだろうか。
おそらく「士農工商」のうち武士ばかりが豊かで、農民は食うや食わずの生活に苦しんでいたというイメージをお持ちの方がほとんどだろう。
だが、厳然たる事実から入ろう。明治に入り、欧米が日本人に文盲(今では差別用語だが、あえて・・・)がほとんどいないことに驚かれたことは有名だが、武士はともかく農民までもが読み書きができたことは事実。
では何故? それは寺子屋などに農民の子も行っていたからだ。逆に言えば、農民は我々が思う以上に豊かだったということになる。
逆に浪人の内職なども有名だが、大名などは別として、末端に至るまでの人数はかなり多くなり、武士全体での人口比は全体の約10%という。
農民は約75%だったようだが、そのそれぞれの経済格差は・・・ここから先はご法度ということになるが、研究室以来の知識からヒントを紹介しよう。
年貢はその土地からとれるお米の量を基準にし、四公六民とか言われていた。したがって、江戸時代最初の税率は40%だった。
ところが江戸時代を通じ、検地は一度しか行われていなかった。そして、江戸時代を通じて農民は必死に働き、ざっくりいうと江戸時代を通じて生産量は3倍になった。
よって、実効税率は40÷3=13%でしかなく、農民も貧しいふりはしていたが、けっこうゆとりがあったということになる。
これが明治維新に至る読み書き水準の高さを支える元になったわけで、一方で明治維新で活躍した者たちの多くは下級武士であったことも、貧困から抜け出ようというパワーだったという見方もできる。
さて・・・それに対して、明治以降はどうなのか・・・実は戦前と戦後に大きな二つの流れがあったようだ。
その流れとは・・・ああ、ここまできて紙面が尽きてしまった。この続きは・・・聞きたくなった人は小生までご連絡を・・・って、いないだろうなあ(苦笑)
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