さて、堂ヶ島天遊に出掛けるにあたり、行きに立ち寄ったのが土肥金山だ。歴史マニアにはおなじみだろうが、伊豆には金山が多かった。
東伊豆にも河津と下田の間に縄地金山というのがかつてあり、小生がガキの頃までは稼働していたはず。
そんな中で土肥の金山は江戸時代にはもっともメジャーなもので、港の海運と合わせてずいぶん栄えていた由。
さて、比較的混雑しない西伊豆の道だが、それでも伊豆縦貫道など混雑したので、まずはこちらで昼食を・・・
あまり期待しないで行ったのだが、焙り海苔がたっぷりかかった野菜そばを注文したところ・・・写真のとおり、これはなかなか・・・だった。
さて、ここから金山だ。現在は坑道の一部をテーマパーク的に見学できるようになっているが、この季節に嬉しいのは天然のクーラーが効いていること。
この日は21℃という・・・半袖では寒いくらいだった。以前も来たことがあったが、当時の金山の仕事内容が人形の展示でわかりやすくなっている。
坑道には大量の水が出るので、24時間排出しないといけないとか、ふいごのような器具を使いながら、空気を送ったりという作業も必要だったことなど・・・
だが、何より手掘りでの作業は環境的にも肉体的にもつらかったはず。だが、囚人たちの厳しい作業・・・というのではなく、職業人だったため、頑張った分だけのものがあった由。
実際、当時の土肥には繁華街もあり、遊女もいたようだ。さらに坑内には湧出する温泉を活かしてお風呂まであった由。
男性のお風呂には興味がないので、女風呂を盗撮してしまった(爆)←共謀罪でつかまる?
坑道から出ると金山奉行の大久保長安が出迎えてくれて、ここからは世界一の金塊に触ったり、や千両箱の持ち上げ体験などができる展示コーナーだ。
時間の関係で今回はやらなかったが、さらに砂金取り体験ができるコーナーもある。江戸時代に思いをはせながら、展示を楽しんだ。
そういえば、大久保長安といえば、先日行った御嶽山神社の改修を家康から命ぜられていたことを思い出した。
歴史の本流ではないが、彼が江戸幕府の初期に果たした功績は決して小さくないと思うのだが・・・
ぜひ彦摩呂あたりを起用してドラマで・・・「これが本当の千両箱やあ」なんて・・・ああ、バカなこと考えて運転してると事故るぞ(爆)
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