キャンパス(まさにそう呼ぶにふさわしくなった)の杜では蝉達が歌声を競い合い、その中に気の早いツクツクボウシが混じっていた。こんなに暑いのに、まちがって出て来てしまったのかい。彼だけ独り違う音色を奏でていた。
仙台は久しぶりだ。ビルと車と人は、相変わらず増え続けている。青葉山のトンネルを抜けるといつも混んでいて、すぐにホテルに逃げ込みたくなる。それでもせっかくだからと、青葉通りと定禅寺通りを巡る。榴岡公園、勾当台公園か。車線変更をまちがえるとクラクションの洗礼。ああ仙台に来たんだなと思う。
一番町を行き交う人々の足取りは、昔と変わらない。三越のロッテリア前に座っていた「女の子」は、月日を40年遡らせた。かつてよく行っていた居酒屋に入ると、店のおばちゃんもメニューも何も変わっていなかった。
大船渡に向かう途中、陸前高田を通る。見事なまでの防潮堤が(横に)そびえたつ。伝承館に展示されていた消防車を正視することはできなかった。今まで、防潮堤は景観を損ねるから反対だった。こんなもので津波を防ぐことはできない。またもや同じ過ちを繰り返すのか、と。しかし、防潮堤は必要だった。現実にこの地に住むとしたら、あれば安心だろう。いずれにせよ、遠くの被害も受けなかった所に住む者の、「無責任な一般論」は意味をなさない。
4月からの、(京都)~大阪~仙台の1000km以上の道程と、40年以上の歳月を行き来した「旅」は、完結したのかもしれない。そこでは、大切なものを見つけた代わりに、大事なものを失っていたことを知らされた。
7/26~29まで仙台、大船渡に行って来ました。暑かった。旅は不慣れではあるけど、少しずつ自分が変わっていくようだ。
「無責任な一般論」は、例えば当ブログの記事は全てそうである。特に、前回のような記事は評判がよろしくない。