世の中、新型コロナウイルス一色の中、「あの日」 を迎えた。
通勤途中、今までにない高揚感を感じたが、それはなぜだろう。
3月11日だから?
雨が降っていたから?
理由は、いずれ書くことになるだろう。
9年前のあの日から、少なくとも日本は変わらなければならなかった。
なのに日本は、「答」とは違う方向に行ってしまった。
それは、地震という「地域的」な問題だったからだろう。
人々は、身の回りのことにしか興味がもてないものである。(それでいいのだが)
しかし、今回の新型ウイルスは違う。
日本どころか、世界中を巻き込んで広がりを見せている。
きわめてソフトに、忍び足で近づいている。
潜伏期間が長い。
症状が出なかったり、復活したり。
若者を媒介にして、年寄りを狙う。
よくできたウイルスである。
春節前の中国をねらったり、イランでセンセーショナルに出現したり。
不謹慎ながら、オリンピック前に富士山が爆発しなければいいがなと思っていたが、違う形で同じようなことが起こった。
巷では、自粛ムード一色である。
この経済停滞により、打撃を受けた業種もあるだろう。
しかし、よく考えてもらいたい。
これが本来の姿なのである。
いらないものを買わせることを「経済発展」という。
災害が起こり、避難生活を行うとよくわかる。
今まで、いかに無駄なことをしていたか。
衣食住。
必要なものはそれだけだ。
そこでは、「男=脳=人工=都市=ヨーロッパ=キリスト教」の論理は消え、
「女=体=自然=農村・山村=漁村=アジア=仏教」の論理だけが通用する。
資本主義のパンデミック?
カタストロフィ?
そのことがよく見えてくる。
これぞ、「神様の計らい」と言わずして何と言おう。
少しはましな世の中になればいいのだけど。