江戸時代の年貢率で、収穫高の4割を年貢、6割を農民の所得とするもの。江戸中期以降は五公五民になった。
と、中学校で習ったと思われる。
で、農民は苦しい生活を強いられ、一揆を起こした。
が、幕府や各藩の財政は苦しかったとも習う。
で、武士の生活も苦しかった。
年貢を重くしたのに、武士の生活も苦しくなる。
誰もが習ったはずなのに、このことにあまり疑問を持たない。
それが、新潟と三条に勤めてよくわかった。
宴会で、飲んで食ってよくわかった。
おいしいのである。
新潟は海が近いから当然としても、なぜ三条がおいしいのか。
それは、両方とも「商人」の町だから。
それに対して、「武士」の町長岡は、あまりおいしくはない。(もちろん、おいしい店もありますよ)
どういうことなのか。
それは、武士達が「倹約」を美徳とし、おいしさを追求しなかったからだ。(それが今も続いているらしい)
つまり、「四公」の内の大半は商人のところに行ったのだ。
だから、武士たちは困窮してうまいもんは食えず、商人達はうまいもんが食えて贅沢な暮らしができたのである。
商人は幕府や藩にお金を貸し、やがて立場は逆転する。
「貸す借りる」の関係は、必ず「貸す」側が強い。
江戸時代には、すでに豪商「三井」があった。醤油関連で、マニュファクチュアもできあがっていた。だから、明治維新がスムーズにいったのだ。もちろん、庶民の教育水準の高さもあるが。
教科書には、この商人の「真の姿」がはっきりとは書かれていない。
これは世界史も同じで、どうしても「政治史」が中心となってしまう。
悪く言えば、「商人」の動きを見えなくし、武士や貴族を悪く描いている。
たぶん、明治維新の「立役者」達も、国際金融資本からこのやり方を教えてもらったはずである。
現在も支配しているのは財界。
政治家はあやつり人形。(反発はこちらに)
歴史の、この辺りを書き直すのは大変ですな。
しかし、商人の動きを中心に見ると、歴史の動きは納得できるものとなる。
画像は「十分盃」の原理。八分目を超えるとこぼれてしまう。長岡藩主は、「十分盃」の「満つれば欠く」というメッセージに感銘を受け、自分自身の戒めにして家臣たちに倹約の精神を説いたそうです。