遠藤周作さんの遺言かもしれない
『深い河』(大活字本 上下巻)を
やっと読み終えました。
カトリックの神父さんは、外国人が多い。
遠藤周作さんは、どうしても日本の宗教ではない
外国からきた宗教だという印象を強く持っておられたことが
良く分かりました。
宣教師すべてが、そうだとは言えませんが、
未開の人たちに教える(教えてあげよう、教えてやる)という態度が
見下されているような感じを受けるのかもしれません。
どうも遠藤周作さんは、そう感じておられたような気がします。
『沈黙』のキチジローや
『おバカさん』のガストン
そこに、遠藤周作さん自身が求めた、真の信仰者の姿があるような気がします。
カトリック教会の幼児洗礼・・・
親の信仰を押し付けるのは、やはりおかしいし、無理がある。
信仰は、自分で選んで決断するもの。
遠藤周作さんの苦しい求道者の姿は、気の毒に思っています。
『深い河』の最後の大津は、死んだ、、、から危篤だ、、、に変更されていることが、残された原稿で分かったそうです。
そこに希望の光を残したような気がします。
大津は、司祭、神父になりたかったが
日本的なキリスト教の解釈を捨てきれず
司祭になることをずっと延期されていたのでした。
マザーテレサの「死を待つ人の家」の存在感が、
より強く感じられました。
不可触民(アンタッチャブル)の人たちを看取ること。
すべての人が平等であるはずなのに
すべての人を神さまは愛しておられるのに
人はすべての人を愛することを求められる
「汝の敵を愛せよ」
最近、敵とは、自分の苦手な人を、愛することができますか?
と問われているような気がしています。
神さまから愛をいただかなければ、それはできません。
大船フラワーセンターの蓮
(親愛なる教え子 杉浦譲治君からお借りしました)
蓮の花は、仏教的だと言われますが、清々しいその姿に教えられます。
偽善ではなく、真実の愛を求め続けたい