風の詩(kazenouta)2

いつも喜び、たえず祈り、すべてを感謝する
そのような日々を過ごしたい。

2023年 大晦日です

2023-12-31 18:40:07 | キリスト教会
とうとう大晦日になりました。
2023年、なにかやり残したような気がします。
なんだろう?

静かに振り返ってみても、明確にはなりませんが、
どこか引っかかっています。
なにか思い残したこと、やり残したことがある。

2023年の目標は、自己に死ぬこと。
そして新しく生きること。
理性では理解していても
霊的に実感がありません。

苦手な人をも愛すること。
汝の敵を愛せよ。
偽善ではなく、心からの真心、誠意を示したか。

人を裁くな、自分が裁かれないためである。
自分が測る(量る)その測り(量り)で、測り(量り)与えられる。

心から、気持ちよく与える人になれたらいいのに。




 妙高山と青い空の白い雲  (坪井真弓さんからお借りしました)
  ひんやりとした空気を感じる青い空に走る白い雲
  清らかな風が吹いているのかしら。

12月30日 2023年最後のゆるーい安息日

2023-12-30 18:00:50 | キリスト教会
12月最後の安息日が何日になるかは
もちろん毎年変わります。
今年は12月30日でした。

帰省したり、お孫さんが来たり、風邪をひいたり、、、、、
いろいろあって、人数は少なかったです。

ライブ礼拝なのですが、
私たちはすでに12月23日に終わった
洗足式聖餐式をする教会が多い。
いつもの東京の教会ではなく、ほかの教会を探すも
どこも最終日に洗足式聖餐式をなさいます。

では、先週のをYouTubeで見ましょうと探した
天沼教会は、なんとクリスマス礼拝+バプテスマ式。
通常よりも時間がかかっていました。

そこで、バプテスマの様子は飛ばして、
お説教を聞きました。

教会の出席者が少ないだけでなく、
礼拝の仕方も、ゆるーく、
12時を過ぎても終わらないので、
予定のある人は、急いで帰ったりと
バタバタでした。

残った5人で、ちゃちゃっと🎄クリスマスツリーを片付けて
2023年最後の安息日礼拝は、無事に終わったのでした。

2024年は、どんな年になるのでしょう。

みなさま大晦日は、どのようにお過ごしになりますか。



 昨日のダイヤモンド富士です 
   (親愛なる教え子 杉浦譲治君からお借りしました)

実際にこれを目にすることができるなんて。
しあわせな時間ですね。
 富士見市では、富士山が、デーンと目の前にありました。
 (テレビで見て、びっくりしました。さすが富士を見る市です)

ラジオは、伴走者で、伴奏者 亀淵昭信さんの言葉

2023-12-29 17:40:07 | キリスト教会
今日、12/29午前5時5分から放送されていた
「ラジオ100年プロジェクト 100人インタビュー アンコール」が
聴き逃しラジオの、お気に入りに入っていました。

1回目は、1964年(昭和39年)にラジオ業界に入った3人。
 大沢悠里さん 亀淵昭信さん 斎藤安弘さん

深夜のラジオ放送のさきがけ
「オールナイトニッポン」
 そのテーマ曲も懐かしい♪
若者の心をとらえた深夜放送。
私はリクエストは送ったことはありませんでしたが
パーソナリティのおしゃべりを聴いていると、
一対一の場が生まれました。

その亀淵昭信さんの言葉が
「ラジオは聴取者の生活の伴走者であり、伴奏者である。」

まさに、ラジオは、私にとって今も無くてなならない情報源であり
やすらぎ、いこいを与えてくれる。

みなさんにとって、ラジオはどんな存在ですか?

《らじるらじる》が出来て、聴き逃しが聴けるようになり、
今まで以上に、ラジオと私は一心同体になりました。

赤ん坊の時から、母がラジオをそばに置いてくれていた。
ますますラジオが離せなくなってます。


 

 紅葉と青空 (親愛なる教え子 杉浦譲治君からお借りしました)

  天空を電波は飛び 
  耳から魂へ入る

空海の「風信帖(ふうしんじょう)」

2023-12-28 19:33:01 | キリスト教会
なぜだか、空海の「風信帖(ふうしんじょう)」が思い出され
気になっています。

最澄へ宛てた手紙。
その素晴らしい文字は、書道のお手本になっています。

難しいよと言われつつ、どうしても書きたくて
大学の書道部で文化祭に出品しました。

空海の生涯は、治水をして、人々の土地に水を潤したことも知られています。
高野山は、神秘的な領域だとか。

民衆から、「お大師様」と慕われたその生涯を知りたくなりました。

そういえば、お正月の「書初め」
清水を汲んできて、心を静め墨を磨る。
清々しいお正月のひととき、、、
失ってしまいました。

「風信帖」を、また臨書してみたくなりました。




 「風信帖」 (ウィキペディからお借りしました)

追記***12/29
 実は昨日書かなかったのですが、
 この作品を表装したら、墨が飛ぶといいますか、
 文字が二重にぶれてしまってました。
 なぜかは、分かっているのです。
 私が墨をするのを手を抜いて、墨汁を使って書いたものだったのです。
 きちんと墨を磨って書いたものと、そうでないもの、、、、、
 見た目はわからなくても、表装するとバレるのでした。
 苦い思い出です。


遠藤周作 作 『深い河』やっと読み終えました

2023-12-27 19:27:48 | キリスト教会
遠藤周作さんの遺言かもしれない
『深い河』(大活字本 上下巻)を
やっと読み終えました。

カトリックの神父さんは、外国人が多い。
遠藤周作さんは、どうしても日本の宗教ではない
外国からきた宗教だという印象を強く持っておられたことが
良く分かりました。

宣教師すべてが、そうだとは言えませんが、
未開の人たちに教える(教えてあげよう、教えてやる)という態度が
見下されているような感じを受けるのかもしれません。
 どうも遠藤周作さんは、そう感じておられたような気がします。

『沈黙』のキチジローや
『おバカさん』のガストン
そこに、遠藤周作さん自身が求めた、真の信仰者の姿があるような気がします。

カトリック教会の幼児洗礼・・・
親の信仰を押し付けるのは、やはりおかしいし、無理がある。
信仰は、自分で選んで決断するもの。

遠藤周作さんの苦しい求道者の姿は、気の毒に思っています。

『深い河』の最後の大津は、死んだ、、、から危篤だ、、、に変更されていることが、残された原稿で分かったそうです。

そこに希望の光を残したような気がします。

大津は、司祭、神父になりたかったが
日本的なキリスト教の解釈を捨てきれず
司祭になることをずっと延期されていたのでした。

マザーテレサの「死を待つ人の家」の存在感が、
より強く感じられました。
不可触民(アンタッチャブル)の人たちを看取ること。

すべての人が平等であるはずなのに
すべての人を神さまは愛しておられるのに

人はすべての人を愛することを求められる
「汝の敵を愛せよ」
最近、敵とは、自分の苦手な人を、愛することができますか?
と問われているような気がしています。
 神さまから愛をいただかなければ、それはできません。



 大船フラワーセンターの蓮 
  (親愛なる教え子 杉浦譲治君からお借りしました)

 蓮の花は、仏教的だと言われますが、清々しいその姿に教えられます。
 偽善ではなく、真実の愛を求め続けたい