かつて銀昆で…

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Bonnie Raitt

2023-10-25 10:45:14 | 日記

最近、Bonnie Raittをよく聴いてる。

いい雰囲気、いい演奏、歌がいい。
最近、何か大きな賞を受けたとき、姿を見た。
カッコよかった。
おれより7歳年上の蠍座の女だ。
 

YAMAHA・FG-240

2023-08-22 06:11:46 | 日記

YAMAHAFG-240に新しい弦を張る。

なかなかいい音で鳴る。

久しぶりに弾くと、柔らかい、いかにもフォークソングを奏でるギターだということに気付く。

このFG-240は数々の銀昆の舞台で活躍した。

まだヤマザキヒデキが劇音楽の作曲を担当する前までのことだから、

1980年代前半だろうか。


煙草=タバコ=莨

2023-05-26 10:58:21 | 日記

やめた今でも、夢の中で煙草を喫っていて、「うまい!」と思ったり、「あゝ、また喫いはじめてしまった!」と後悔することがあるという話を聞くが、おれは一度も夢に煙草が登場したことがない。やめることに抵抗も苦しみも優越意識も何もなかったからだろう。

肺病になったのは10年くらい前のことで、一週間入院した。退院して、というか入院途中に病室を抜け出して、OMMビルの地下にあった生活菜館というコンビニで購入したのがこの煙草である。

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3〜4日ぶりに喫ったジタンはうまかった。クラクラした。それから何年かして肺がんになった。手術を言い渡され、入院した。その前から身体の調子が良くなくて、仕事もうわの空気味だった。当然、煙草が喫えなかった。

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手術して、傷口がなかなかひっつかず一ヶ月を超える入院生活になり、常に点滴などの管を身につけていたから抜け出すことも出来ず、しかし、階下のコンビニまでは行けたから、コーヒーとドーナツ、新聞は買いに行けた。病院のコンビニには煙草、酒類は置いていないのである。ま、当然かもしれないけどね。

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そんな生活を40日以上続けていると、煙草のことは気にならなくなった。そのままフェイドアウトという感じだった。

今思うのは、どこか公共の施設に入場したとき、そのあたり一帯が禁煙だと表示されていたら、「あゝ、喫煙者でなくて良かった」と思うくらいだろうか。人が煙草を喫っているのを見て、「うまそうに喫うなぁ」と思うことはある。家に灰皿、ライターはまだある。捨てることはないだろう。


夢記録「研究者になる」

2023-05-09 10:21:50 | 日記

なぜかおれは白衣姿で採取されてきた植物を調べる作業をしている。
朝ドラの影響か?そんなに見ていないのに。
花ではなく草の類で、紫露草やイヌフグリなどありきたりの植物だ。

その後、白衣のままクルマで出かけ、かなり高い山に行く。
山道にクルマを停めると、「標高1746m」の標識が見える。
(どこかにこの標高の山があるだろうから調べてみよう……
調べた結果:村上山(群馬県)、岩黒山(高知県)がそのようだ)

おれは道の上に立って、採取された鉱物の調査をはじめる。
石英や石灰岩、黒雲母など、やはりありきたりの鉱物だ。
だが、面白い。そりゃそうだ、普段しないことをしているのだから。
ルーペのような器具を使って表面を見ている。

すると、おれの傍らを小さな生物が列をなしてやって来た。
15~20個体くらいだろうか。

なんだなんだ?
先頭はコガネムシ、カミキリムシだが、
生まれたばかりの犬や猫もいるし、見たこともない哺乳類もいる。
そして驚いたことに人間の赤ん坊もそのなかにいる。
歩いているのではなく、木製の乳母車に乗ってそれは自動運転なのだ。
赤ん坊は5〜6人いる。
「これはいかん!」とおれは思い、山にある研究所に運び込む。
捨て子だろうか?親はどこか?この子たちはどこから来たのか?
警察に届けなアカンな~。
おれは、一緒にいる若い研究者に話しかける。
若者数人は困った顔をするばかりだ。

そこへ、赤いスポーツカーに乗った中年の女性がやって来て、
「あたしが面倒みるわよ」と、妙なシナを作って話しかけてくる。
知った顔の女だが、関わりを持ちたくないとおれは感じていて無視している。
クルマから降りて来た女はひらひらとした服でおれたちの周囲をまわりながら、
乳母車の赤ん坊を眺めて「あたしが、あたしが」と言い続ける。
「もう、いいですよ」と研究者の若者が払いのけるようにいう。
女はへらへらと笑いながら、赤ん坊に手を触れようとするので若者がとめる。
どうしようもない人だなぁとおれは思っている。
こういうことをする人だったんだ……。

そう思っていると、ライターの井上理津子さんが現れた。
先日、おれのラジオ番組に出演していただいたばかりだから記憶の下にいたのだろう。
井上さんは、
「私が面倒みるというか、預かって記録してもいいわよ」と言う。
明らかに彼女が信頼できるので、「ぜひお願いします」とおれは言う。
その後おれは研究所の一室でふたたびいくつもの鉱物の分析作業をはじめる。

なんだか不思議な夢物語だった。


あたらしい言葉

2023-04-18 08:38:56 | 日記

今から11年前……スマホという言葉が世間に浸透し始めた頃だった。

そんなとき、次のような一文を書いてFBに載せた。
 
 
「あたしなぁ、新しいケータイにしよか思てんねん」
「スマホにするんかいな、あんた」
「そうそう、スマホ!それ、おぼえられへんねん」
「スマホが?」
「そうやねん。ほんであたし、今日、フスマいうてしもたわ、きゃはは」
「フスマて……」
「孫に思いっきり笑われたわ」
「そら笑うで」
大阪の地下鉄車内で時々こういう会話に出くわすことがある。
都会なんか田舎なんか分からんようになる。
 
 
当時、スマホという言葉を発語するのをためらう人がいた。
おれの友人である。
彼女は、スマホという響きに「間抜け感」を感じるという。
同様に、「ブログ」という言葉にも違和感を抱いたという。
「ブログって、覚えられなかったの。フロク、ブロック、フクロ……」
たしかにこの言葉も馴染み感がなかったが、
今はすっかり定着している。
 
話の傾向は違うが、
東京の人が地名を略して言うとき、われわれ大阪人は違和感を抱く。
いわく、「じゅく」「ぶくろ」などだ。
横浜を「ハマ」というのはすんなりと入って来るのだが、
新宿、池袋などはどうも「変な感じ」だ。
地名を略すのは大阪人も得意とするところで、
「たによん」「たにろく」「たにきゅう」、
「てんろく」「うえろく」など「六丁目」組もある。
「たによん」は、「がもよん」と同類の「四丁目」組だ。
ただ、「堺筋本町」を「さかほん」とは言わない。
「喜連瓜破」は「きれうり」と現地周辺の人は言うのだろうか。
「野江内代」を「のえちん」とは言わないだろうな。
京都人はあまり地名を略さない気がする。
「北大路堀川」や「西大路御池」「東山三条」とそのままだ。
「きたほり」「にしおい」「とんさん」とか言わない。
神戸人(そんな呼称あるのか?)は最近「にしきた」なんていう。
この「にしきた」、古くからの人には評判が悪い。
 
言葉は進化しているのか、退行しているのか。
どうなんだろうなぁ。