「けころ」という言葉がある。
遊郭ことばで、
吉原からすこし離れた安い遊郭などで働く遊女たちを指すものだそうだ。
彼女たちは次から次へ仕事をしたから、「蹴転がる=けころ」と呼ばれたらしい。
私はこのことばを池波正太郎の『鬼平犯科帳』を読んでいて知ったのだが、
もとより吉原や遊郭、遊女については小説など以外に知らない。
だがこの遊郭モノの小説には面白いものが多々あって、
隆慶一郎の名作『吉原御免状』、松井今朝子の『吉原手引草』、
高田郁の「みおつくし料理帖シリーズ」などがある。
永井荷風にもここのことを書いたものが多い。
こうした物語や随筆から見えてくる江戸の風俗はなかなか面白い。
上方人である司馬遼太郎は江戸っ子の本質について
「自分自身できまりをつくって、そのなかで窮屈そうに生きているひとたち」
と書いているが、これは卓見だと思う。
時節になるとかならず行く場所、することがあり、
衣服はこうで、土産はこれで、挨拶はこうする、滞在時間も決まっていて、
その帰りがけに定まった店でこの料理を食べる……
すべてが決まっていた。
だからその原則がなにかの都合で崩れると、途端に不機嫌になってしまう。
料理屋が閉まっていたりなどすると、怒りだしたりする。
おそらく司馬は池波正太郎を見てこのような分析をしたのだと思う。
実際、二人は若い頃仲が良かった。
それにしても「けころ」ということばはなかなかに辛辣だ。
外れの遊女というものがそう呼ばれていたこと、自分らでも認めていたことを思うと、
〔そういう時代だった〕のだろうが、せつない。
しかしまた、そうした〔せつなさ〕からゆたかな物語が生まれてくるのだろう。