海外旅行券5万円分、ホテル宿泊券、野球観戦チケット、ギフトカード、お年玉年賀ハガキのギフトセットなどなど・・・。
最近でも、東京マラソンウィークスタンプラリープレゼント企画でランステ利用券3回分が当たりました。
で、今回はというと、勤務先で千代田区広報誌を見て応募した、昭和22年「千代田区地図」復刻版が当たりました~。わーい、わーい
千代田区の区制75周年を記念して作った、75年前の千代田区の復刻版地図なんだそう。
地図をもらいに行ってビックリしたのは、200部プレゼント(限定シリアルナンバー入り)のところ応募数が3,399通もあったということ。当選倍率はなんと17倍!うれしすぎ~
この日は地図の引き換え初日だったからか区の広報からも取材を受け、さらにプレミア感アップ⤴︎
広報の方がお二人とも二度見するほどのイケメンだったっていう話はオマケですが・・・。千代田区どんだけ〜笑笑。
今回のプレゼント企画はね、なんだか当たる気がしてたんですよ。
ただ、「広報千代田」を見た人しか応募しないから、応募者数はせいぜい数百通だと思ってたんです。
それが3,000通以上も応募があったとは!
いただいた地図が想像以上にかっこいい! テンション上がる~
和紙風仕上げで、手触りとか印刷のかすれ具合がいかにも古地図っぽい。
昭和22年といえば戦後間もないので、連合国軍総司令部(GHQ)やモータープール(進駐軍用駐車場)、アーミィホール(軍人会館。現在の九段会館)など、アメリカの占領下だった歴史が地図に記されています。
北の丸公園には日本武道館がまだないのはもちろんのこと、以前は東京看守教習所や学徒會舘など政府機関が建ってたなんて初めて知ったよ~。
神田〇〇町がた~くさんあった頃。
地図を見比べるのがあまりにも楽しくて、古地図を片手に街散策してみたい気持ちでいっぱい。
でもでも~、シリアルナンバー付きのプレミア地図は価値が高いから、大事にしまっておかないとね。
こちらの地図に興味のある方いらっしゃいますか~?
千代田区のHPからダウンロードできますのでどうぞ~。
久し振りに訪問したところ、何と、抽選倍率17倍の難関を突破して、稀少地図の当選を勝ち得たとの由、お目出度う御座います!
地図中に赤い→矢印で強調されていますので、「Army Hall, アーミイホール」「第一相互生命館、連合軍最高司令部」などは直ちに判明。しかし、説明文で言及されているものの、矢印での強調が無い「モータープール」は、所在地が皆目不明です。
ご存知であれば、ご教示下さい。
また、「Army Hall、軍人会館」の付近には、如何にも、占領軍の関連部署と思しきカタカナ名義の施設が2点「ミットリホテル」「ノートンホール」が、大きな星印付きで明示されています。
果たして、これらは連合軍による占領体制下に於いて、具体的にはどんな施設だったのでしょう? また、その本来の名称や機能は、如何なるものだったのでしょうか?
もし何かご存知あればで、ご教示頂けると助かります。どうぞ、お元気で。
ブログの写真ではモータープールが入っていなくてすみません。
https://www.city.chiyoda.lg.jp/documents/27970/map_3.jpg
こちらの地図を見ていただくと、皇居・大手門~東京駅の間にモータープールが点在しています。
ミットリホテルとノートンホールは、ネットで検索したのですがヒットせず、どのように使われたかわかりませんでした。
上記の地図を見ると、大手町や丸の内には進駐軍に接収されたホテルや劇場、企業のビルなどたくさんあるので、ミットリホテルやノートンホールも軍関係者が優先して使ったホテルやホールなのかなと思っています。
10月1日に、かつての軍人会館(アーミィホール)である「九段会館テラス」がオープンします。新旧融合の施設を見に行くのが楽しみです。
返信を拝読しました。追加にて紹介された古地図を拝見しますと、確かに、大手町から東京駅に掛けての地域一体に、矢鱈、建物の空白地帯が目立ち、そこに幾つものモータープールが転々と散在しております。
大きな星印が付いた建造物は、ご指摘の通り占領軍が接収し、日本人の本来の利用者を追放して占領軍関係者が排他的に利用していたのでしょうが、当該古地図を詳細に点検比較しますと、面白い推理が浮上しました。
接収された建造物は、ほとんどが「歴史的な遺構」とも呼べるような堂々たる風格を備えた建物です。軍人会館、明治生命館、第一生命館、日本郵船ビル、学士会館、等々です。
そして、それらが集中的に立地した地域より、明らかに東側寄りに外れた地域に、建物の存在すら表示されていないのが空白地帯で、其処にモータープールが集中しているのです。
これは、米軍関係者たちが予め、未だ戦闘中である日本の敗戦前に、日本の敗戦後の占領政策まで丹念に検討した上で、
利用価値の高そうな歴史的建造物は敢えて爆撃せず、米軍などが占領中に十分に利用・活用できるように遺構を残存させた半面、
利用価値が余り高くない建物等は、戦争中に徹底的に爆撃して焦土としておき、占領開始後は、駐車場として活用できるように手筈を整えていたのでしょう。
いやぁ、極めて合理的な思考経緯であり、敵も中々に遣って呉れますよね。お元気で。