窯元日記復活

奈良博三昧『重要文化財 如意輪観音坐像』

なら博三昧『重要文化財 如意輪観音坐像』1躯
木造 榧材 一木造 彩色(剥落) 彫眼 坐像
像高94.9
彫刻
平安時代 9~10世紀 





奈良博収蔵品データーベースから「江戸時代に丹後国の海中より発見されたという伝承をもち、その後、京都市内の回向院(えこういん)に伝来したという。大ぶりの筒型宝冠や眉の連なった厳(いか)めしい表情、奥行きの深い頭部や体軀(たいく)の造形など、平安時代前半期にさかのぼる造像であることを物語る。頭部を真っ直ぐに立てる姿勢も、六臂如意輪観音像(ろっぴにょいりんかんのんぞう)の日本における最古作である大阪・観心寺像に通ずる。条帛(じょうはく)が腹部を幅広く覆い、背面では地付(じつき)にまで達する表現は珍しいが、天台系と考えられる作例に類例が認められる。六臂を有する等身大の如意輪観音坐像。かつては京都市上京区の回向院(えこういん)内の如意輪観音堂に安置されていたと伝える。回向院は江戸時代の創建で、寺伝によれば本像は、寛永5年(1628)に丹後国の海中から発見された二躯の如意輪観音像のうちの一躯といい、のこり一躯はやはり京都市内の善福寺に現存する像(10世紀)という。  本像は各腕を肩で矧ぎ、また両脚の前半部を別材で造って矧ぐほかは、頭部および体幹部を木芯を前方に避けた榧の一材から造り、内刳は全くほどこさない。この古式の構造にくわえ、おおぶりの筒型宝冠を同木から彫成する形式、眉の連なった厳めしい表情、奥行きのある頭部の造形、幅の広いゆったりとした体躯のかたちなどから、平安時代半ばをくだらない製作と考えられる。頭部を傾けずまっすぐに立てる点も、日本における六臂(ろっぴ)の如意輪観音彫像の最古の作である大阪・観心寺(かんしんじ)像に近い。ただし腕の一部が後補のものに換わっており、若干バランスを失っている点が惜しまれる。  本像の表現上のもうひとつの特徴に、左肩からかかる条帛(じょうはく)が腹前を幅広くおおい、また背面でも大きく広がって台座に接しようとしている点があげられる。珍しい表現ではあるが、類例が天台系と目される作例に見いだせることから、本像も天台系の図像に依拠するものかと推測する向きがある。
 (岩田茂樹)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.103, no.133. 

ヒノキの一材から頭体を彫出した、六臂の如意輪観音像。宝冠は漆箔し、体部は彩色仕上げとなっていたものだろう。上半身をまっすぐに立て、思惟(しゆい)手の掌で頬を受ける姿は古様で、観心寺如意輪観音像を思わせるところがある。しかし、連眉(れんび)や眼差しの強い目(瞳に別材嵌入)からなる威厳のある面相、幅広の体躯の表現などは、観心寺像からは隔たり新たな如意輪観音像の展開があったことを予測させる。その点で見過ごせないのは、腹部から脚部を覆う幅広の条帛(じょうはく)は、山形・宝積院十一面観音像などの天台系の像に見られることで、本像も9世紀以来の天台内での図像収集に依って造像された可能性が高いものではなかろうか。  伝来は今一つ明かではないが、かつて京都市下京区の廻向院にあり、丹後の海中から発見されたという伝承がある。そして同じ伝承を持つ像に、京都市上京区の善福寺如意輪観音像が存在し、特徴的な条帛等も共通するのは興味深い。制作期を考えるのに、弧が浅く先が強く曲がる胸の線が天慶9年(946)の京都・岩船寺阿弥陀如来坐像と近いことは参考となろう。

(井上一稔)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, pp.293-294, no.76.  」

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