さぽーと・けあぺん(就労継続支援B型事業所 兵庫県丹波篠山市)

地域の方々と関わりながら、障がい者の方々と一緒に働き事業所を楽しみながら育てて行く日々のお話しブログです。

アクシデント

2019-05-12 09:05:18 | 障がい者、介護

昨日、外出許可をもらい、母と弟と息子、そして私達が一緒に住む家に母を連れて見学に出かけた。
母も夢見ていたサザエさん家族のような生活。
母は、膝に痛みがあり、入院で脚力が弱り部屋の全部を見れなかった。
家の玄関を出る直前に足を滑らせてしまい転倒しかけ、
支え切れず床に倒れる事は、防げたが
足の付け根と手首をぐねり、手の甲に少し傷が出来てしまった。
アクシデント報告書ものだ。
大きな腫れもなく動けたので、母が希望していた芝桜を見に行った。
芝桜は、もう終わりかけで人も少なくのんびりと風に身を任せて過ごした。
時間が止まってくれたらなあと思った。

病院に戻り報告。すぐに検査をしてくださり、大きな骨折は大丈夫との事。
ひとまず安心した。
母は、不思議と私が、あ、これで終わりと気を抜いた時にアクシデントが起きる。
ヘルパーさんは、その時の介助がしっかり終了するまで気を抜いてはいけない。
母だからと気を抜いた自分に反省。
お母さんごめんなさい。

恥をかこう。

2019-05-10 08:50:40 | 障がい者、介護

母の状況は、一進一退。
昨日は、少し体調が良く病院の周りを車いすで散歩が出来た。
昼、小さなそうめんの塊を少し食べれたそうだ。
病院のスタッフさん達は、皆さん本当にいつも心優しい。
患者さんや家族に寄り添ってくれている。
心細い母の気持ちに寄り添ってくださり感謝しきれない。
食べられなくなってきた母の為に、食べられそうな物、
食べたいと思う物を聞いて実現までしてくださっている。
本当にありがとうございます。

私達は、今、4つの山を同時進行で登っている。
母の事、弟の事、引っ越しの事、そして私達の未来の事。
どれも後回しに出来ず正直苦しい。
苦しいからと逃げ出す事も出来ない。
未来の事に関して、昨年末に一般社団法人「ぷらねっと・けあぺん」になった。
それに伴い事務関係でど素人なので日々悪戦苦闘。
お金を出してどこかにお願いをすれば簡単だけれども、余裕も無いので自分達でしている。
県民局、税務署と行く先々で、基本的な事も知らず訪れて、どこでも呆れられて大恥をかいている。
初めての事ばかり、自分達の勉強不足に反省し、頭を下げて学ばせてもらう。
呆れられて大恥をかいているけれど、そんな私達を叱らずにちゃんと教えてくださる。
プライドがあるから恥をかかないようにする。
プライドは、自分自身の中での問題。
自分を良く見せようとしても勉強不足で知識も無いのだから・・・・。
頭を打ち、傷ついた恥は、きっと正しい答を得て必ず自分の身につく財産になる。
恥をいっぱいかいて学ばせてもらおうと思う。


風に訊く

2019-05-09 08:28:31 | 障がい者、介護


自分が母の為にしてきた対応が間違っていたのではないかと不安になり、
父親がそこにいるわけもないのに、風に訊いてみた。

母の知らない土地、病院での生活。
2月から準備を始めていた篠山で新しい家を借りてでの家族みんなでの生活を母は、
家の図面を見てとても楽しみにしていた。
準備は、してきていたのに、どうゆう訳かあと一歩のところで止まって進まなかった。
長年住み慣れた街を離れ、母は私達との生活を選んでくれた。
私に対する遠慮だったのか、それが本心だったのかわからない。
風に訊いてみてもやっぱり応えはない。

母の体調は、先日の外泊以降、毎日凄いスピードで怖い位に変化をしている。
約束していた篠山の生活は、退院が難しい状況になって実現できそうにない。
電車好きな弟を篠山まで一人で頑張って来てもらった。
弟は、「お母さんと3週間会えなくて寂しかった。」と母に言った。
母が一番心配しているのは、たぶん弟の事だろう。
そんな二人の会話を聞き、自分のしてきた事に不安を感じた。
先日、弟が通っている病院の先生から電話があり訪れた。
今まで高血圧だけの通院と思っていたが、
実は、若い時期からの腎臓病があると初めて知った。
この先、弟は、透析治療が必要になる可能性が高い。
母もそれを知り、弟が可哀想と思ったのか、将来を心配したのか、
私への負担を気にしたのかわからないけれど泣いていた。

もらい泣きしそうになるので、「大丈夫やわ、ご飯みんなでダイエット食食べたらいいわ。」
泣いてばかりもいられない。
母が安心してくれるように気持ちを穏やかにしてあげれるようにしよう、
それが私自身の風の答になった。


五月人形

2019-05-05 09:10:41 | 障がい者、介護

26年ぶりに息子と一緒に五月人形を飾り付けしました。
息子が幼稚園の頃、阪神大震災のときに一番重い屏風の箱がタンスの上から落ちて来て、
その時、何故か赤ちゃんの泣き声に起こされ、とっさに息子を抱き起こし
息子は、屏風の下敷きにならず済みました。

落下による屏風の金箔剥がれを見るのが怖くてそれから飾らずでした。
私のおばあちゃんと母が息子の為に買ってくれた思い出の五月人形。
今年は、母に見せたくて飾り付けしました。
今日は、こどもの日ですね。

外泊

2019-05-04 10:50:23 | 障がい者、介護

昨年の昨日、父親の1回目の心配停止から1年経ちました。
父を夜中じゅう救急病棟の待ち合い室で心配し、綺麗な五月晴れの早朝を病院の外で眺めてました。

両親の中でも私は、父親には、申し訳ないけど母親の存在の方が特別です。
お母さんのお腹で過ごした時間があるからか、母の苦労を見て育ったからかもしれません。


2日前に外泊の許可を頂き篠山の家に連れて帰りました。
夜中、30分から1時間おきの排泄で眠れず、母が楽しみしているドライブの為に
早朝からお弁当を作りました。
県立但馬牧場公園を訪れ、子どもさん達に混じって家族みんなでお弁当を食べました。

息子が小さい頃、父親と母親も連れて毎年宝塚ファミリーランドにお弁当を持って行きました。
父親は、このときが一番楽しかったようで、亡くなる数日前に「ひろくんが宝塚で待っているから仕度する」と言ってました。
そのころ以来のお弁当持ちでのお出かけに
母は、「外で食べると美味しい」とよろこびました。
病院に送り届け、前日からの介護疲れも忘れ、
自宅のベットに母がいない風景が何とも寂しく感じました。