荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

一日一捨の巻、20141021。

2014年10月21日 | 華麗な生活に極めたシンプルを


さぁ、ばんばん捨てましょう。

ところが捨てるモノが無いのです、此れが。

然し乍ら此の儘生活を重ねていったとして本当に渡蘭庫一つ迄モノを減らす事が可能なのでしょうか?

矢張り荒療治が必要なのでしょう。

其れは良く分かっている心算ではあります。

さて・・・。




食卓の脚部を固定する金具とカフリンクスの箱。


遂に自転車を処分したので空気入れも処分と成りました。

とまぁ此んなところです。庶簿いっちゃ庶簿い。



一方、本日の新入り。



身体刷子。最近の若者は垢磨り等を使用せず手で身体を洗う様です。

一応若作りして居る身として真似をしておりました。

ですが矢張り今一つ綺麗に成った感覚が無いのです。

特に背中。

結局購入に至りました。

今のところ満足です。

刷子部と柄が外れるのが便利。

まぁまぁ良い買い物をしました。

ミニマリストの巻。

2014年10月21日 | 華麗な生活に極めたシンプルを


『シンプリストとミニマリストの違い』みたいなネタをウェブ上で散見します。

こういった言葉遊びには興味がないので僕にはどうでも良いんです。

概念そのものがあやふやなのに『俺はミニマリスト!お前はシンプリスト!』とか吠えてもねぇ。

さて、ミニマリスト。

概念はどーでも良い僕ですが『ミニマリストはあくまで手段であって目的であってはいけない』みたいな意見にはいささか引っかかります。

こういったモノ言いは、ミニマリスト云々に限らずよく見聞きします。

自分じゃ気の利いたセリフだと思ってんでしょうね。

『たかが○○』と言うと『されど○○』と返して来るヤツみたいに。

手垢の付いた、なにひとつ心が動かされる事のない言葉。

僕が言いたいのは『ミニマリストなんて所詮目的である』という事です。

【もたない男】でお馴染みの中崎タツヤはまさにモノを持たない事が目的になっています。

極端に言えば禅僧だってそうだと思うんです。

『持たない事』を目的にしない限り、モノが増えてしまう気がするのは僕だけでしょうか?

手段と言ってる限り、常に言い訳を考えてんじゃないの?って思うのは僕だけでしょうか?

ミニマリストでいようと考えるのは、求道と同義ではないかと思うのは僕だけでしょうか?



僕にはミニマリストと名乗ってしまった恥ずかしい過去があります。

まだまだモノが多過ぎる。

もっともっと捨てようと思います。

生きるために。



『人々が努力して手に入れようとする陳腐なもの---所有、物質的な成功、贅沢---は、私には少年時代から卑しむべきものに思われてきました』アルベルト・アインシュタイン(ユダヤの理論物理学者・1879~1955)