これは、3月7日の日記である。
その4日後東日本大震災が起こりブログ更新を控えていたが、記録として残す。
ピシャー!
窓が、突然紫色に染まる。
サンタクルスからバジェグランデまで乗り合いバスで約6時間。
カルナバル(お祭り)期間ということもあり、バスでの移動は予想以上に大変だった。
水風船や水鉄砲を、容赦なくバスにかけてくる子どもや若者達。
時には、色水鉄砲ということもあった。
サンタクルスは夏のような気候だから、窓を開けていないと暑くてたらまらない。
鈍っていた反射神経を存分に発揮し、くる!と思ったらつかさず窓を閉める。
そんなリラックスできない旅路を経験したのは、初めてだった。
それでも訪れたかった場所、バジェグランデ。
さらにもっと訪れたかった場所、さらに3時間のイゲラ村。
バジェグランデのカルナバルは、本当に可愛らしかった。
音楽を演奏する小さなグループがいくつもあり、細い路地を歩きながら楽しそうに音楽
を奏でていた。
お年よりも若者も子どももみんながひとつになって、これぞ地域のお祭りという雰囲気
だった。
大きな都市のお祭りもいいけれど、こんなアットホームなお祭りのほうが私は好き。
人の表情や一体感が、より間近で見ることができるから。
1日目はバジェグランデのお祭りを肌で感じ、2日目は早起きをしてイゲラ村へ。
これまたタクシーでの3時間の旅路は、ガタガタの山道。横を見たら崖っぷちのような
ところから、霧が深くて先がよく見えない場所まで。
振り返れば、ちょっとハラハラしながら乗っていたのに、いつの間にか爆睡してしまう
神経の図太さ。
イゲラ村までの道のりでタクシーが止まり、チュロ渓谷の場所を運転手が教えてくれ
た。
眠気眼で降りてみると、辺り一体に広がる山々。そしてこの渓谷で、ひとりの志士とそ
の仲間が捕らえられた。
イゲラ村で迎え入れてくれたチェ・ゲバラ。その像は、一瞬こちらを手招きをしている
ように見えた。
博物館になっている小さな建物は、かつて小学校だった。
後ろにそっと置かれた机が、これまでの歴史を静かに物語っている。
チェはこの小学校でボリビア兵に射殺されてから、遺体は30年もの間ひっそりとバジ
ェグランデの飛行場脇に埋められていた。
その後元ボリビア国軍司令官の証言によって遺体が掘り起こされ、キューバで盛大に
迎え入れられた。
彼のふるさとは世界の中に、民衆の中に。
ゲバラに会ったこともなければ、どんな人でどんな思いを持っていたのかは本の中でし
かしらない。
けれど私は帰りのタクシーでボリビアの広大な山々を見つめながら、熱い思いに浸って
しまった。
民衆のために生きたこと、生と死が常に自分の中にあるからこそ、誰よりも生きること
に必死だったことに胸が熱くなった。
あのことばが頭をよぎる。
メメントモリ、死を想え。
「死にたい」のと「死を想う」のはちがう。
「死を想う」からこそ「生」が鮮やかに見えてくる。
人は本当にちっぽけだけど、必死に生きるからこそ美しい。
人の力は本当にちっぽけだけど、そのちっぽけな力を必要としている人たちがいる。
金に流されるな。デマに騙されるな。
先進国だろうが発展途上国だろうが、人間の弱みはどこにだって共通する。
そして人が考えを持ち判断するには、学びが必要だ。
いまのわたしには意見はあっても、判断し主張する力、あるいは起こった現実について
受け入れられるほどやわらかな心、深さはない。
けれどちっぽけであり弱き自分を認め、一生学び続けたい。
そんなことを考えながら、また「生きる」ことに希望を持つ。
その4日後東日本大震災が起こりブログ更新を控えていたが、記録として残す。
ピシャー!
窓が、突然紫色に染まる。
サンタクルスからバジェグランデまで乗り合いバスで約6時間。
カルナバル(お祭り)期間ということもあり、バスでの移動は予想以上に大変だった。
水風船や水鉄砲を、容赦なくバスにかけてくる子どもや若者達。
時には、色水鉄砲ということもあった。
サンタクルスは夏のような気候だから、窓を開けていないと暑くてたらまらない。
鈍っていた反射神経を存分に発揮し、くる!と思ったらつかさず窓を閉める。
そんなリラックスできない旅路を経験したのは、初めてだった。
それでも訪れたかった場所、バジェグランデ。
さらにもっと訪れたかった場所、さらに3時間のイゲラ村。
バジェグランデのカルナバルは、本当に可愛らしかった。
音楽を演奏する小さなグループがいくつもあり、細い路地を歩きながら楽しそうに音楽
を奏でていた。
お年よりも若者も子どももみんながひとつになって、これぞ地域のお祭りという雰囲気
だった。
大きな都市のお祭りもいいけれど、こんなアットホームなお祭りのほうが私は好き。
人の表情や一体感が、より間近で見ることができるから。
1日目はバジェグランデのお祭りを肌で感じ、2日目は早起きをしてイゲラ村へ。
これまたタクシーでの3時間の旅路は、ガタガタの山道。横を見たら崖っぷちのような
ところから、霧が深くて先がよく見えない場所まで。
振り返れば、ちょっとハラハラしながら乗っていたのに、いつの間にか爆睡してしまう
神経の図太さ。
イゲラ村までの道のりでタクシーが止まり、チュロ渓谷の場所を運転手が教えてくれ
た。
眠気眼で降りてみると、辺り一体に広がる山々。そしてこの渓谷で、ひとりの志士とそ
の仲間が捕らえられた。
イゲラ村で迎え入れてくれたチェ・ゲバラ。その像は、一瞬こちらを手招きをしている
ように見えた。
博物館になっている小さな建物は、かつて小学校だった。
後ろにそっと置かれた机が、これまでの歴史を静かに物語っている。
チェはこの小学校でボリビア兵に射殺されてから、遺体は30年もの間ひっそりとバジ
ェグランデの飛行場脇に埋められていた。
その後元ボリビア国軍司令官の証言によって遺体が掘り起こされ、キューバで盛大に
迎え入れられた。
彼のふるさとは世界の中に、民衆の中に。
ゲバラに会ったこともなければ、どんな人でどんな思いを持っていたのかは本の中でし
かしらない。
けれど私は帰りのタクシーでボリビアの広大な山々を見つめながら、熱い思いに浸って
しまった。
民衆のために生きたこと、生と死が常に自分の中にあるからこそ、誰よりも生きること
に必死だったことに胸が熱くなった。
あのことばが頭をよぎる。
メメントモリ、死を想え。
「死にたい」のと「死を想う」のはちがう。
「死を想う」からこそ「生」が鮮やかに見えてくる。
人は本当にちっぽけだけど、必死に生きるからこそ美しい。
人の力は本当にちっぽけだけど、そのちっぽけな力を必要としている人たちがいる。
金に流されるな。デマに騙されるな。
先進国だろうが発展途上国だろうが、人間の弱みはどこにだって共通する。
そして人が考えを持ち判断するには、学びが必要だ。
いまのわたしには意見はあっても、判断し主張する力、あるいは起こった現実について
受け入れられるほどやわらかな心、深さはない。
けれどちっぽけであり弱き自分を認め、一生学び続けたい。
そんなことを考えながら、また「生きる」ことに希望を持つ。