以心伝心 from Bolivia

青年海外協力隊として2年間、ボリビアの小学校で活動。

ゆく年来る年

2011年12月24日 | 日記
                 

2011年8月、岩手県大槌町の海岸。

津波で流された家々。瓦礫が撤去された跡には、もう何もない。

海も町も、ただ静けさだけが漂っている。

そこに咲く一輪の花があった。きっとヒルガオだろう。

ハマヒルガオというのかもしれない。

ヒルガオの花言葉は、「絆」。

その言葉を象徴するように、日本全国からたくさんのボランティアが集まっている。

日本の老若男女、まだまだ捨てたもんじゃない。

自然も人も、いまを必死に生きようとしている。



自分にとっての「生きる」ということ。

それは与えられた環境の中で喜びや楽しみを「見つける」ということ。

それは日々の小さな変化に「気づく」ということ。

それは人のためにひたむきに「働く」ということ。

それは人を「愛する」ということ。

それは命を、平和を「尊ぶ」ということ。

それはとても「有り難い」こと。


                 
 
こんなことを感じながらも、今年はどうにもならないこと、悲しいことも多かった。

反省を繰り返しながら、必死に前に進み続けた。

それでも笑顔だけは心がけた。

今年も終わる。

いつも静かに見守ってくれている家族、ありがとう。

日本で応援してくれている人に感謝。

みなさんにとって2012年が希望の年となりますように。

よいお年をお迎えください。

友だちはいいもんだ

2011年12月20日 | 日記
                
                        今から6年前、インドにて。

わたしには日本にかけがえのない友達がいます。

ボリビアにいるとますます友達の有り難みを感じます。

その中で、ある一人の友達が冬休みを利用して、今週からボリビアに遊びにき

てくれることになりました。最初で最後、ボリビア上陸第一号!

クリスマスや年末年始を、一人で空港で過ごしてまで会いにきてくれるあんた

を心から誇りに思います!

大学時代からの友人である彼女とは、あんなことやこんなこと・・・数々の思

い出があります。

あの頃は二人とも、福岡市の先生になれるなんて思わなかったっけ。

先生になってからもいつか貧しい国に学校を建てたいという夢を持ち、夏休み

にベトナムやインドを旅したり、ストリートチルドレンの施設に行ったりしま

した。

スペイン語を話せなかった時代に、「行ったらなんとかなる!」というB型同

士の適当な性格を生かし、スペインを旅しました。

スペインの港町に着き、大声で「バカやロー(友達)」とか「アイシテル

ヨー(わたし)」とか叫んだなぁ。その当時の心境が思い出されます。

そんな彼女は一足先にエルサルバドルに協力隊として派遣され、その1年後に

私がボリビアに派遣となりました。ちょっと連絡を取りあわなかったことも

あったけれど、また通じ合う。これも「縁」でしょうか。

冒険心が人一倍強い、負けず嫌い、そのくせ寂しがり屋。

いつも強気に見えるのに、人の優しさにとことん弱く涙もろい。

どこでも登ってどこでも跳ねて、動物みたい。

人に元気を与え続ける、笑顔が素敵な彼女。

あゆみの所見の欄があれば、スイスイ埋まっちゃいます。

                
               あんた危ないってば~って言っても聞きやしない。
                
               施設の子どもたちと一緒に。
                
               時にはマハラジャと踊り・・・
                
               時にはラクダに砂をかけられる

同じB型でも違うところはたくさんあって、彼女のほうがわたしよりも遥かに

強い。わたしはけっこう長く考え込むけど、彼女はとことんへこんだらすぐに

消化して前に進む勢いがある。

時には喧嘩もするけど、いつも頼りにしているよ。

こんなわたしたちだけど、ずうっとずっと先生を続けていこう。

              

友達はいいもんだ。

1.友だちはいいもんだ 目と目でものが言えるんだ
  困った時は力をかそう 遠慮はいらない
  いつでもどこでも君を見てるよ 愛を心に君と歩こう
    みんなは一人のために 一人はみんなのために
    みんなは一人のために ひとりのために

2.友だちはいいもんだ 言いたいことが言えるんだ
  悲しいときは励ましあおう 心はひとつさ
  大人になっても忘れはしない 夢を大事に君と進もう
    みんなは一人のために 一人はみんなのために
    みんなは一人のために ひとりのために
               
あの頃と何も変わってないかもね。ボリビアで肩組んで歌うか!

まってるよーー。

チョリータ VS ガリクソン

2011年12月19日 | 日記
                  
                チョリータサンは写真を撮られると魂が抜けるといって          
                嫌がるので、隠し撮り。

実は、レイナの集落でサッカーのチャンピョンシップがあっていて、わた

しもチームに入ることになりました。毎週、集落で女子サッカーの試合がある

のです。田舎でもさすが南米。

とはいえ、チョリータさんと呼ばれる先住民の女性は、痩せているガリクソン

のわたしの1,5倍ぐらいは体重があり、見るからにたくましすぎます。

わたしはもちろんアタックなのですが、この前はディフェンスのチョリータさ

んに思いっきり足首を蹴られ、まだパンパンに腫れ上がっています。

痛いのなんのって・・・。

しかもチョリータさんのすごいのは、スカートでサッカーをやってのけるとこ

ろ。ひっくり返ったらチラリどころではなくドカンと豪快に見えるわけです。

チョリータサンは普段パンツを履かないのですが、さすがにこのときばかりは

履いています。ホッ。笑 

そして12人中3人ぐらいは靴を履いているけれど、やっぱり高いのでみんな

が買えるわけでもなく、ほとんどがタイヤのゴムでできたサンダルでサッカー

をしています。もちろんトレードマークのみつ編みで。

本当に、たくましすぎます・・・。

わたしは靴でちょっとハンディをもらっているのですが、標高3300mとい

うだけでもうヒーヒー。富士山8合目でのサッカーです。

外にいる時間が長いので、耳に日焼け止めを塗るのを忘れていたら、耳が焦げ

て真っ黒になってしまう、それぐらい日差しも強い。

これに参加するのは、けっこうハードです。

女性として美白を守りたい自分。しかし、人間としての好奇心を抑えられない

自分。数分、いや数秒の葛藤の後、人間としての自分に迷いなくGO!!

早っ。だからって女も捨てていませんよ!

ケアをしつつ日本女子代表、ガリクソンとしてがんばります!!

ちょこまか動いて点数を2,3点決めているのでレイナも大喜び。

そしてケイコはもっと太りなさいと言って、レイナがいつもふかしたじゃがい

もをいっぱい食べさせてくれます。

というわけで、恐ろしい敵チョリータさんに色んな面で鍛えられているのでし

た~。ちゃんちゃん。

家族のぬくもり

2011年12月06日 | 日記
タラブコ村の日曜市で織物を売っている、友達のレイナの家へ遊びに行きました。

彼女とは、知り合ってもう1年以上。私の家から30分のところに住んでいます。

               
               ♪ドナドナドーナードーナー荷台で揺られながら・・・

               
                こんな感じの素朴な集落。標高3300メートル。

               
                レイナのお母さんは隣に住んでいて、織物を
                織っていました。

               
                レイナの子どもたちもとってもかわいい。

               
                竹とんぼをあげるととっても喜んでくれました。
               
               クリスマスに向けて、貼り絵でツリーを作った
               り、折鶴を教えました。

ここで感じたことは、家族の温かさです。

本当に子どもたちがよく働きます。

4歳の子が、皿洗いをしたり野菜の皮をむいていました。

包丁を使っているのには、さすがに驚きました。

ちょっと危ないと思ったけれど、お母さんの姿を見ながら学んでいるようです。

「よくお手伝いをしているね」と声をかけると、

「お母さんにいつも助けてもらっているから」と彼女は言いました。

4歳の子がそんなことを言うなんて、あっけに取られました。

親が子を助け、子が親を助ける。

子どもは愛されていることで、幸せを感じているんだとつくづく思います。

喜び、楽しみを見つけ、与えられた中で生きていく幸せ。

なんだか温かい気持ちになりました。

                
                カレーの粉を持っていき、一緒に夕飯作り。
                にんじん、たまねぎ、じゃがいものみ。
                 
                じっくり煮込むことが待てないらしく、ガスボンベの下に
                火をつけて暖め始めました。笑
                こうすると火力が強くなるらしい。

                 
                一つのベッドにみんなで集まってゴロゴロ
                したり、おしゃべりするのが楽しい。

この時期は、マンゴーがおやつです。

シャワーがでなくても、桶でため水を汲んで洗えます。

冷蔵庫がなくても、不自由だと感じません。

私が以前冷蔵庫がなくてきついなぁと思ったのは、日本で生きてきたからでも

あるけれど、それ以上にひとりで食べる夕飯がなんとも心細かったからでは

ないかと思います。今では冷蔵庫のある生活をして快適ですが、基本ひとりで

食べるご飯は変わりません。

誰かと食べるご飯は、特別なご馳走は何もないのだけれど、そこに人がいるだ

けで、人のぬくもりを感じます。

なんだかこのぬくもりに、涙が出ました。

わたしの心は貧しくはないけれど、寂しかったようです。

彼らと接すると、ふっと力が抜けました。

母親として5人の子どもを育てながら生きるレイナ。

先生としてボリビアの子どもを育てながら生きるケイコ。

歳も近い二人。どちらも苦労はあるけれど、どちらも喜びがあります。

自分にないものをたくさん教えてくれるレイナ。

肝っ玉母ちゃんのレイナを見ていると、私もいつかそんな母ちゃんになりたい

と思いました。

マンゴーをかぶりつきながら、歯の間にたくさんの繊維をつまらせて笑う。

そんな家族が、理想の家族。

夜はとても冷え込んで寒かったけれど、心は温かいままでした。

布団の中で姉妹たちとくっついて寝ました。

ダニにいっぱい噛まれたって、幸せな気持ちに包まれていました。

朝の5時。タラブコ村へ兄弟たちが織物を売りに出かけて行きました。
                 
                     背中にどっさり織物を積んで。

                 
                 弟は近道ルートで山を駆けていき、お姉ちゃん
                 たちは、おしゃべりをしながら歩いていきま
                 した。

    その後・・・
                 
                 私はというと、恐ろしい敵と対戦することに
                 なるのです・・・。つづく。

ソーランで一つに!完結。

2011年12月05日 | 日記
卒業式前日まで3日間出張があり、学校を離れていました。

出張の最終日、移動禁止で延期になったボランティア総会「虹の架け橋」も無

事に開催することができたくさんのボリビア人が来てくれました。
(後日紹介します!)

いつも8時間は睡眠を取るわたしが、出張中は様々な準備で約4時間、どっと

疲れがでました。

これでホッと一息。かと思いきや、任地に帰った卒業式前日、延期分の「分

数」ワークショップを開催し、間違いなくホッと一息・・かと思いきやその後

にソーランの最終練習をし、子どもたちを返した後は、はっぴ作りに遅くまで

励んでいました。これが思った以上に終わらなかったんです。

「先生が夜なべ~をして、はっぴーを縫ってくれた~」って疲れた頭の中で

流れていました。

さて、そんなこんなで、卒業式当日を迎えたわけです。

目の下は真っ黒、頭は重いし最悪のコンディション。

でも気合いは十分!

帯をビシッと締めて、浴衣を着ていきました。

スーツを着て指揮するラグビーの監督のような気分で。

学校へ着くと、子どもや親でごった返していました。

失踪していた校長もバッチリいます。笑 理由はここでは話せません。

舞台は整っています・・・が、あることに気づきました。

ぎゃーーーーーーソーランの曲を忘れた~!!!!

子どもたちそっちのけで、家へ向かって浴衣で走るはしるハシル・・。

「こんな時にこんな走りにくいもの着るんじゃなかったートホホ」と後悔。

机にあったCDをもぎ取り、元来た道をひたすら走るはしるハシル。

途中でタクシーがつかまり、歌は始まっていましたが間に合いました。

プログラムを見ると、8番目。なーんだまだまだじゃんと余裕をこいていた

ら、その歌はすでに5番目だったのです。

みんなのめあてを壁に貼り、ソーランの子に集合をかけました。

かけるといっても、人ごみの中から見つけていく感じです。

なんで卒業生なのに席がないのか疑問ですが、とにかく全校生徒でごった返し

ていました。

はっぴを一人ひとりに渡し、一人ひとりめあてを言いました。

私も自分のめあて「心をひとつに!Juntar las corazones!」と叫びました。

すると子どもたちが、「先生も踊ろうよ。ずっと一緒に練習してきたから、踊

りたい」と言い始めました。

わたしは、最後は子どもたち全体の姿を見るほうがいいかなと思っていまし

た。一人ひとりの顔を見れるし、と。

けれど、みんなが「そうしようよ!」とワイワイなってきたので、

「踊っちゃおっか!いえーい!」

ということになり、急いで事務室に置いていたはっぴに着替えたのでした。

あまりのドタバタぶりに、初めて最初の巻きのところでふらつきましたが、子

どもたちのパワーが背中を押してくれました。最後カメハメハの決めのポーズ

までみんな全力で踊ることができました。

完全燃焼!

踊りが終わったあと、一列に整列し「グラッシアス!!」と礼をしました。

一人ひとりと握手をすると、それはもう子どもたちの顔は誇らしげで、わたし

は心から嬉しくなりました。

子どもたちの心に何か伝わったかな、と思っていたら、最後に校長の話で驚く

べき事実が判明!

「バレンティンアベシア小学校は、これまで5年生まででしたが、来年から6

年生までになることが決定しました」

「エーーー!!!!」嬉しさと拍子抜けが混ざった感情でした。

驚きの発表に、保護者も子どもたちもざわついていました。

5年の先生が一番驚いたに違いありません。

ボリビアらしいといったらなんですが、いつもこうなのです。

なので卒業はなくなったわけですが、子どもたちとソーランを通して成長して

きたことは確かです。

ところで、反抗期女子は来ませんでした。

すべての踊りが終わった後に、彼女は来ました。

「ずっと待ってたよ」そう言うと、彼女はちょっと苦笑いをしていました。

きっと迷った末に踊らない道を選んだのだろうけれど、彼女が自主練に来てい

たことをわたしは知っています。彼女なりに精一杯できたんだと思います。

あと一歩、乗り越えられたらよかったけれど、それはまた次のステップに。

わたしもわたしなりに精一杯できたので、悔いはありません。

それでもやはり一緒に踊りたかったというのが本音ですが、それでも人には人

の心のペースがあるから、それでよし!とします。

               
               全員じゃないけど、残っていた子を集め記念写真。
               
               ボリビアで流行のポーズは?というとコレらしい。笑

                 
     ソーラン完結!!わたし早く担任したいッス!!!