卒業式前日まで3日間出張があり、学校を離れていました。
出張の最終日、移動禁止で延期になったボランティア総会「虹の架け橋」も無
事に開催することができたくさんのボリビア人が来てくれました。
(後日紹介します!)
いつも8時間は睡眠を取るわたしが、出張中は様々な準備で約4時間、どっと
疲れがでました。
これでホッと一息。かと思いきや、任地に帰った卒業式前日、延期分の「分
数」ワークショップを開催し、間違いなくホッと一息・・かと思いきやその後
にソーランの最終練習をし、子どもたちを返した後は、はっぴ作りに遅くまで
励んでいました。これが思った以上に終わらなかったんです。
「先生が夜なべ~をして、はっぴーを縫ってくれた~」って疲れた頭の中で
流れていました。
さて、そんなこんなで、卒業式当日を迎えたわけです。
目の下は真っ黒、頭は重いし最悪のコンディション。
でも気合いは十分!
帯をビシッと締めて、浴衣を着ていきました。
スーツを着て指揮するラグビーの監督のような気分で。
学校へ着くと、子どもや親でごった返していました。
失踪していた校長もバッチリいます。笑 理由はここでは話せません。
舞台は整っています・・・が、あることに気づきました。
ぎゃーーーーーーソーランの曲を忘れた~!!!!
子どもたちそっちのけで、家へ向かって浴衣で走るはしるハシル・・。
「こんな時にこんな走りにくいもの着るんじゃなかったートホホ」と後悔。
机にあったCDをもぎ取り、元来た道をひたすら走るはしるハシル。
途中でタクシーがつかまり、歌は始まっていましたが間に合いました。
プログラムを見ると、8番目。なーんだまだまだじゃんと余裕をこいていた
ら、その歌はすでに5番目だったのです。
みんなのめあてを壁に貼り、ソーランの子に集合をかけました。
かけるといっても、人ごみの中から見つけていく感じです。
なんで卒業生なのに席がないのか疑問ですが、とにかく全校生徒でごった返し
ていました。
はっぴを一人ひとりに渡し、一人ひとりめあてを言いました。
私も自分のめあて「心をひとつに!Juntar las corazones!」と叫びました。
すると子どもたちが、「先生も踊ろうよ。ずっと一緒に練習してきたから、踊
りたい」と言い始めました。
わたしは、最後は子どもたち全体の姿を見るほうがいいかなと思っていまし
た。一人ひとりの顔を見れるし、と。
けれど、みんなが「そうしようよ!」とワイワイなってきたので、
「踊っちゃおっか!いえーい!」
ということになり、急いで事務室に置いていたはっぴに着替えたのでした。
あまりのドタバタぶりに、初めて最初の巻きのところでふらつきましたが、子
どもたちのパワーが背中を押してくれました。最後カメハメハの決めのポーズ
までみんな全力で踊ることができました。
完全燃焼!
踊りが終わったあと、一列に整列し「グラッシアス!!」と礼をしました。
一人ひとりと握手をすると、それはもう子どもたちの顔は誇らしげで、わたし
は心から嬉しくなりました。
子どもたちの心に何か伝わったかな、と思っていたら、最後に校長の話で驚く
べき事実が判明!
「バレンティンアベシア小学校は、これまで5年生まででしたが、来年から6
年生までになることが決定しました」
「エーーー!!!!」嬉しさと拍子抜けが混ざった感情でした。
驚きの発表に、保護者も子どもたちもざわついていました。
5年の先生が一番驚いたに違いありません。
ボリビアらしいといったらなんですが、いつもこうなのです。
なので卒業はなくなったわけですが、子どもたちとソーランを通して成長して
きたことは確かです。
ところで、反抗期女子は来ませんでした。
すべての踊りが終わった後に、彼女は来ました。
「ずっと待ってたよ」そう言うと、彼女はちょっと苦笑いをしていました。
きっと迷った末に踊らない道を選んだのだろうけれど、彼女が自主練に来てい
たことをわたしは知っています。彼女なりに精一杯できたんだと思います。
あと一歩、乗り越えられたらよかったけれど、それはまた次のステップに。
わたしもわたしなりに精一杯できたので、悔いはありません。
それでもやはり一緒に踊りたかったというのが本音ですが、それでも人には人
の心のペースがあるから、それでよし!とします。
全員じゃないけど、残っていた子を集め記念写真。
ボリビアで流行のポーズは?というとコレらしい。笑
ソーラン完結!!わたし早く担任したいッス!!!