以心伝心 from Bolivia

青年海外協力隊として2年間、ボリビアの小学校で活動。

解放

2011年10月24日 | 日記
               


子どもたちを体罰から守る啓発を行っている団体が、小学校に話をしに来てく

れました。

ボリビアでは、父親が子どもに体罰を加えるというケースが多く、うちの学校

でも亡くなった校長先生が学校に親を呼んで、説教をしている姿をよく見かけ

ました。

「なぜ警察に言わないの?」とたずねたとき、「父親が警察官だからよ」と言

う返事に言葉がつまったのを覚えています。

子どもが家で体罰を受けていても、誰かに言うとお母さんも体罰を受けること

になるので、表に出ないままになっています。

                

                

子どもたちも熱心に聴いていました。ある男の子は、以前お父さんが暴力を

ふるっていたのでお母さんと家を出たと打ち明けました。



親(保護者)が子どもを育てている間、どんなかたちであれ、子どもが暴力をふるわれたり、むごい扱いなどを受けたりすることがないように、国は子どもを守らなければなりません。

「ユニセフ子どもの権利条約第19条 虐待・放任からの保護」より

ボリビアは、1990年6月26日にこの権利条約に批准しています。



弱い立場の者を守ってあげられるのは、まず身近にいる人々ではないでしょう

か。


さて、やっっと移動禁止が解除になりました。

大陸横断道路は、大統領が建設を凍結すると発表したことで、事態はひとまず

収まりました。

権利を掲げたインディヘナの行動は、人々の関心を集め、国を動かしました。




人は、現実に直面したとき、知性がいかに不十分であるかということをはっき

りと知覚するに足るだけの知性は、与えられているものです。

それでも、永遠なるものに関心を抱くのがいちばんいいでしょう。

というのは、それのみが、人間社会に平和と平穏を回復させる精神の源だから

です。―アインシュタイン

権利を掲げて

2011年10月21日 | 日記
インディヘナ(先住民)の団体はおよそ2ヶ月をかけて行進し、政府機関のある

ラパスに今日辿り着きました。

参加者は女性とこどもを含む6百人ほどのモホ族先住民で、先祖代々、国立公

園先住民地域で生活しています。モホ族という少数民族を主体に1万数千人が

暮らし、狩猟採取と自給農業を営んでいます。

彼らは、高速道路建設のために開拓者が入り込み、自然破壊が進み河川が汚染

され、生態系を含む生活環境が急変することに反対しています。

この道路はブラジルを結ぶ大陸横断道路となり、ブラジルから多額の資金援助

を受けていて、政府側としては中断できない立場なのです。

しかし、モホ族の一部たった600人の行進が、一時はエコロジストや他の先

住民の参加によって2000人に膨れ上がったそうです。

道中、集落で警察による野営の強制撤去で政府が批判を浴び、閣僚2人が辞任

に追い込ました。また、ウイルス性の下痢や高熱の症状が出る者が続出しなが

らも、歩き切りました。やっと辿り着いたラパスで大統領と代表者との直接

対話が行われるそうです。

ラパスに入ると、ラパス市民は拍手喝采で迎えたといいます。

そこがボリビアらしい。




放課後、サッカーをして子どもたちと汗だくになり、お腹が空いて立ち寄った

食堂のテレビからは、先住民の代表が声を荒げて道路建設反対を訴えていまし

た。



ボリビアは、国全体としては南米最貧国の発展途上国ですが、都市と田舎では

雲泥の差です。

ラパスには欧米化を追いかけるかのようにビルが立ち並び、会社で働く人で溢

れています。ここはボリビアか?と目を疑うような光景。

しかし自分の見たこともない世界に住んでいる人のことを、その人たちがど

のように稼ぎどのような暮らしをしているのかを、豊かなものに囲まれ、自

分と同じような暮らしをしている人としか関わらない生活をしている人々は、

考えようとはしないでしょう。

私も、学生時代まではそうでした。しかし最初のカルチャーショックは、教師

になって訪れました。自分の想像とは違う場所で、しかも「先生」と呼ばれ、

全くどうしたらよいか分からずおどおどしていました。

そしてインドを旅したときに、なぜ教育が貧富の差によって平等ではないの

か、子どもたちは等しく学ぶ権利があるはずだ、と感じました。その前に、国

境なき医師団の映像を見たことが発展途上国に目を向けるきっかけでしたが、

やはりインドのストリートチルドレンの子どもたちとの出会いが、協力隊を目

指す原動力になりました。



最近、アメリカンインディアン(アメリカの先住民)の本を読みました。

アメリカンインディアンは、小さな花にも、空飛ぶ鳥にも、そして木にも、草

にも、光にも教えを請います。

大自然に息づく「生」の営みを感じることで、自分たちの生きる「知恵」とし

て生かされています。


権利というのはマジョリティのためだけにあるのでもなけれ

ば、マイノリティのためだけにあるものでもない、人間のためにある、それが

原点だと思うのです。

人は時代と共に、どんどん変わっていきます。

昨日まで味方だった人が、今日はう~んと顔をしかめています。

マイノリティの意見は、効率化のじゃま。

マイノリティの意見は、非現実的。

そんな声が現代では、あちらこちらで聞かれます。

日本の教育現場もそうではないですか?

もちろんマイノリティの中には、権利と称して自分の意見ばかり言ってる人も

います。

ただの暴れ馬で哀れな姿です。

自分もまだまだですが、相手の意見を聞くことがまず大事なことなんだと思い

ます。

どうせ○○したって、無駄やーん。

無駄なんてことを最初から考えている、そこの現代っ子!

それぞれの人間が、それぞれの想いで必死に生きている。

たとえ少数でもそれを見聞きし、考える。

自分の意見を持つ。

行動に移す。

それが人間の権利の過程だと思うのです。


悲しいのは、無関心がマジョリティになるということです。

指をくわえて見てても、見て見ないふりをしても、世の中は変わりません。

ボリビアの先住民はガッツがあります。

600キロの距離を2ヶ月も歩いて、政府まで抗議に行くのですから。

単純に計算して一日平均10キロ。

一日に平均7キロ歩いたといわれている伊能忠敬もビックリです。



一方、こちとら日本の組織。

かれこれ1ヶ月近く、移動禁止が続いとうったい。

日本は、安全第一やもんね。やんわり軟禁、隠居生活。

日本のお偉いさん→何かあったら責任取りたくねぇからよ、動くなよ。

欧州のお偉いさん→何があっても自分の責任だからな、動いていいぜ。

なーんてね。

一日一歩

2011年10月08日 | 日記
今日お休みだろうと期待しないで学校に行ってみると、ちらほらと子どもたち

がいた。

「おおっ!学校がある!やったーーーーー♪」

と思ったら、4、5人の先生たち。

やっぱり48時間ストに同調する先生たちは、来ていないようだった。

その少人数の先生たちで、今日は学校をやるのかやらないのかを議論してい

た。

いまさらかいっ!!(呆)

わたしは、「休校って言ってないんだからやりましょう。でも先生たちがみん

ないないなら、時間を短縮してやりましょう」と言った。

少人数で熱い議論が起こり、結局1時間目までやることになった。

来ていない担任の生徒たちは、せっかく来たのに帰るという不平等な教育。

今回の労働組合のストライキは、インディヘナのデモに便乗している。

手当ての支払い、そして労働基準法の遵守を国に求め、教員や鉱山の労働者が

ストに賛同している。

確かに、先生たちの給料は低すぎる。もう少し上げるべきだ。

でもちゃんと交渉の場に持っていかないと、いつまでもデモをして学校が休み

になり、困るのは子どもたちだ。

政府は、またやってるよって見て見ぬふり。

今はインディヘナの強制排除の批判で、政権を保つことが精一杯なようす。



今日のクラスは・・・時間割を見ると3のA。

「オラー!!」

教室に入ると、子どもたちは5人。

なんだか離島の先生になった気分だ。

こんなときは、かけざんの特訓!

かけざんの意味をみんなで復習してから、8と9の段のビンゴをした。

そのとき、あわてて担任が登場。

「ケイコー!今日学校あったのね。ないと思ったけど、来てよかった。」

ほんと、ないと思ってでも来てくれてよかったです。

担任の登場に、子どもたちも嬉しそう。

それから袋に入ったかけざんカードを配り、2人組で式の答えの大きさ比べ。

対戦ごっこって子どもたち大好きだし、少しずつ早く言えるようになる。

サンドラは、「今度それを作りたいから原本をちょうだい」と言った。

先生たちがつくれるものをもっと提案してみよう。

ないならない中で、できるものを。

作るのが大変じゃないものを。


学校が終わった帰り道、またメルカド(商店)に寄った。

どうしてもロールキャベツが食べたくなったのだ。明日つくろっと。

豚と牛肉を挽いてもらい、次は月桂樹とナツメグを買いに。

香辛料だけを売っているコーナーがある。

しかし、月桂樹とナツメグがスペイン語で分からない。

とりあえず、月桂樹っぽいのを買った。

ナツメグは全くわからなくて、あきらめた。


その後、教員養成所の先生の家を訪問し、面積の授業について話し合った。

図形のスペイン語は長くて難しい。

けれど3月まで、どんどんコラボしようということになった。


そして夜。最近は毎日、ボブディランを聴きながら一日が終わる。

ハーモニカが心地いい。

蚤にかまれた足には、キンカンが気持ちいい。

自分の立場

2011年10月08日 | 日記
「立場は人を変える」と以前働いていた日本の小学校の校長が言っていた。

その時は「そんなもんかな?」なんて半信半疑で聞いていたが、本当にそうか

もしれない。

いまわたしは、「ボランティア」という立場である。

日本では職員室に机を一つもらい、校長から発表されたクラスを一つ受け持

ち、系統だったカリキュラムのもと、学校内での役割が用意されていた。

自分で一から生み出さずとも、提案はパソコンの中に叩き台が用意されてい

る。

会議で自分が発言をしなくても、誰かが発言をする。

いつの間にか、クラスのことにいっぱいで全体の話なんてどうでもよくなり、

その流れにぼけっとのってたりして。

それをあたりまえと思わないぐらいあたまえになっていた。

ここではまるっきり違う。

先生たちには机がなく、集まる場所は椅子のみの事務室。

教科書も決まったものはなく、学年で決めなければならない。

行事は、5日前ぐらいに話し合う。

子どものことをゆっくり話し合う時間もない。

それが日常。

さぁ、そんな中でボランティア。

根本から何かを変える立場でもない。あれもこれも自分にはできやしない。

自分は算数を通して、子どもや先生に学ぶ楽しさ、わかるように伝えていくの

が役割。そこに絞ってやっている。

この子たちが分かるようにするには、どうしたらいいか。

試みる度、新たな手立てが必要だと感じる。

これは、日本で教えていたときの手立ての想像をはるかに超える。

日本の子は日本語が話せる。そして生活のなかで、入学までに色んな経験をし

ている子が多い。

しかしボリビアは、言語が一つではないし、都会から田舎まで生活経験が全く

違う。

「どうしたら分かるかな、どうしたら引き付けられるかな」といつも考える。

うまくいかないからこそ考える機会が与えられる。

一人ひとりを大切にすることは、

きっとどれだけ、先生が一人の子どもたちを知ろうとしているか、向き合おう

としているかだと思う。

わたしは担任の立場ではないけれど、算数を通して向き合いたい。

それにしても、嬉しいのは去年ドタバタ劇場だった一年生が、二年生では落ち

着いて授業を受けていることだ。

みんな同じ先生はいないが、ずっと同じことを言い続け、愛情を持って接して

いる心の豊かな先生は、やっぱり伝わる。

子どもの小さな成長を見ていると、やる気がでる。

一方、五年。

わたしがしゃべってんだから、リュック投げあうな!こま回すな!ってのも、

よくある話。

「なんでできないの!」なんて言葉は、感情の押し売りだ。

生活経験違うんだから、その言葉はないよなって思う。

現実は現場にある。

少しずつ広げていくしかない。

誰も教えてはくれない。

いつも自分でやってみて失敗して、もう一度考えてやってみて、の繰り返し。

ボブディランの歌うように、答えは風の中。あーごもっとも!

先生たちに対しても。「こうやって日本では教えています」と紹介したところ

で、よいものは、出会った先生の心に継続していくはず。残らなければそれま

でだったということ。

だからって嘆くこともない、精一杯やることに価値がある。

今は、自分が新たに創っていくことにこだわりたい。

このクラスの子どもたちに、目の前にいるその子に必要なもの、最善のものを

創ることにこだわる。

よいと思うものに向かって走る。

暇な時間は、教材研究、子どもらを思い描いて。

絶対日本よりやってるし。笑

ボリビア上等!

やるならとことんやれ。できないならやるな。

中途半端な詩人にならないように。

暇な日は

2011年10月07日 | 日記
                

移動禁止に休校じゃ何にもすることがなーい!ないなーい!!

何かしていないと気がすまないのは、典型的な日本人?

それとも性格的なもの?

アパートの料理上手、優しいフランシスカとおしゃべりし、

肝っ玉母ちゃんマルゴッドにはあんたのスペイン語はおかしいわよといつもの

ように怒られて始まった今日。

部屋に戻り、掃除。

そして、料理大好き!というわけではないわたしが、あまりにも暇なので、

食べたかったグラタンを作ってみた。

鳥ももをよく切れない包丁でさばき、骨は大好きな鶏がらスープへ、皮は揚げ

物に。

ほうれん草と玉ねぎと茹でたマカロニに牛乳、小麦粉、牛のチーズを

たっぷり。

器は、ラパスの陶芸隊員やすみさんからもらったもの。

コロンとした形がお気に入りだ。

今度は、山羊のチーズも入れてみよう。

商店にチーズを買いに行くと、うちの学校の子が店番をしていた。

ここの天然チーズは本当に味が濃くて、味付けがいらないくらい。

今日の夜は、教員養成所の先生に日本語をスペイン語になおした教科書を持っ

て話しをしに行く。

そんなこんなで、明日は学校があると思っていたら、48時間ストライキが始ま

るからないんじゃないかと、印刷屋の親父は言っていた。

えーー。やっぱり学校はあってほしい。

学校がない人生なんていやだ!

No school No life、タワレコの決まり文句みたいになってきた。

スペイン語だとNo escuela No vida?

ストライキで、教育が振り回され続けるのは反対です。