田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

小料理屋で懐かしき人々と再会(上)

2024年08月11日 | 遠い日の記憶

 半年前に、行きつけだった小料理屋が店じまいをした。ママさんの高齢が理由で、前年の暮れに地元ネタとして新聞に記事が出た。だいぶご無沙汰しているので迷ったが、昔の同僚から誘いがあり、チョコレートを手土産に出かけることにした。

 1月の暖かい雨の日だった。店が飲食ビルに移転し大きくなってから、訪れるのは二度目である。考えることはみな同じで、職場の後輩だった女性も夫婦で来ていた。誘ってくれた同僚らと昔話に花が咲いた。

 たまたま、その日は新聞記者OBの会合があり、旧知の人が何人も来ていた。みんな久留米駐在時代は店の常連であり、閉店を惜しんで集まっている。落語好きが嵩じて自分の高座名をもつMさんや、いつもにこやかなNさんがいる。彼の奥さんは記者でありながら司法試験を目指していた才媛で、うちは女房の方が出来がいいと、嘆きとも自慢ともつかぬことを言っていたものだ。物静かな風貌で、ママさんの相談相手になっていたSさんも来ている。懐かしい人々である。当時の記者たちはもう現役を退いて、それぞれのポストに納まっている。

 私が中学生のころ、NHKテレビで「事件記者」という人気番組があった。警視庁記者クラブ詰めの新聞記者たちの取材合戦の物語である。そのドラマに「ひさご」という居酒屋が登場する。各社の記者が息抜きをする溜り場である。

 こんど暖簾を下ろした小料理屋もそのような店で、毎晩のように記者たちが通っていた。報道各社で構成する七社会があり、何かの打ち上げや歓送迎会には2階の畳部屋を使っていた。若い記者の中にはこの店で夕食を済まして帰る人もいた。ある年、ママさんが手料理をお重に詰めてきて、篠山城址で記者クラブの花見と洒落込んだことがある。だがその日は花冷えで石垣の上は寒く、早々に引き揚げてこの店で花見会の続きをした。

 移転する前は昭和の匂いがする日本家屋の古ぼけた店だった。ドラマの店の名は瓢箪だが、この店は小さな鳥だった。年季の入った木のカウンターだけの店で、止まり木が七、八人分しかない。店前の電飾看板には「おふくろの味」と書かれていた。いつもはママさんと、姉さんと呼ばれている年配の女性が厨房におり、時には親戚の娘も手伝いに来ていた。私の記憶に残る思い出は、この昔の店の時代のことである。

 カウンターに座っていると、元記者のIさんが硝子戸を開けて入って来た。久留米に来て飲む処がなくなるじゃないか、とぶつぶつ言っている。転勤族の彼等とは浅い付き合いだが、色々な思い出がある。

         フリーフォトより

 

 

 

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