この盆に東京の長男家族が帰省して来た時、小学生の孫娘が2階の物置からギターを抱えてきた。長年、ハードケースに仕舞いこんでいたクラシックギターである。
私の世代は「禁じられた遊び」を弾きたくてギターを始めた人が多い。中学校の音楽の授業中に先生がこの映画の鑑賞を勧めたことがある。映画館で上映されていたのだろう。まだうぶだった私は題名を聞いてどっきりした。テレビでこの映画を観たのはずいぶん後である。
高校に入ると父がギターを買ってくれた。連れて行かれた先は古道具屋だった。爪弾くと太鼓をたたくような音がする。それでもギターには違いない。有難く頂戴した。フォークソングが流行り、ベンチャーズ、ビートルズとエレキブームが始まっていた頃である。後にロックミュージシャンになったAさんが新聞部の部室にエレキギターを持ち込んで練習していたが、エレキの音には馴染めなかった。
大学では同じ下宿の京大生がギタークラブの部員だという。彼に刺激されてアルバイトで金を貯め、夏休みで帰省した折りに楽器店で新しいギターを買った。だが大きなケースを抱えて京都に戻り、彼のギターと弾き比べてがっかりした。手にした時の重さが違うのだ。彼のギターはクリアな乾いた音を出す。私のギターは鈍い音である。値段相応だろうが、プロとアマの道具の違いのようなものだった。
それでも彼からアドバイスをもらって練習に精を出した。楽譜から音符を拾い出していくと主旋律が浮き出てきて、伴奏となる音が奏でられる。音楽を造形するような楽しみがあり、毎日練習をした。ある時、当時の京都会館大ホールでの京大ギタークラブの演奏会に出かけた。下宿の彼は後方の合奏パートにいた。
練習曲をこなしていて翻然と悟ったことがある。それは私が手仕事に向かないということだ。指が短いのである。いや私の指が普通なのかもしれないが。曲の難度が上がっていくと、開いた左手の指が指定のフラットに届かない。届いても、しっかりと弦を抑えることが難しい。子どもの頃から手先が不器用だったが、その理由が納得できた。いつだったか、高校野球のピッチャーをしていた従弟と手を比べたことがある。二人の掌を合わせると彼の指が1センチ長かった。
孫娘が青春の引き出しを開けてくれたような気がして、ギターはそのまま居間に置いていた。次に帰省した時に一曲披露するため、練習しようと思ったのである。だが、結局もとのケースに戻してしまった。飽きっぽい私の性格では埃を被った飾り物になりそうな気がしたのだ。
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