goo blog サービス終了のお知らせ 

Farmers Plant Seeds

🤳《不易流行》🤳あしたの詩を唄おうよ…🎵

 故郷は遠くにありて・・・忘れかけてた【遠い背景の記憶】原点回帰[66]【喪家の狗】 

2022-07-19 | こころの旅
JPEG0915-0073~0915-0080 P-144~P-156
富島健夫が文壇に登場するのは、昭和二十九年に第三十回芥川賞候補となった
【喪家の狗】からである。
 昭和二十五年秋に父親が亡くなった後、福岡県から上京し翌年、早稲田に入学し
てまもなく丹羽文雄の門をたたき彼が学友と計画していた同人誌の誌名を「街」と名付
けることを許された。創刊当初の「街」は早稲田の英文科学生を中心に出されたもの
で、丹羽も処女作「秋」を発表した由緒ある同人誌であった。
 この「街」に富島健夫は作品を執筆すると同時に、やがて「文学者」への加入をみと
められる。そして昭和二十八年十二月号の「新潮」同人雑誌推薦特集に、「街」の
代表として【喪家の狗】を発表したのが、芥川候補となったのである。この時の候補作
は、計十篇あったが、受賞作はなかった。しかし「文学者」に加入してまだ日の浅い、
二十二歳の富島健夫の作品が選ばれたことは、彼の才能を示す何よりの証拠であ
ろう。・・・・・尾崎秀樹(評論家)の解説文より・・・・・
 大学卒業後、河出書房に入社し、同社から書下ろし刊行した【黒い河】が話題と
なり、さらに河出書房の倒産をきっかけに故郷へ一次帰省した後、執筆生活に入る
のである。その頃の状況、が【故郷の蝶】の作品の中に描かれている様に思える。
 さらに、青春小説の書き手としてマスコミで活躍し始めてからも、【喪家の狗】や
【黒い河】のもつ、人間の欲望を凝視し、それをリアルに描き出すといった視点は、
失われていないように思われる。米兵相手の朝鮮人ポン引きを描いた【喪家の狗】
や【黒い河】には、異色の素材を扱っているようですが、そこには富島健夫自身の
資質の一面が視られ作家への原点とも思えてならないのである。
・・・・・【黒い河】は、昭和32年松竹にて映画化された。・・・・・

 [新潮 昭和28年12月掲載) 実業之日本社=昭和56年9月25日初版発行版]






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする