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 故郷は遠くにありて・・・忘れかけてた【遠い背景の記憶】原点回帰[207]【あゝりんどうの花咲けど】 

2023-12-01 | こころの旅

    あゝりんどうの花咲けど (昭和40年学習研究社「美しい十代」10月号P90~97)
第二章:佐千夫の目は燃えた。玲子は本能で、佐千夫の感情のあらし
      を直感した。玲子は目を閉じ、佐千夫の腕に力がこもる・・・・・・・。
 今回は、【あゝりんどうの花咲けど】編集版【2】P22~P25 (原本P92~P93)の紹介です。
 ふたりの交際は急速に親密になった。もはや、おたがいはおたがいの生活の一部になりつつあった。夜、勉強を終えて
眠りにつくとき、佐千夫は閉じたまぶたに、玲子の像を思い描いた。玲子は布団の上に正座して、口のなかで佐千夫へ
の「おやすみなさい」をつぶやいた。朝起きたとき、佐千夫の意識にまっさきにうかびあがってくるのは、玲子であった。
玲子もまた、机のなかから佐千夫の写真をとり出して「おはよう」を言った。
 まだはっきりとことばに出しての愛の誓いはなかったけれども、それを暗示しあるいは象徴する会話や態度は、幾回と
なくくりかえされた。「授業中、ふっとあなたのことを思うの、胸がほんとうにいたむのよ。それで机にうつぶしちゃって、
みなにあやしまれちゃった」それが愛情の表現でなくてなんであろう。「疲れて、なまけそうになったときは、きみを思うん
だ。ふしぎに元気が出てくる」
 ふたりは、いつも会えるわけではなかつた。恋人どうしというものは、毎日でも毎時間でも会っていたいものである。別れ
た直後にでも、もう会いたがっているじぶんを認めるものなのである。その思いにくらべて、学校がちがい住む町がちがう
ふたりは、会う機会はあまりにもすくなすぎた。
 それだからなお、会っている時間は、貴重であった。その時間いっぱいを最大限に生きたかった。ある日、ふたりは最初
の握手をした。佐千夫のてのひらのなかで、玲子の手は小さくひえていた。やがて、並んで海に目をやるとき、手を握り合
うようになった。佐千夫の体温が伝わって、玲子の手は次第にあたたまってゆく、そのときふたりは、たがいの存在を、
じぶんの生きている世界でもっとも大きく重要なものとして意識していた。
 会う回数がすくなくその時間はかぎられている。だから、はじめての恋に夢中になつているふたりは、世間に対しては
あまり気を使わなかった。じぶんたちの交際がたがいの家庭で認められているという自信もあったからだ。
 ある日、並んで歩いているとき、玲子の教師に会った。玲子は顔をあからめただけで、かくれもせず、あいさつした。また
あるときは、クラスメートに会った。近所の人たちとも、よくすれちがう。ふたりとも、気にかけなかった。気にかける必要は
なかった。
 友だちの間で、評判になりはじめた。うわさはわずらわしい。と同時に、妙にうれしくもあるのだ。節子が玲子に言った。
「紹介してよ。そしてあたしは、その人の友だちを誘惑しちゃうから」佐千夫の友だちの大橋が、佐千夫の肩をいきなり
どやしつけた。「おまえみたいな人間ぎらいにこの前歩いていたようなすばらしい女の子ができるとは、世の中はへんな
もんじゃ。紹介せい。その子の友だちでもひっかけてやる」佐千夫のクラスの女生徒は、うわさをたしかめ、美貌の玲子を
見て、敵愾心を燃やした。「機会があったら、愛川佐千夫のやつ、ムシっちゃおう。わが香原高校に、まるで美人がいない
みたいじゃないの」
 人々の反応はさまざまであったけれども、一様にふたりの交際をうらやんだり祝福したりしてくれた。ふたりの仲には、
外部からの圧力はなかった。「この前きみとしたしそうに歩いていた香原高の少年、なかなかの秀才というじゃないか」
 玲子の教師はそう言って玲子をひやかした。女子だけの高校だが、男女交際は禁じられていないのだ。「人格と自由
の尊重」が、玲子たちの学園のモットーであった。
 佐千夫との交際で、玲子は大人びた。動作も、めっきりと女らしくなった。人生や社会に対する考え方で学ぶ点も多か
った。佐千夫には、人生への大きな野心がある。その野心がうらやましかった。またそれが佐千夫の魅力を引き立てて
いる。
 佐千夫もまた、玲子と交際しはじめてからいちじるしく変化しはじめていた。もう彼は、以前ほど、母と岡本謙三との仲に
ついて神経をいらだたせなくなった。おおらかな気分になってきたのである。
 「ねえ、かあさん。このごろ岡本さん、ちっともこないじゃないか。ひさしぶりに碁でいじめてやりたいのにな」母にそう言
い、母がうれしそうにうなずいていそいそと電話をかけに行くのを、(おふくろも、案外魅力的な顔をすることもあるな)と、
笑顔で見送ったりした。そして、あらわれた岡本謙三と一局だけ碁を打って、あとは気をきかしたつもりになって、ひとりで
散歩に出かける。それまでの佐千夫にはなかった変化であった。(もう今のぼくなら、再婚に反対しないよ、かあさん)
 心のなかでそう言いはじめた。やがて高校を出て、東京へ行こう。そのときは、母は再婚すればいい。そんなことも考え
るようになった。進学についても、考えがあらたまってきた。玲子は大学へ進むのだ。東京の女子大を志望しているとい
う。一学期の成績表を無理に見せてもらったが、すばらしかった。おそらく合格するだろう。(彼女は進学する)(東京へ
行く) 「ね、いっしょに行きましょう。あなたといっしょだと、心細くないわ。玲子もそう言う、人間、学歴などはどうでもいい。
その考えは今も変わらない。けれども、玲子が大学に進んで高い学問を身につける以上、佐千夫も大学に進みたい。そ
れは、理屈ではどうにもならぬ願望であった。ふたりで同じ東京の空の下に住む、それはすばらしい空想ともなった。また
、からだのあまりじょうぶでない玲子を遠くへ離すのは、不安でもあった。「進学することに決めたよ」佐千夫は母に告げ、
教師にも報告した。
 目標は、定まった。佐千夫は、好きな文学書を閉じた。これはしばらくお預けだ。合格してからゆっくりと読もう。猛勉強
が、はじまった。玲子も本格的に勉強しはじめた。ふたりの会う機会は、さらにすくなくなった。ふっと、不安になるときも
ある。ただがむしゃらに会いたくなるときもある。
 あるとき、夜のバスで、佐千夫はふいに玲子の家を訪れた。用はない。ただ会いたくなったからだ。思いがけぬ来訪に
、玲子は目に涙を浮かべてよろこんだ。「さ、おあがりになって」 「いや、もう帰る。きみを見て、気が落ち着いたよ。若津
町行きの終バスはあと五分しかないんだ」受験生という立場、学校や住む場所がへだてられているという事実。それらの
障害が、ふたりの心を逆に強く結びつけていた。

 次回は、【あゝりんどうの花咲けど】編集版【3】P26~P28 (原本P94~P95)を紹介します。



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