キー子のブログ

「一日、一日を楽しく&愉快に&素敵に&大切に過ごしたい!」そんなキー子のブログです!

断・捨・離

2020-02-10 22:08:35 | 思うこと

「断捨離」は

作家のやましたひでこさんが提唱した言葉かと思いきや

少し違うみたいです。

断捨離は、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、

ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用し、

断:入ってくるいらない物を断つ。

捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。

離:物への執着から離れる。

として、自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。

ヨーガの行法が元になっている為、単なる片付けとは異なるものとされている。

1976年にはヨガの本にこの「断捨離」という言葉が使われていたということです。

しかし・・・

私たちはやましたひでこさんの言葉で知りました。

2010年に流行語大賞にノミネートされたということだから

かれこれ10年ですか・・・

日本は 戦後モノのない時代を経て

不要なモノは「もったいない精神」で捨てられないまま

新しいモノが欲しい「物欲」も大きくなり

気が付けばモノにあふれ

今必要なモノが見つけられないような状態になり😥

だからまた買って・・・

よりモノがあふれ・・・・

今、気に入って毎週見ている番組があります。

 BS朝日の「ウチ、断捨離しました」

モノにあふれてどうしようもなくなった家の人が

断捨離を決意し

「助けて!やましたさん」と依頼するのです。

「こんなひどい家、見たことないわ」 そう思いながらも

「他人のイエ見て我がイエ直せ」(笑)

自分の家の中にも 散らったままの引き出し、戸棚、・・・なくはない

この番組見ながら

「こんなことなる前に頑張ろう!」と小さな決意をしています。

また 番組の構成が上手いのか・・・

単なるモノの片付けから始まり

 (大体1か月をめどにしています)

断捨離が終わるころには

今、自分にとって大切なことは何か

今、自分は何がしたかったのか

そんな答えが見つかって

前向きに生きていく!というくくりになっています。

断捨離とは本当の自分を見つけることなんだよ

そんなメッセージを送っているみたいです。

洋服も食器も、雑貨も大好きなキー子の家には

たっくさんのモノがあります。

決してミニマリストにはならないと思います。

その一つ一つを愛しているし、大切に扱っているつもりです。

でも・・・

自分の手に余る量になった時には

さよならしていくことも大切だと心に言い聞かせています。

断捨離はきっと「する」とか「した」とかいうものではなく

いつも心の中に置いておいて

ときに心の真ん中に持ってきて

自分と向き合う道具なのでは??

キー子の中ではそんな風に思っています。

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固定電話

2020-02-06 21:11:52 | 思うこと

携帯電話がじわりじわりと普及し・・・

いつの間にやら電話=携帯電話になり

家の電話=固定電話

という名称になっていました

2月5日、朝のワイドショー「スッキリ」で

「固定電話恐怖症」というのをやっていました。

就職した20-30代の社会人が

会社の固定電話をとるのに恐怖を感じるというもので

それほど今の若者は「固定電話」に慣れていないということでした。

NHK朝ドラの「スカーレット」では

家に「電話を引く」ということが夢のまた夢のお話だったのに

私が子供の時には

友達の家に電話をかける!というのは凄いハードルの高いことで

「○○さんのお宅ですか?

△△と申しますが●●さん居られますか?」

なんて使い慣れないセリフを何度も練習して

誰が出るのかなぁ。

お父さんだったら怖いなぁ。

なんてドキドキしながらダイヤルしたなぁ

仲良しの友達

親戚の家

・・・何人も、何10人もの電話番号スラスラ暗記していたなぁ

友達と深夜の電話するために電話線を長ーくしたり・・・

長電話で夢中になっていると

最後には

「いつまで喋ってるの」と母に怒られたり・・・

「固定電話」にまつわる思い出話いっぱいあるなぁ

 

実家の母がホームに入り

生まれ育った私の実家は今、空き家

電気にガス、水道の光熱費にNHKの受信料。

一人暮らしでも多くの固定の支出があるものです。

すべて、そのまま置いてあるけれど

さすがに・・・「固定電話」は解約しました。

一番要らないものだと思ったから

けれど・・・

結婚してからの自分は何度も引っ越しして

電話番号もその都度変わっているのに

生まれてからずーっとずーっと同じだった実家の電話番号を手放すのは

思いのほか辛かった

きっとボケるまで

忘れることないだろう実家の電話番号

この先、

知らない誰かがこの番号を使う日が来るんだと思うと淋しい。

黒い電話機に可愛いカバーを付けて使っていたころ

ダイヤル式からプッシュフォンになったころ

子機ができてコードレスになって

それからファクスもできるようになって・・・

キー子の家の「固定電話」の歴史

キー子の胸にしまっておきます

 

 

 

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「有り合わせ」

2019-10-21 21:15:29 | 思うこと
「有り合わせ」って言葉、最近気にいっています

有り合わせ・・・特に準備したのではなく、たまたまその場にあること。
 〈例〉有り合せの材料で昼ご飯を急遽用意した。


しっかり用意したものではなく、なんとなく・・の意味合いが強いから
あまりいい意味で使われないし、
私が思う「あり合わせ」はちょっと違うんだけど・・・

例えば、
20歳も過ぎた子が彼氏に(別に彼氏は関係ないけどな
肉じゃが作ろう。シチュー作ろう。と思ったら
ネットで引けばクックパッドなどで簡単に作り方出てきます。
スーパーで買い物したら誰でも作れます。

でもね
 買い物行く時間なくて、またはお財布ピンチで
家にあるもので何か作らないといけない
あり合わせのメニューを考えるとしたら・・・
これは・・・知恵というかアイデアというか
色々必要です。

ファッションでも・・・
お店でマネキンが着ている服を上から下まで買うと
それなりなスタイルが出来上がります

でも、手持ちのブラウスやスカートを活かして何かをプラスして
自分の好みのスタイルを作るのは
なかなかセンスが要ります。 大変です。

インテリアも然り
新築の家を買うのは真っ新で気持ちがいい

反対に中古をリフォームするのは
この壁が取り除けない
この柱がなかったら・・・
と思うようにいかないことがあって
苦労します。

「あり合わせ」・・・語源とかないのかなぁと調べるのだけれど
ピタッとくるのが見つからない

 有るものをうまく合わせる
 工夫を凝らして作る

そんな意味違うのかしら??

料理でも、ファッションでも、インテリアでも
 有るものを工夫して合わせていくのってすごく楽しい

特にファッションではそんなこと言って
有るものに合わせて新しいアイテム買っていたら
増えるばかりで
モノを減らせません

断捨離の基本は
「一つ買ったら一つ捨てる」

私もそろそろ「モノを減らす生活」を意識しなければ!と
わかっているのだけれど・・・

樹木希林さんが
「靴下でもシャツでも最後は掃除道具として使い切る。」
と話しておられたのが大好きです。


インテリアでも
「キッチン全部入れ替えましょ
「水回りは新しくなると気持ちいいですよ

そんなセールストークは簡単だけれど
今使えるモノ、捨てなくてもいけるモノは大切に使い切って
もうアカンなっとなったら

 今までありがとう

と言って入れ替えていきたいな

樹木希林さんのさっきの言葉の後半

人間も十分生きて自分を使いきったと思えることが
人間冥利に尽きるんじゃないかしら


 かっこいい

人・自然・モノ
たくさんの出会いがあって
今ある自分の人生の「今、有るもの」を大切に
そんな「あり合わせ」で生きていきたいな








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雑毒(ぞうどく)の善

2019-09-25 23:05:04 | 思うこと
本日は親鸞聖人のお言葉です。

雑毒の善・・お彼岸の法話で教えてもらいました。


ネットで検索して一番わかりやすかった文章をお借りします。

わずかなクッキーを隣家にプレゼントしても、
 「 ありがとう 」 の一言がなかったら、おもしろくありません。

 「 持ってゆかなければよかった 」 と さえ思えてきます。 

 「 あァ、この間のクッキー、不出来だったでしょう 」  と   

   見え見えの礼の催促をするありさまです。 

私たちは、時々、よい行いをするのですが、
  情け無いことに、やったことをいつまでも覚えています。

  これだけのことをしてやった、という意識が残り、
  そのために、何らかの見返り、報酬を期待する心がなくなりません。

   満員電車で、お年寄りに席をゆずったところ、
   なんの礼もなかったら、何を思うでしょうか。
   期待が裏切られたり、満足できなければ、
   腹をたて、してやるのではなかった、と相手を恨みます。

仏さまからご覧になれば、
そんな人間のやる善は、
  毒の雑じった善、雑毒の善、でしかありません。

  


あぁ本当に情けない・・・

「毒の雑じった善」その通り
まんま!!これは私のことだわ


しかし・・・

まことの善はできないのだから、する必要はない、
  と 言うことではありません。

 「 真剣に真実の善を求めようと猛進してごらんなさい。
   真実の善や功徳は、微塵も積めない自己を明らかに
  発見するから、そこまで進め 」 
   と 仏法は教えているのです。 


はいっ!・・・そこまで進め!!ですか。
ネットではそんな締めくくりでした。

しかし・・私たちの住職さんはもっと優しい言葉で締めくくってくれました。

電車で席を譲られた時
「わしはまだそんな年じゃない」とばかりに

「結構です」とか言って断る人を見かけませんか?

自分では要らない!と思っても勇気を出して譲ってくれた人の気持ちも考えないといけませんね。

自分では必要ないと思っていても
そんなときには
「あぁ、自分も席を譲られる年になったのか」と
気持ちよく他人の善意を受け取れるような人になりたいですね


親鸞聖人の意図からは幾分ずれているようにも思うのですが
そこがこの住職さんの温かいところ


次回のお話も楽しみにさせていただきます







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キャッチコピーを考える

2019-09-12 23:37:46 | 思うこと
先日、セミナーに参加しました。
「自分を売り出すキャチコピーの作り方」
講師は元コピーライターのさわらぎ寛子さん

「キャッチコピー」というと
・何かのCMをしたい人が
・一言でインパクトのあるセリフで
・顧客の心をつかむ
というイメージだけれど・・・・

・何も売るものなくても
・相手が顧客ではなくても

日々のメールの一言でも
自分の言葉に「納得」が行かないときってありませんか?

対話や電話はことばが消えてしまうけれど
「活字にする」のは難しい。
同じ「了解!」でも
すっごい「了解っ!」と
「わかったぁ~」という感じと・・・

LINEでのやり取りではそこは種々のスタンプが良い働きをしてくれるけれど
・・・


私はこの「キー子のブログ」を長いこと書かせてもらっている中で
「うぅーんこの表現違うんだけれどなぁ」
「もっと違う言葉ないかなぁ」と思うことがよくあります。

また、もっと悩むのがタイトル
内容はすらっと書けてもタイトルが気に入らないことあります。

別にこのブログで収入を得ているわけでもないし
何でもいいのかもしれないけれど・・・
読んでくださっている人がいることが嬉しいから
気持ちよく、楽しんでもらいたい。
そして・・末永くお付き合いいただきたい

「腑に落ちる」という言葉があるけれど・・・
まさにそんな「腑に落ちる、落ちない」の感覚。
私にとっては
それを突き詰めていく作業の手順を教えてもらったセミナーでした。

セミナーで印象的だったのは
キャッチコピーのゴールは
読み手にどんな気持ちになってもらいたいか?
どんな行動をとってもらいたいか?と一致すること。

という言葉

キー子のブログのタイトルを見て
「ん??何なに?今日はどんな話題なんだ?
ブログ読んで
「ほぉ。面白いこと書いてるやん
・・・・
「キー子のブログ」のゴールはここかな

残念ながら毎回そんなブログが書けるとは到底思えないのだけれど
数回に1回・・月に1,2回(?)は
そんなふうなこと思ってもらえるような
しっかり内容あることも書いていきたいものだなぁ・・・
そのために言葉を練って文章書ける人になりたいなぁ・・・

そんなことを思わせてくれたのでありました。

 これからも「キー子のブログ」をよろしくです。






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