キー子のブログ

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雑毒(ぞうどく)の善

2019-09-25 23:05:04 | 思うこと
本日は親鸞聖人のお言葉です。

雑毒の善・・お彼岸の法話で教えてもらいました。


ネットで検索して一番わかりやすかった文章をお借りします。

わずかなクッキーを隣家にプレゼントしても、
 「 ありがとう 」 の一言がなかったら、おもしろくありません。

 「 持ってゆかなければよかった 」 と さえ思えてきます。 

 「 あァ、この間のクッキー、不出来だったでしょう 」  と   

   見え見えの礼の催促をするありさまです。 

私たちは、時々、よい行いをするのですが、
  情け無いことに、やったことをいつまでも覚えています。

  これだけのことをしてやった、という意識が残り、
  そのために、何らかの見返り、報酬を期待する心がなくなりません。

   満員電車で、お年寄りに席をゆずったところ、
   なんの礼もなかったら、何を思うでしょうか。
   期待が裏切られたり、満足できなければ、
   腹をたて、してやるのではなかった、と相手を恨みます。

仏さまからご覧になれば、
そんな人間のやる善は、
  毒の雑じった善、雑毒の善、でしかありません。

  


あぁ本当に情けない・・・

「毒の雑じった善」その通り
まんま!!これは私のことだわ


しかし・・・

まことの善はできないのだから、する必要はない、
  と 言うことではありません。

 「 真剣に真実の善を求めようと猛進してごらんなさい。
   真実の善や功徳は、微塵も積めない自己を明らかに
  発見するから、そこまで進め 」 
   と 仏法は教えているのです。 


はいっ!・・・そこまで進め!!ですか。
ネットではそんな締めくくりでした。

しかし・・私たちの住職さんはもっと優しい言葉で締めくくってくれました。

電車で席を譲られた時
「わしはまだそんな年じゃない」とばかりに

「結構です」とか言って断る人を見かけませんか?

自分では要らない!と思っても勇気を出して譲ってくれた人の気持ちも考えないといけませんね。

自分では必要ないと思っていても
そんなときには
「あぁ、自分も席を譲られる年になったのか」と
気持ちよく他人の善意を受け取れるような人になりたいですね


親鸞聖人の意図からは幾分ずれているようにも思うのですが
そこがこの住職さんの温かいところ


次回のお話も楽しみにさせていただきます







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