花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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2022年08月27日 | 日記
同じ志を持って医療の分野で
貢献できたらと

  薬学に進学するか?
   医学に進学するか?

     結婚して、育児家事と医学は両立できるほど
            甘くは無いはず、、、

しかし、、男には絶対できない出産、、、
   男の育児、子育てよりは
      母性が味方する子育て
       、、、育児

育児を通して学んだことは大きかった。

青春の大きな選択だと思います。

 その点、、、薬学は

   相手が、緊急を要する、、
    、生身の人間の命を扱う事は
           まれだと思います。

人間として、、、
   人間を産むことが出来る天与の力は

     捨てがたい、、、



    ありがたい能力です。

       


薬剤師になっている女性の何人かは

きっと考えて、、、
   薬学を選んだ人も多いでしょうね、、、

私の場合は、

  年子の兄をどうしても、、、
  開業の後継ぎにしたかった
   両親と、
    長男の強い意志と応援が有りすぎて

   年子の兄は、医師になるのには
    人間の人体解剖が有るから

僕には絶対に、、、出来ない事だと

   かたくなまでに断わっていたのですが

    家庭内のすごい圧力で

父の跡取は、兄一人では
  なにかにつけて
  診断をする医師は
    「孤独」が敵になるので

   お前も、、医師になって、
      地域医療に頑張ってほしい、、、というのが

  主に、、母の希望でした。

しかし、、医師になりたくない、、、

   年子の兄は

  薬学なら、、解剖学が本だけで済むから

    薬学なら、、
     親が良いというなら
     兄貴の薬局をささえて、
      薬品の購入や
   院内情報の、パソコン網とかなら設置できるし
      データーで兄の孤独を支えられると思うから
        引き受けるから、、、と

どちらかというと、、
   音楽が好き
      ピアノも弾けるし

      カンッォ~ネも

            熱唱する、、、年子の兄!
              
         語学が達者
     漫画はプロ級の画力、、、

   妹の私から見ていても、、、
  学門の檻に生涯教育の激務に
  閉じ込められる性格はしていない、、、とお見受け、、、(^^!

まだ私の方が、、、6年生の時、
  クラスの代表で、、食用ガエルの解剖を
    理科の時間にやってのけて、、、
      5の評価をゲットしているから

        死んで、、なお
         ご遺体さまが
          ご自分の身体で
           若き死んではいけない人間を救えるならと
             献体された御体は

          神に許された学習機会だと感謝して

          壱ミリも無駄にしないで、
        学習研究に役立たせていただくことを
        医師になる為の避けては通れない道と
       認識して、医学部に進学していたのなら
      どのような,、洗礼も私は受けると思う。

  しかし、、父が身内の虫垂炎の手術の時
  頻繁に施術するからと言って
  虫垂炎の手術は軽く考えてはならない、、、

      話し出すと、、、年子の兄貴はトイレに行ったきり
        なかなか帰ってこなかった。

       音楽大学を卒業した母とは
         合奏したり、、、
           誕生日に買ってもらったアコーデオンを
            即興とは思えない伴奏つきで
             メドレー演奏するなど
           医師に向いてない性格をしていると
          妹の私は、、、常々思っていた。
      彼なら、、、

緊急の命と向き合うと、、、気絶するかも??

心が優しくて、、、母に溺愛されたからなのか

おおらか過ぎて、、、
   私とは、、ピントがずれっぱなしの人でした。

     人様から好かれるのは、、、、
         この、、、、年子の兄でした。

         

受検したい大学といえば
  本人の希望は{ICU}か
      早稲田の政経、、、

国立大学のような
  全科目に行き届いた能力を
     要求される大学には
       不向きな性格でした。

語学力が抜群で、、

結局、母が、強引に進学に医学部という
     親の希望を出したてまえ、

   文系に行くなら、、、
     せめて、、クスリの購入だけでも
     お兄ちゃんの話し相手になって
      家を継いでほしいと、、、

    薬学なら、、、解剖学は無いからと
     母が、年子の兄の進路にかかわりすぎた感が、、、
       私的には、、感じる者が有った。

   こんな面白いキャラクターの兄だから
    ほ~ておけば、、、面白い進路を見つけて
      がんじがらめの医療家族にも
        春風がふくのに、、、と
          干渉しすぎを、、残念に思っていたが

    私も、なにやかやと、、、
      母のマネキン人形を演じさせられることが多いので

     昭和の初めの医家の奥さんというのは
       開業の家を継続しそこなったら
          生きてゆけなかったのかもしれませんね。

私的には、、、
この親子は、、
  一卵性双生児かな??

人生のステージママになりそうな母でした。

母の言い分を聞いて、
年子の兄は薬学に進学したものの、

卒業すると、外資系の会社に就職して

   30歳までに、資金を貯めて
     ハバロスクから、、一駅ごとに降車しながら
       ロシヤの鉄道を満喫しながら

  モスクワを経由して
    大好きな美術鑑、、、
      エルミタージュにたちより

   フランス、、ドイツと、、、

長い長い旅に出てしまいました。

母は、、、航空便の赤い縞のある封筒に

毎日手紙を書く様子は

  恋人以上の、、心配ブリが、、伝ってきました。

「お母さん!!、Y兄は、
  母さんがうるさく付きまとうから、、、

    ヨーロッパに、
孤独を楽しみに行ってるのだから、、、

    航空便で、雑音入れるの止めたらば?」

私の言った言葉に、
、行き過ぎが有りすぎたのかもしれません。

「お兄ちゃんはね、、、あなたと違って、、優しい子なのよ!!

  ヨーロッパに行ってしまって、、
       私は、、、夜も心配で、、、眠れないのよ、、、」

私が知っているだけでも、、、40通以上のの航空便を
  ポストに入れに行った母でした。
あなたと違って、、、の。。一言は要らないのにね(--!

 3年経っても、、、4年経っても、、、
  兄は帰ってきませんでした。

兄からの返事はドイツから、、、スイスに移動していました。

兄からの知らせでは
   スイスの日赤で 
     医療関係の仕事が貰えて、
       病院で働いているという事でした。

スイスのサンドという会社の正職員をしていたようです。

4年目の外国暮らしも過ぎようとする秋に

長男が、、
「いい加減帰ってこい!!」

大学時代に
父は早逝してしまってからというモノは
兄弟で母を支えながら、

母も、ピアノの「よつ葉会」という

教室のような音楽の会を主宰しながら
 頭の中は、、年子の兄の事ばかりでした。

   「薬剤師の兄を、、ヨーロッパから帰国させるには?」
難題です!。
彼は、周りのイザコザニハ、、、頓着ない所に
本能的に、、
  人生の騒音を避ける
    天然の性質かのように
  私には見えました。

小学校の時に、
対抗リレーの選手に選ばれて
  リレーが始まった時には、、、
どこにも居なくて

補欠の友人が走りました。

その友人はリレーに出たくて仕方が無かったので
兄がリレーが始まっても現れなくて
会場からは居なくなって、

自分が出場すると決まったときは

緊張と感激で輝いていました。

結局、、
皆で探しても、、
   兄は見つからなくて、、、
    しばらくたって,、

栴檀の樹の上の
    枝が交叉して、居る所に登って
      居眠ってしまった事がわかったのですが

   怒る人は誰も居なくって、、、
     先生まで、、、
   天然には勝てない、、、と言っていました。
ともかく、、
ドイツのベースキャンプの住処には
母の手紙がうず高く送られましたが
しばらくは
なしのつぶてでした。

薬局を建てて、
兄や母と
  同居しなくても良いことを
      知らせないと

 「兄は」、
   ドイツかスイスで、、、
   外国のお嫁さんの家に

     入り込みそうね、、、」

幸い、、
年子の兄が働いて貯めたお金の通帳は
お母さんが管理しているんだったら

「航空便で、、、薬局を建てたィ!、
     
長兄とは別居でも良い!と知らせれば、、、」

「のこのこ帰ってくると思うよ、、、」

結局、、薬局作戦、、、
  家からの独立許可作戦が奏功して

4年以上のヨーロッパ勤務生活から
 帰国したとき、、、

  ヨーロッパの美女が、、、兄を慕って

Nipponまで、、、観光を兼ねて、、、
やってきました。

おまけに、、、日本のルフトハンザの会社からも

 ドイツ語に堪能な兄をスカウトに来てくれました。

母は、、、
あっちこっちに
語学力が故に、、

わが社に、、と引っ張られる、、、
   
年子の兄の相手に代理で会いながら、
薬局を開く予定なので、、、
応じられません、、と

兄の心を知ってや知らずか。
ともかく、、

有名な会社だけに、惜しいな~~と
私は思いつつ
母は、代わりに面接して断わっていました。
***************************

    

それからというモノは、
我が家からは、地下鉄や私鉄を乗り換えて
1時間ほどかかる所に

母は、電車駅前、、歩いて5分の商店街近くに
薬局を建てるべき土地を購入して
  帰国した兄と、、、
   とうとう、、、花の名前のついた薬局を開業したのでした。

「僕は父が居なくなって、母が寂しいと思ったから、、、
帰って来たけど、、、
店をするのは、、、向いていないんだよね、、、

店には閉じこもったまま
お客が来ても、、、

買いたいものを持ってってください。
商品の置いてあったところに
お金を置いておいてください、、、

やる気のないことを言いながら
、、、スイスは良かったな~~~

マンガのような思いでの、景色を描いていました。

そうこうしているうちに、、、
近くの短大生が、、、絵を習いに来たり
名門の薬問屋のの薬剤師さんが
仕事で店に来てから、、
数人の女性のお客さんが
兄に、、手製の弁当を届けてくるようになり

兄に言わせると
一番おいしい弁当をツクッテくる人と結婚した。

店の親父を生害するとなると
世界廻って来たことが
個人事業に閉じこもる事が出来るかもしれない、、、なんて

やる気を出すまでは、、
周りは、、ハラハラドキドキ観ていました。

薬剤師にはなると言ったけど、、、
店をやるとは、、言わなかったんだけど、、、

母は ピアノ教室の休みの日は
兄の店に行くのが楽しくて楽しくて
仕方が無いように、、、輝いていた。

医師になる性格の男性と
  薬剤師になる男性の特徴を見てみると、

  医師になった長男との言動をくらべてみましょうか?

医師になた長男は、、、
   自己主張が強く、自分の考えは
   、、、人になんと言われようと曲げないし

   妹の私のことも誤解しているのです。

「お前が女医になると、、、みんなが困るんだよ!
   短大に行って、、早く家を出て行ってくれ!」

親父は,、未亡人の母と、、
      医療施設と、、
        高校生の弟を残して

  僕の肩に背負わせた。

お前を大學ださなきゃならない理由は無い!


兄嫁さんの御意見でしょうか?

 兄のような
ワンマンな男に
   勝てる女性は

フランス仕込みの貴婦人タイプの浪費家で
気に入らないことがあると
テンカンモドキを起こす、、
、女の中の、、女、、、
男はこの手の女性を、、、
ハンカチで言うならば、、、
スワトウのハンカチのように、、、扱うようになる。

実用的には,、、いまいちだけど、、
一緒に居ると、、自分が、、男だ!!て
女性を守ろうとする、、、

科学者のはずの医師たる兄も
この手の女性にかかったら、、、

男と女、、、

女尊男卑が成り立つとしたら、、

 この手のタイプの女性には
さすがの兄も、、、理屈が通らないだけに
、、、ご機嫌捕るしか、、、方法が有りません。

兄が、、勝ち目のない女性に
こちらの筋は通らないのは明白だから

喧嘩になるのはごめんなさいのタイプですから、、、

ご無理ごもっともと、、、
長年住み慣れた私の部屋を明渡し

入院病棟の3畳の布団置き場に
私のものが、、
無断で移されていた。

ドレッサーは その日のうちに
兄嫁のロッカーになっていた。

残念だったのは、
カバヤキャラメルを買いまくって集めた
カバヤ文庫の40巻以上の
世界名作全集と
日本初のカラーマンガ
「砂漠の魔王」の全巻を
無断で兄は
愛車のセドリックに積んで
古本屋の言うままに
二束三文で売ってしまって、

片づけるのは大変だったと

恩掛けてきたことが

腹が立つ次元では無かった。

、、、この家も、、、とうとう、、、
学生時代に知り合った
兄の彼女に乗っ取られてしまったか、、、

こんな我儘、、続けていると、、、
四面楚歌になるかもしれない、、、と。
逆に、、兄たち二人の
恋の病の深さが心配になってしまった。

母はちゃっかり、、
自分専用の離れ母屋を
庭のど真ん中に、60坪の敷地を確保してつくり
グランドピアノと弟子の使う
アップライトのヤマハのU-型を
2台設置して防音ブロック壁で囲って
真田丸を設置して住んでおいたのは、、、
さすが、、、
母も、、、やるな~~~!
      


私なりに、、
未亡人になった母が心配で、

大学病院に勤務していましたが
  教授に紹介していただき
    大學関連病院の薬局に勤務替えして
      結果として、、、
  自宅から徒歩15分の総合病院の
次期薬局長候補として、勤務に雇っていただき
母を守る人になれると、思ったのでした。

その病院には
当時、、食道がんの手術なら、、、日本一!と
マスコミでも評価されたDr.が,アルバイトのように
不定期に、手術に来られていました。

あれから55年以上は過ぎてゆきました。

昭和20年~前は

今更始まった事ではないですが、、、

女の子は必要ないという空気が満ちていました。

男の子3人の為の
五月人形の5段飾りが有りましたが
女の子の3月の雛祭りは

母が買ってきた、、、キューピーさんが一人、、、

ピアノの上に飾るだけでした。
目がおおきくて
お雛様とは、、、真逆の趣味ですが
キューピーさんて、、
可愛いと思いました。

とりわけ、、
あっちのうちでも
  こっちのうちでも
   女友達は
お雛様を飾っていたので
       
我が家の,、ショウキサマが
5月に
髭面を床の間に見せてくれることが
私的には、、、
男兄弟に
仲間に入れてもらえたようで

飾りつけを手伝っていた。

楠正成や桜の木が
京人形というのは実に緻密にできていた。
切れ長の目も、、、美しかった、

綿を真っ赤に染めて

松明の火としゃれ込んで
五月人形の飾りつけは終了だった。

私は、、無意識に、、、
  自分は
   弟よりも
我が家では
  クライ?。。地位?。。
   存在感が下ではあるが

   男兄弟の中で、、、自分も男のつもりで

いつも,、お詰めの座で
末席の世話をしていたような気がする。

庭の池をつくる時だって
セメントをこねて手伝った。

   
母のピアノ演奏会の日は
母の言うなりの役をこなした。

役に立つ人間に成ろうといつも、、、頑張っていた。
女性とは、、、
そういうものだと持って、、、
男兄弟という

母から見て、、、絶対の

愛の対象者は

大切にしなければ
母が傷つくのではと思っていた。

日本の家庭の位置の順番なんて、、、
こだわる様な、、、
重大な問題では無かった。

医師になったとしても
女の子は
よその家に行ってしまうから、、、ね。

嫁に行った先には
都合がいいかもしれないが、、、
医師にして、、嫁に出すなんて、、、
やっぱり、、本命は、、弟でしょう!!

***************
************

カラマゾフの兄妹や
嵐が丘を読んでみると、、、
外国文学の兄妹って、、、

ねじれているよね。
  

 24歳のうちに、、
生家を出ようと思ってしまった。

全て、、、
父が早く死んでしまった事が
長男を
追い詰めてしまったのだとおもえた。

父が早く死んでしまったという事は
家族の心が、、
貧乏になってしまうのかもしれないね?
兄貴の、、武者震いするような
力以上のものを預けられた、、、恐怖は
そうとうな「心のプレッシャー」^だろうと

妹に当たり散らすことで
落ち着くのなら、、、

強い世間には
小さくなっているしかない、、、
可愛そうな、、、駆け出しの、、、兄!

兄嫁みたいな、、、
極楽とんぼには
医師の世界の
「実力勝負」の厳しさを
考える事は出来ないと思えた。

医師になったばかりとは言え
義姉からすると
頼もしい、、、大将に思えたのだろう、、、ね。

医師の妻なんて
外野にも入ってない、、、ネット裏の観客みたいな
医療業界では
免許集団なので

何らかの医療に関する国家試験や、、看護師免許など
取得しないと、、、
権力の座は、、、
通用しない、、、病気の現場である。
 
義姉にはそれには気が付かないだろう、、、

我が家の職員に相談されるのが
小姑というのも
、、なんでなのか?
義姉には理解できないと思った。

 
私が去るのが
一番いいことだと思った。

出番ばかり多くて、、感謝されない立場というのは
空しいものがある。

必要とされない家からは出よう、、、
必要とされる、、、
仕事人の人生を生きようと思った
結婚して遠くに行こうと思えたきっかけになった。

お母さん、、ごめんなさい
私の力では
あなたのような怪物は、、、
守れませんでした。

兄のビュフェのような
尖がった神経で
母の環境だけを維持してもらえれば
母は音楽の先生として
国立音楽大学という母校が付いているから、、、
私は、、、去る時が来ました。

お母さん、、あなたなら、、、
お兄さんも
勝てないはずですよ。

あなたを世間から守って見せるのが
兄の、、
ポリシイでしょうから、、、

私は去ります。


戦争のさなか、、、
3人の子供を
戦場近くの病院で失った母は

3人の子供の小さな御位牌をもって 
   手を合わせながら
   お手伝いさんが
  担当してくれる
  家事全般の監督や、

ピアノ教師の仕事をしていました。

    

戦場近くの父の病院は鉄筋の総合病院で
日赤の提灯袖の看護婦さんが
ズラーと並んだ写真が残っており

真ん中に、、、交叉した日本の旗が有り
旗を背に、、
幼い長男を抱いた
口ひげを長く伸ばした
父が映っているのに
母は、、、の、、写真医は残っていません。

父の名前の掲げられた戦場近くの総合病院は
戦地には外科の医局が無くて、、、
実践できる父の病院が、、、
大學の医局に
  外科が無かったことから
     外科の医局の代わりを果たしていた
       父の個人の名前が付いた
         現地では珍しい鉄筋の高層病院だったそうですね。
終戦の一年前
  帰国許可書を持って、
     戦場近くの病院まで
       日本から迎えに来た祖父の助け舟によって

最後の「転落船」に乘れたそうです。
一握りの「外科の鋏、、メス.。コッフェㇽ、、などの手術器具」

    長男の手をひき、、、年子の兄を背負って
   カンパンや、一握りの食べ物を持って
    父が、くれた結婚指輪は

     日本に向かう連絡船の中で
      臨月の母体を休める席を譲ってもらうのに
         プラチナの結婚指輪をさしだしてしまったという母。。。。

    戦争の真っただ中で生きた昭和11年から19年の

     魔の逃避行は、、、
   母は、幻聴にさいなまれたそうですよ。


  戦場から、、、日本に帰って来れた父母の

    稀有なる生還の様子です。

このような、、、異常な緊急事態の中で
   お腹に居た私は、、、
   日本に引き上げるのには
     
全くじゃま!!!
   、、、と言っていいほどの
        タイミングの悪さで、
     母のお腹の錘のような、、、
         母の逃避行を邪魔する
           とんでもないお荷物だったことが

    前年ですが、、、この、、私の、、運命だったようです。

   この子がお腹に居なかったら、、、
   日本へ、、引き上げるのには
   どんなに楽だったか、、、!
   お腹の中の私が、、、
どんなに重荷だったか、、、
   日本委到着してからも、
    臨月の母体を休ませる乗り物の中の席取り換えに

思い出野ブローチも、婚約ダイヤも
  サンゴの帯留めも、、、
全部、、束の間の席の確保の為に
   差し出してしまったそうです。

 精根尽き果てた姿で
   8歳の長男と
    一切の年子の兄と、、連れて

   やっと日本に到着できても、
   母乳が出なくなった母を
私の存在そのものが
  窮地陥れてしまったのでしょう。

防空壕の中では
  泣いた赤ちゃんは
    観方の日本人に口をふさがれているうちに
 死んでしまったそうです。

母乳の出ないお母さんが、陣痛が来たのは
串本の、、、防空壕の中!!

焼夷弾の攻撃が始まった日本の空は
B29の轟音が、、、
   ごんごんごんごん、、、と地響きのように
空に響き始めると

 Nippon庶民は、、、防空壕に逃げ込んだ時代でした。

    
 母の疎開を邪魔する存在だったのだろう、、、

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