10月の連休は、冬に向かう紅葉の様に
北海道の庶民の多くは
エネルギーを戸外へ戸外へと、、
放出する連休であることは
コロナの感染を避けて、
動き回る、、、78歳の婆ちゃん事
花鳥風月の、、、kikoか
当然、、早朝出陣となる。
札幌郊外の、、、大学通りの
マーケットの駐車場は
(我が家の主人はまだ
白川夜船で、、、ぎっちらこ,、、の時間だというのに)
もはやぎっしり、、、車が入る空間は
3車のスペースほど,、、だ!
「 コロナ感染など,、、どこ吹く、、、風 」の、、、
若者ゾーンで有った。
このマーケットは、、安い、、が、、
敢えて、密を避けて、、、、もう少し先にある
大型の、、巨大マーケットの地下駐車場に入店。
最上等の駐車場なのに、、、
がらんどうの早朝の買い物客!
連休まで、、、炊事洗濯カタズケ、、、して
タマルもんですか、、、!!
650円前後出せば、、
上等の京風盛り付けの弁当が有る、、此処!!
4種類の弁当と、
焼きたての、、カボチャパン、、野菜パン
もう一つおまけに、、、ポテトパン
北海道のじゃが芋を一度味わうと
虜になる、、、、美味い!
じゃが芋は、、連休に援軍!!といえますよね!
北海道は富良野、、、懐かしのTVの舞台の広大な平野
そこの「じゃが芋」を、
帯広の「江戸屋さん」が
「じゃが芋、、バタバタ」と,、、名づけた傑作品
じゃが芋をバターで茹でて、、、
真空パックにした物!!
連休などの、、、オウチャク料理にはもってこいの味!
デザートフォークの先で、穴をあけて、、、
チーンするだけ
500Wのレンジで、、、2分!!
そういう訳で、、、朝からTV漬の婆ちゃんです。
(^^V
行動することの大切さは、、、
理屈抜きの本能で知って育った
南紀の疎開先の自然の不思議、、、
しかし、、78歳は、、、暇さえ見つければNHK!
教育は生き残りの武器だから???
≪本当は、、、教育は、、、もっと高度なビジョンで
自分だけの感性と、、、ぶつ切りの深い専門性と
ちょっとやそっとの、、、独学では
歯が立たない理論の伴った小技の技術から
生涯かけて、、常に精進とチャレンジと実践で
お金のもらえる腕になって
その時は、、、人間としても、、、多くの人と共感できる≫
君が居るから、、、僕も居る
周りが有るから、、
自分の存在価値も感じられる、、、
専門教育を通して、、、
やっと謙虚に、、、
周りを見渡せるようになった、、、24歳の頃、、、
いわゆる、、
人間社会では「
秀才」とか「頭がいい」とか
一目置かれるが、、、
そういう若者の、
プロの免許取りたての頃は
優秀ゾーンと言われる教育科目分野の中で
「 切り取られた専門分野」に
没頭する7年間の大学教育は
多分に、、、
「社会性」も切り取られていて
ゆったり、、豊かに余裕のある時間で
友と、、登山、、、友とお喋り
映画100本、、、
ダンスも、、日舞も、、、歌舞伎にも、、通い
銀座に出ては、、
銀巴里のシャンソンに酔い
越路吹雪の舞台を、、、追いかけ、、、
下宿に帰っては、、、
狭い3畳で、、
鏡相手に、、、
後姿の肩を揺らして
真似をする、、、
理科系の女子大生の、、、婆ちゃんにも
若いころがあった。
東京には13歳の時やってきた。
東京には24歳でさようなら。
78歳になって思い出すのは、、、
登山をしたこと、、、
南紀の川で遊んだこと、、、
流れてきた丸太を集めて
筏を作り、、、、
淵に来て、、やっと
筏にしがみつくのを、、、
解放されて
深い,、みどりの淵の底で
大きな魚が泳いでいるのを見た時、、、
自分も、
イカだの上のカメになったような気がして
淵に飛び込んで、、手足バタバタしているうちに
スッカリ浮くことをおぼえて、、
川遊びを楽しめるようになった、、、
幼い日、、、
たくさんの野山をかけ廻った13歳まで、、、
爺ちゃんの、、、おかげで
世界遺産に登録される前の
「高野山」にも、、、登った。
ケーブルカーが有るのに、、、
爺ちゃんは、、、
「ここは女人禁制」、、と言ってな、、、
ここから先の坂の段々は、、
女性は昇ったらいかんという
「男尊女卑」という、、、
日本の掟が有ったんだよ。」
「日本の、、男尊女卑、、、ね~~~。」
男は女から生まれて来て
男の人は、、、
お母さんにはかなわないのに,、、ね。
努力という字を分解したって
女性の又には力が有り、、、それを力という。
女がいなけりゃ、、、人類は絶える。
男は、、一人、、、いればよい、、、
そういう考えも成り立つが、、、
日本には、、島国という
男が主役の漁業で、、、
皆はご飯を食べてきた。
遠洋漁業と言ってな
一度漁に出ると、、、
壱年も2年も帰らんことも有った。
女は、、子供を留守の自宅で、、
男が居ない自宅で出産して
夫が帰ってくるころは、、、
子供は、、、よちよち歩いていた。
和歌山も、
昔はそういう漁師も多かった。
遠洋行業で、、クジラも捕獲していた。
船乗りは、、、
アメリカ目指してアメリカに行ったものも結構多かった。
海は広いな、、、大きいな。。。
「水脈の流れ」は、、、海任せ。。。
逆らって、、、
泳いで帰ろうたって、、、
そうはいかない
自分が自分なのか
自然そのものが本物で
その時の環境に投影した自分が
刻々と、、姿を替え乍ら
、、、、、、自分なのか??
私自身という、、、
学校の授業の様な
「 自分が主」という
「主」を創ってしまっては
周りの大自然からの
光を巻き込んだ舞台が、、、
受け取れない。
例えには、、かなりの無理があるかもしれないが、、、
大好きだったシャンソン歌手の
「越路吹雪さんの舞台衣装」は白だった、、、
「白の衣は」
「全ての光を主役にする」ドレスだった。
シャンソンの、、
「歌の心のイメージカラー」で
舞台を
光の語り部に、、、お任せして
「 観客の自発的な感性に任せる歌」を
肩で歌いながら、、、
後姿が素敵だった。
あの時の、、、
不思議な満たされた感情は
押し付けられたものではなかった .
あらかじめ、、演じる者の表現を、、勉強しないとワカラナイ
歌舞伎の舞台とは、、、主役が逆転していた。
コ~ちゃん!!、、と声がかかる。
主役が客席の感性に転換された、、、呼び声だった様なきがした。
南紀で育った13年間が、、、、
北海道一人ぼっちの
結婚生活を、、、、
それなりにクリヤーさせてくれてのは
自分も、、旦那も、、、
大自然の
一個の路傍の石かもしれないと思える、、、
100年未満の人生。
南紀の山川、、海、、岩、、生き物、、、
サンショウウオなんか、、、
人間より昔に居たような
したたかな、、、面構え、、、
川、、、
渦に巻き込まれ
川底に持って行かれ
浮かんでこれなくなりそうになった
恐怖の子供時代、、、
渦は生き物だと悟った。
渦は地球の命令で動くから、、、
人間は叶わないと思った。
父と母と、、那智の滝に行った時
スゴイ、、、
「霊感」を感じた。
滝の水の中に、、
お坊さんのような人が見えて
しばらくすると、、、
それは錯覚だったとわかった。
地球が出来てからの時間を
滝の音が伝えてくる。
人間の何倍もの時間を知っていると
水音で伝えてくる、、、
自分が主役では無かった、、、、
疎開地の13年!
周りの、、膨大な、、長い時間の作品を
自然の中に見出した、、、一枚岩、、や、、三段壁
100年で『体験は出来ない。』
教科書にして、、、
体験したような言葉にして
わかった事にしてきた、、、
学校教育の
「生きる為の決まりごと」は、、、
「 いつも人間が主役」の、、、
合理化された、、、
教科書で覚えた、、切り取られた知識の集積。
「教科書は、、正しい」という事に決めた。
しかし、、実生活には無味乾燥な表現で
応用するには、、
個人個人の体験での裏打ちされて生きている知識に変えないと
教科書を暗記して、、、
決まりごとの指導者になれる人間を
有名大学は「合格」という。。。
〇×式の正解か、、、誤解で
人間の進路のコース分けを大雑把にしている様な気がする。
「人の上の人をつくり、、、、」
社会という
人間の活きる100年で、
廻り舞台になっている時代の創る価値を終わらせ
価値観を次の時代に、一分の軸を残しながら
替え続けられるシステムの
合理的な、、、
「領域の有る方程式」にして
「人生の、、決められた枠内」の、、
「決められたルール」で
競わせて、、、次の代に入る、、
101年目からは
これからの100年を構築する為の
屋台柱の家系と、、、
歴史がつくりあげた
大黒柱を残して、、、
スマホを中心の、、「情報社会」にしてゆく。
「 情報を操る頭脳」が、、、
リーダーになってゆく。
思い出は、常に甦り、、常に普遍の時を思い出させる。
何万年単位でつくりあげた、、自然の山河への畏敬の念!
山信仰が、無言の経典を
雷になり、、、雨になり、、光になり、、、票になり、、
突然の嵐になる。
疎開地の13年間の体験は
山信仰という、、、
「人間の、、、路傍の砂利んこにも満たない
100年の、、、オレオレが、、、」
気絶しそうな長い時間を生き続けてきた
地球の息吹を感じるとき、、、
信仰という言葉で置き換われないもっと別の何かによって
畏敬の念が、
自分という、、
小さな、、、
束の間の活きてる時間の
生きる為の闘争を、、、哀しく受け止める。
人間がつくった宗教が云々という、、
人為的な視点ではなくても
山々の中を歩きながら、、、
気絶しそうな長い時間を生き続けている
山道から見える、、、
岩、、、
瀧...
植物、、、
鉱物に
それらを材料に構築された天然の芸術、、、
この雄大な、終わりのない,、、
季節ごとに変わる景色を
無意識のうちの、、、
「芸術」という言葉で、、、
自己認識する意外に
表現のすべがない。
自然の芸術には
色彩,、造形、風、 香り、、、
季節ごとの空の舞台、、雲の演出
時には月明かりの中の幻の世界、
人間が、限られた100年で
限られた空間に
描き切れるとは、、思えない。神のなせるわざ!。
「神」という、、言葉以外に、、思いつかない。
神が、、何であるかは、、、私は知らない。
ワカラナイが、、畏敬の念を抱かせること
それを、、、私的には,、
@「神」@と呼ぶことにします。
人間の、、とるに足らない100年も
子供から孫へと、、、継続することで
山をけずり、、、
川をせき止め
海を埋め、、、
自然を壊滅させた空間に
コンクリートを積み上げて
「都会」を出現させる。
何代も引き継ぐことで、、、
自然との対話を続けてきたつもり。
山は、、ビルの山に邪魔されて見えなくなって、、、
川は道路の下を走り
生き物は、、、
人間に選ばれし、、、生き物だけが
水槽の中で、、、
「インテリヤ」として
飼う事で
心を癒す為の、
人間の僕の魚として、、、、
子供の目をよろこばせ、、、
あたかも、、
自然を征服したように見える、、一部分。
よ~~~く,、、よ~~く、
考えてみると、、、
生き物は自然に合わせて,、、
自分の方を変えて適合している。
人間だけが、、、自然をぶっ壊し
自分好みの緑地帯をつくり
ドバイの砂漠地帯も
スキー場に変えられる、、、問答無用の
オレオレ、、、俺様文化でしょう?
TV漬の婆ちゃんは
疎開地の13年の、、、
実践からの体験が有ることが
TVの画面から、、、
現実を想像して
洞くつ探検の画面など、、、
ワクワクしながら、、、
現実的な想像が、実体験をしているが如くの
TV探検のスタッフになったような
錯角の中で
TVの、、画面が,、、
実体験したかのごとく重なってしまう。
白浜の三段壁の、、
熊野水軍の船の隠し場所の
海辺の洞くつで、、、遊んだ体験が
ハマユウの白い大きな花と重なって
遠い外国の洞窟のTV画面を実際の体験感覚と重ねている。
今朝は、、、
「猪子俊之」さんの、、、
「光の芸術」の番組を見乍ら
古代都市
「メッカ」を舞台に、、
光で伝えようとしている
体験と、、環境とのかかわりを
したたかな、、
天地丸ごと、、
科学丸ごとの視点を
パソコン時代が生んだ
新しい感性の光芸術だと思いながら、、、
このシーンは
観る側、、、受け取る側が
山信仰並みの、、、
自然との共生体験が無いと、、、
花火のように受け取るかもしれないと
そんなことを考えながら、、、
大自然と、、
芸術と、、
光と、、
パソコンと
人間の「主体無き主体」と、、、
受ける側の、、、
「時間空間」と
量子力学的なセンスの視点と
太古からのメッセージを
聞き取れる
自然との対話力と、、、
多くの力が無いと、、、
猪俣俊之さんの光の芸術は
ややもすると、、、
きれいだね~~~
新しさを理解する総合力が、、、見る側にあるという事は
体験という、、
大自然と時間軸をからませた師匠から
感性という、、
、持ち前の動物性を開拓できれば
、表現しようとするものが
伝わってくるのかもしれないと、、、
現実を、、
光の粒子が、、
描けるという
壮大な試みが、
、始まっているのですね、、、
お茶の間の、、、78歳の、、、頓珍漢な頭の
私こと、、、、言えるほど単純ではありませんが
一部、、感じる感想を、、、
日記帳に書いておきました。
花鳥風月、、、をいつも意識しながら
自然お腹に
生かされている謙虚さを
復唱させられながら、、、
化学、、科学、、、数学、、、理科系の
「切り取られた知識の教育」で
型にはめられてしまった
人間界の,、、まじめすぎる主婦が観た
「猪子寿之さんの、、、今朝のNHKTV」の
頓珍漢な視点の、、、お茶の間の考察でした。
鳴門のうずは、、、光を吸いこみ
時間を吸いこみ、、、
人の歴史をつなぎ目から切り離し
石ころにして、、
波でけずり、、、
渦しか見えない光の粒子にしてしまった。
スマホの時代の、、、
全てを体験しない日本人の、、
指先の操作人生が
大自然音痴が、、、
大量生産される時代が来た。
そのような、、、
スマホ家畜を餌にして
支配できる頭脳の持ち主が
創り上げた、、、
崇める物事を
切り取り教育で
価値づけて、、、
秀才とレッテルを付けて、、
神の使いと位置付けて
指導者にしてゆく、、、未来が、、
そこまでやってきましたね。
スマホ人間の、体験そらずの新時代は、、、目の前です。
統一する尊敬は、、、どこからやってくるのか?
スマホを通しての、、U-チューブでの
資格を利用した洗脳なのかどうか??
画面と言葉だけで、、、
「魔術をかける価値観」が山積になる日も近い:
フェイクニュースと現実との間で
頭の中の一部の知識が 切り取られて
知識で分類しようという誤差の中で
正解を出せる、、、体験と実践と経験からくる感は
退化して、、指先で済ます知識の分類の棚の
パターン化した答えを探す
想像力は、、借りものだらけで、、、
どこから借りたかもわからない知識でうまる日も近い。
確かに、、、体験教育が必要な時代が来ました。
coronaで知事こもっている毎日は
足が歩けなくなりそうです。
足が退化しています。
日記帳を書いている指先は
TVを見乍ら、、、電話をかけ乍ら、、、
雑音の中で、、、文字を印字してゆく、、、不思議な次元?
ウクライナの美味しい小麦で
パンを食べていた国に、、、
ウクライナの体験国家の農業を、壊してしまう
ロシヤの侵略戦争の危機は
未来の教育を、、、
地球の時間、、
地球の命
小麦の収穫できる風土と習慣
体験学習で、、、
何が大切か教えないと
スマホの指先で、、、
「核爆弾をスイッチオンしてしまう、、、人間」が
何万年もかけた、、地球の時間の作品を、、壊し、
ウクライナの人々の歴史を破壊してしまう。
スマホ人間。パソコン人間の感性で
価値観が、、、
人間主導型になって
統治できる博愛のない人間の限界を自覚していない者たちが
支配者になろうとするとき
100年に満たない、、
人間修行の人格形成の為の時間は
あまりにも、、、短くて、、
プーチンさんは、、、大帝になるには
人間形成の為の時間が短すぎたのでしょう、、、か?
世界中から見て、、、支配するための侵略は
科介し家内という、、、
危機感と、、、
未熟で、若すぎる途上国に
うっかりと、、、間違った英雄の姿を
伝えてしまったとしたら、、、
子供の教育を間違ってしまった親のように
いったんストップして、、、
多くの、、大人の意見を持った、、、
先進国の知恵を借りるべきだと思ったりしています。
破壊戦争は、、、、
もはや、、する時代は遠く、、過ぎたと
思えるのです。
本当に価値あるものが、、壊されて、仕舞う
黙示録に
世界の幕が、、
あけられたとしたら
この世は終わってしまいます。
戦争を辞めさせて、、、今なら間に合う、、、
自転車人生の、、、正平さんの
足の筋肉こそ、、、
地球と時間の手ごたえを知っている
人間の大切にしなければならない、、、番組かもしれませんね。
北海道の庶民の多くは
エネルギーを戸外へ戸外へと、、
放出する連休であることは
コロナの感染を避けて、
動き回る、、、78歳の婆ちゃん事
花鳥風月の、、、kikoか
当然、、早朝出陣となる。
札幌郊外の、、、大学通りの
マーケットの駐車場は
(我が家の主人はまだ
白川夜船で、、、ぎっちらこ,、、の時間だというのに)
もはやぎっしり、、、車が入る空間は
3車のスペースほど,、、だ!
「 コロナ感染など,、、どこ吹く、、、風 」の、、、
若者ゾーンで有った。
このマーケットは、、安い、、が、、
敢えて、密を避けて、、、、もう少し先にある
大型の、、巨大マーケットの地下駐車場に入店。
最上等の駐車場なのに、、、
がらんどうの早朝の買い物客!
連休まで、、、炊事洗濯カタズケ、、、して
タマルもんですか、、、!!
650円前後出せば、、
上等の京風盛り付けの弁当が有る、、此処!!
4種類の弁当と、
焼きたての、、カボチャパン、、野菜パン
もう一つおまけに、、、ポテトパン
北海道のじゃが芋を一度味わうと
虜になる、、、、美味い!
じゃが芋は、、連休に援軍!!といえますよね!
北海道は富良野、、、懐かしのTVの舞台の広大な平野
そこの「じゃが芋」を、
帯広の「江戸屋さん」が
「じゃが芋、、バタバタ」と,、、名づけた傑作品
じゃが芋をバターで茹でて、、、
真空パックにした物!!
連休などの、、、オウチャク料理にはもってこいの味!
デザートフォークの先で、穴をあけて、、、
チーンするだけ
500Wのレンジで、、、2分!!
そういう訳で、、、朝からTV漬の婆ちゃんです。
(^^V
行動することの大切さは、、、
理屈抜きの本能で知って育った
南紀の疎開先の自然の不思議、、、
しかし、、78歳は、、、暇さえ見つければNHK!
教育は生き残りの武器だから???
≪本当は、、、教育は、、、もっと高度なビジョンで
自分だけの感性と、、、ぶつ切りの深い専門性と
ちょっとやそっとの、、、独学では
歯が立たない理論の伴った小技の技術から
生涯かけて、、常に精進とチャレンジと実践で
お金のもらえる腕になって
その時は、、、人間としても、、、多くの人と共感できる≫
君が居るから、、、僕も居る
周りが有るから、、
自分の存在価値も感じられる、、、
専門教育を通して、、、
やっと謙虚に、、、
周りを見渡せるようになった、、、24歳の頃、、、
いわゆる、、
人間社会では「
秀才」とか「頭がいい」とか
一目置かれるが、、、
そういう若者の、
プロの免許取りたての頃は
優秀ゾーンと言われる教育科目分野の中で
「 切り取られた専門分野」に
没頭する7年間の大学教育は
多分に、、、
「社会性」も切り取られていて
ゆったり、、豊かに余裕のある時間で
友と、、登山、、、友とお喋り
映画100本、、、
ダンスも、、日舞も、、、歌舞伎にも、、通い
銀座に出ては、、
銀巴里のシャンソンに酔い
越路吹雪の舞台を、、、追いかけ、、、
下宿に帰っては、、、
狭い3畳で、、
鏡相手に、、、
後姿の肩を揺らして
真似をする、、、
理科系の女子大生の、、、婆ちゃんにも
若いころがあった。
東京には13歳の時やってきた。
東京には24歳でさようなら。
78歳になって思い出すのは、、、
登山をしたこと、、、
南紀の川で遊んだこと、、、
流れてきた丸太を集めて
筏を作り、、、、
淵に来て、、やっと
筏にしがみつくのを、、、
解放されて
深い,、みどりの淵の底で
大きな魚が泳いでいるのを見た時、、、
自分も、
イカだの上のカメになったような気がして
淵に飛び込んで、、手足バタバタしているうちに
スッカリ浮くことをおぼえて、、
川遊びを楽しめるようになった、、、
幼い日、、、
たくさんの野山をかけ廻った13歳まで、、、
爺ちゃんの、、、おかげで
世界遺産に登録される前の
「高野山」にも、、、登った。
ケーブルカーが有るのに、、、
爺ちゃんは、、、
「ここは女人禁制」、、と言ってな、、、
ここから先の坂の段々は、、
女性は昇ったらいかんという
「男尊女卑」という、、、
日本の掟が有ったんだよ。」
「日本の、、男尊女卑、、、ね~~~。」
男は女から生まれて来て
男の人は、、、
お母さんにはかなわないのに,、、ね。
努力という字を分解したって
女性の又には力が有り、、、それを力という。
女がいなけりゃ、、、人類は絶える。
男は、、一人、、、いればよい、、、
そういう考えも成り立つが、、、
日本には、、島国という
男が主役の漁業で、、、
皆はご飯を食べてきた。
遠洋漁業と言ってな
一度漁に出ると、、、
壱年も2年も帰らんことも有った。
女は、、子供を留守の自宅で、、
男が居ない自宅で出産して
夫が帰ってくるころは、、、
子供は、、、よちよち歩いていた。
和歌山も、
昔はそういう漁師も多かった。
遠洋行業で、、クジラも捕獲していた。
船乗りは、、、
アメリカ目指してアメリカに行ったものも結構多かった。
海は広いな、、、大きいな。。。
「水脈の流れ」は、、、海任せ。。。
逆らって、、、
泳いで帰ろうたって、、、
そうはいかない
自分が自分なのか
自然そのものが本物で
その時の環境に投影した自分が
刻々と、、姿を替え乍ら
、、、、、、自分なのか??
私自身という、、、
学校の授業の様な
「 自分が主」という
「主」を創ってしまっては
周りの大自然からの
光を巻き込んだ舞台が、、、
受け取れない。
例えには、、かなりの無理があるかもしれないが、、、
大好きだったシャンソン歌手の
「越路吹雪さんの舞台衣装」は白だった、、、
「白の衣は」
「全ての光を主役にする」ドレスだった。
シャンソンの、、
「歌の心のイメージカラー」で
舞台を
光の語り部に、、、お任せして
「 観客の自発的な感性に任せる歌」を
肩で歌いながら、、、
後姿が素敵だった。
あの時の、、、
不思議な満たされた感情は
押し付けられたものではなかった .
あらかじめ、、演じる者の表現を、、勉強しないとワカラナイ
歌舞伎の舞台とは、、、主役が逆転していた。
コ~ちゃん!!、、と声がかかる。
主役が客席の感性に転換された、、、呼び声だった様なきがした。
南紀で育った13年間が、、、、
北海道一人ぼっちの
結婚生活を、、、、
それなりにクリヤーさせてくれてのは
自分も、、旦那も、、、
大自然の
一個の路傍の石かもしれないと思える、、、
100年未満の人生。
南紀の山川、、海、、岩、、生き物、、、
サンショウウオなんか、、、
人間より昔に居たような
したたかな、、、面構え、、、
川、、、
渦に巻き込まれ
川底に持って行かれ
浮かんでこれなくなりそうになった
恐怖の子供時代、、、
渦は生き物だと悟った。
渦は地球の命令で動くから、、、
人間は叶わないと思った。
父と母と、、那智の滝に行った時
スゴイ、、、
「霊感」を感じた。
滝の水の中に、、
お坊さんのような人が見えて
しばらくすると、、、
それは錯覚だったとわかった。
地球が出来てからの時間を
滝の音が伝えてくる。
人間の何倍もの時間を知っていると
水音で伝えてくる、、、
自分が主役では無かった、、、、
疎開地の13年!
周りの、、膨大な、、長い時間の作品を
自然の中に見出した、、、一枚岩、、や、、三段壁
100年で『体験は出来ない。』
教科書にして、、、
体験したような言葉にして
わかった事にしてきた、、、
学校教育の
「生きる為の決まりごと」は、、、
「 いつも人間が主役」の、、、
合理化された、、、
教科書で覚えた、、切り取られた知識の集積。
「教科書は、、正しい」という事に決めた。
しかし、、実生活には無味乾燥な表現で
応用するには、、
個人個人の体験での裏打ちされて生きている知識に変えないと
教科書を暗記して、、、
決まりごとの指導者になれる人間を
有名大学は「合格」という。。。
〇×式の正解か、、、誤解で
人間の進路のコース分けを大雑把にしている様な気がする。
「人の上の人をつくり、、、、」
社会という
人間の活きる100年で、
廻り舞台になっている時代の創る価値を終わらせ
価値観を次の時代に、一分の軸を残しながら
替え続けられるシステムの
合理的な、、、
「領域の有る方程式」にして
「人生の、、決められた枠内」の、、
「決められたルール」で
競わせて、、、次の代に入る、、
101年目からは
これからの100年を構築する為の
屋台柱の家系と、、、
歴史がつくりあげた
大黒柱を残して、、、
スマホを中心の、、「情報社会」にしてゆく。
「 情報を操る頭脳」が、、、
リーダーになってゆく。
思い出は、常に甦り、、常に普遍の時を思い出させる。
何万年単位でつくりあげた、、自然の山河への畏敬の念!
山信仰が、無言の経典を
雷になり、、、雨になり、、光になり、、、票になり、、
突然の嵐になる。
疎開地の13年間の体験は
山信仰という、、、
「人間の、、、路傍の砂利んこにも満たない
100年の、、、オレオレが、、、」
気絶しそうな長い時間を生き続けてきた
地球の息吹を感じるとき、、、
信仰という言葉で置き換われないもっと別の何かによって
畏敬の念が、
自分という、、
小さな、、、
束の間の活きてる時間の
生きる為の闘争を、、、哀しく受け止める。
人間がつくった宗教が云々という、、
人為的な視点ではなくても
山々の中を歩きながら、、、
気絶しそうな長い時間を生き続けている
山道から見える、、、
岩、、、
瀧...
植物、、、
鉱物に
それらを材料に構築された天然の芸術、、、
この雄大な、終わりのない,、、
季節ごとに変わる景色を
無意識のうちの、、、
「芸術」という言葉で、、、
自己認識する意外に
表現のすべがない。
自然の芸術には
色彩,、造形、風、 香り、、、
季節ごとの空の舞台、、雲の演出
時には月明かりの中の幻の世界、
人間が、限られた100年で
限られた空間に
描き切れるとは、、思えない。神のなせるわざ!。
「神」という、、言葉以外に、、思いつかない。
神が、、何であるかは、、、私は知らない。
ワカラナイが、、畏敬の念を抱かせること
それを、、、私的には,、
@「神」@と呼ぶことにします。
人間の、、とるに足らない100年も
子供から孫へと、、、継続することで
山をけずり、、、
川をせき止め
海を埋め、、、
自然を壊滅させた空間に
コンクリートを積み上げて
「都会」を出現させる。
何代も引き継ぐことで、、、
自然との対話を続けてきたつもり。
山は、、ビルの山に邪魔されて見えなくなって、、、
川は道路の下を走り
生き物は、、、
人間に選ばれし、、、生き物だけが
水槽の中で、、、
「インテリヤ」として
飼う事で
心を癒す為の、
人間の僕の魚として、、、、
子供の目をよろこばせ、、、
あたかも、、
自然を征服したように見える、、一部分。
よ~~~く,、、よ~~く、
考えてみると、、、
生き物は自然に合わせて,、、
自分の方を変えて適合している。
人間だけが、、、自然をぶっ壊し
自分好みの緑地帯をつくり
ドバイの砂漠地帯も
スキー場に変えられる、、、問答無用の
オレオレ、、、俺様文化でしょう?
TV漬の婆ちゃんは
疎開地の13年の、、、
実践からの体験が有ることが
TVの画面から、、、
現実を想像して
洞くつ探検の画面など、、、
ワクワクしながら、、、
現実的な想像が、実体験をしているが如くの
TV探検のスタッフになったような
錯角の中で
TVの、、画面が,、、
実体験したかのごとく重なってしまう。
白浜の三段壁の、、
熊野水軍の船の隠し場所の
海辺の洞くつで、、、遊んだ体験が
ハマユウの白い大きな花と重なって
遠い外国の洞窟のTV画面を実際の体験感覚と重ねている。
今朝は、、、
「猪子俊之」さんの、、、
「光の芸術」の番組を見乍ら
古代都市
「メッカ」を舞台に、、
光で伝えようとしている
体験と、、環境とのかかわりを
したたかな、、
天地丸ごと、、
科学丸ごとの視点を
パソコン時代が生んだ
新しい感性の光芸術だと思いながら、、、
このシーンは
観る側、、、受け取る側が
山信仰並みの、、、
自然との共生体験が無いと、、、
花火のように受け取るかもしれないと
そんなことを考えながら、、、
大自然と、、
芸術と、、
光と、、
パソコンと
人間の「主体無き主体」と、、、
受ける側の、、、
「時間空間」と
量子力学的なセンスの視点と
太古からのメッセージを
聞き取れる
自然との対話力と、、、
多くの力が無いと、、、
猪俣俊之さんの光の芸術は
ややもすると、、、
きれいだね~~~
新しさを理解する総合力が、、、見る側にあるという事は
体験という、、
大自然と時間軸をからませた師匠から
感性という、、
、持ち前の動物性を開拓できれば
、表現しようとするものが
伝わってくるのかもしれないと、、、
現実を、、
光の粒子が、、
描けるという
壮大な試みが、
、始まっているのですね、、、
お茶の間の、、、78歳の、、、頓珍漢な頭の
私こと、、、、言えるほど単純ではありませんが
一部、、感じる感想を、、、
日記帳に書いておきました。
花鳥風月、、、をいつも意識しながら
自然お腹に
生かされている謙虚さを
復唱させられながら、、、
化学、、科学、、、数学、、、理科系の
「切り取られた知識の教育」で
型にはめられてしまった
人間界の,、、まじめすぎる主婦が観た
「猪子寿之さんの、、、今朝のNHKTV」の
頓珍漢な視点の、、、お茶の間の考察でした。
鳴門のうずは、、、光を吸いこみ
時間を吸いこみ、、、
人の歴史をつなぎ目から切り離し
石ころにして、、
波でけずり、、、
渦しか見えない光の粒子にしてしまった。
スマホの時代の、、、
全てを体験しない日本人の、、
指先の操作人生が
大自然音痴が、、、
大量生産される時代が来た。
そのような、、、
スマホ家畜を餌にして
支配できる頭脳の持ち主が
創り上げた、、、
崇める物事を
切り取り教育で
価値づけて、、、
秀才とレッテルを付けて、、
神の使いと位置付けて
指導者にしてゆく、、、未来が、、
そこまでやってきましたね。
スマホ人間の、体験そらずの新時代は、、、目の前です。
統一する尊敬は、、、どこからやってくるのか?
スマホを通しての、、U-チューブでの
資格を利用した洗脳なのかどうか??
画面と言葉だけで、、、
「魔術をかける価値観」が山積になる日も近い:
フェイクニュースと現実との間で
頭の中の一部の知識が 切り取られて
知識で分類しようという誤差の中で
正解を出せる、、、体験と実践と経験からくる感は
退化して、、指先で済ます知識の分類の棚の
パターン化した答えを探す
想像力は、、借りものだらけで、、、
どこから借りたかもわからない知識でうまる日も近い。
確かに、、、体験教育が必要な時代が来ました。
coronaで知事こもっている毎日は
足が歩けなくなりそうです。
足が退化しています。
日記帳を書いている指先は
TVを見乍ら、、、電話をかけ乍ら、、、
雑音の中で、、、文字を印字してゆく、、、不思議な次元?
ウクライナの美味しい小麦で
パンを食べていた国に、、、
ウクライナの体験国家の農業を、壊してしまう
ロシヤの侵略戦争の危機は
未来の教育を、、、
地球の時間、、
地球の命
小麦の収穫できる風土と習慣
体験学習で、、、
何が大切か教えないと
スマホの指先で、、、
「核爆弾をスイッチオンしてしまう、、、人間」が
何万年もかけた、、地球の時間の作品を、、壊し、
ウクライナの人々の歴史を破壊してしまう。
スマホ人間。パソコン人間の感性で
価値観が、、、
人間主導型になって
統治できる博愛のない人間の限界を自覚していない者たちが
支配者になろうとするとき
100年に満たない、、
人間修行の人格形成の為の時間は
あまりにも、、、短くて、、
プーチンさんは、、、大帝になるには
人間形成の為の時間が短すぎたのでしょう、、、か?
世界中から見て、、、支配するための侵略は
科介し家内という、、、
危機感と、、、
未熟で、若すぎる途上国に
うっかりと、、、間違った英雄の姿を
伝えてしまったとしたら、、、
子供の教育を間違ってしまった親のように
いったんストップして、、、
多くの、、大人の意見を持った、、、
先進国の知恵を借りるべきだと思ったりしています。
破壊戦争は、、、、
もはや、、する時代は遠く、、過ぎたと
思えるのです。
本当に価値あるものが、、壊されて、仕舞う
黙示録に
世界の幕が、、
あけられたとしたら
この世は終わってしまいます。
戦争を辞めさせて、、、今なら間に合う、、、
自転車人生の、、、正平さんの
足の筋肉こそ、、、
地球と時間の手ごたえを知っている
人間の大切にしなければならない、、、番組かもしれませんね。
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