花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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2024年06月23日 | 日記
ヤマボウシの花

戦後の日本の、国民と皇室の橋となられて、
           復興してゆく日本の世代の希望を下さった、皇太子様が恋をされた女性が

    正田美智子様でした。

    秀才の男兄弟と、、妹さんと、社長でいらっしゃったお父上様と

    皇室と国民の橋となられて、、、民間から皇太子妃が皇居に迎えられたということが

        昭和20年過ぎて生まれた戦後の子供たちは

              復興してゆく日本に、新しい世の中が来るのを感じたことでしょう。         
    美智子様のような、教養の高い女性が、
              戦後の日本に育たれていたという事は

                   希望が湧いてきました。

      やまぼうしは、、、雪深い北海道の原野にも育ってゆきます。

           それでいながら、、、身を守るように、、、白い花弁に見えるガクは

              木に咲く白色の花のようにも見えますね。

      「ねむの木の子守歌」は、、、

      美智子様が 作詞をされて、、、
            山本直純さんという「髭の音楽家のご婦人」のご婦人が

               曲をつけられたのだと、、昭和の時代に
                  私たちは、、、うたったものですよ。

       タレントをしていた女性が「ねむの木学園」という、福祉の心で

               子供たちを幸せに導く施設があありましたよね。。。

             殿下と美智子様は、、宮城さんとおっしゃいましたか??

             学園長のいらっしゃるところの、、学園に、立ち寄られている番組を

                TVで何度も拝見しましたね。

        やまぼうしの、、、白い花を、、、思い出させる、美智子妃殿下のお母上の昇天は

               心に残る記事でした。

        今夜のサーフィンは、、これでやめて、、これから睡眠です。

             日本国民のお母様のような、、美智子様が
             母上をなくされた時の、、、思いは。

              国民の胸にも、、
            やまぼうしの、、白い花びらに見える、、、
           花のように
          国民を戦後の不安から、救ってくださった

         皇太子様の恋と、、、その恋を受けられた美智子様のお心が

        当時の、戦後の学生だった私たちに

       教養の大切さと、、、絶望は、、教養を身に着けることで
          
         「希望」が湧いてくることを、知らされた出来事でしたね。

        あの、、原子爆弾を落とされた、、しかも、、2発も落とされた日本が

       「民間の女性に恋をされた皇太子様の恋」

        戦後の皇太子様の孤独を、支えられた女性は、

              美智子様と、
              戦中であったのにもかかわらず、
              あのような高い教養のお嬢さまに育てあげた

               正田夫人のお母さまが、

              やまぼうしの、、白い花びらに見える,、、けれど、、
              実を守る母のように、、強い強い、、心であると、、、

              美智子様が、、戦後の国民の母となられた心の強さは

              確かに、、、このサイトの分を読ませていただくと、、、

              美智子様のお母様の心の花が、

             やまぼうしの、、花に見えて、、わが子のごとく実を守る白いガクであるという

             やまぼうしの木を,、見ながら、、改めて、、

             美智子様の句に、、、
                心が深く感じる母子2代の絆、、
                   いいえ、、、それ以上に
                      代々引き継がれたような

                深い心の、、、ゆるぎない日本の女性の強さとしか表現できないのですが、、

              美智子様のような、、、女性が、戦後の日本に育っていたという、、おどろき、、、。
                  皇室と民間に橋をかけられたという、、光の橋、、、。
            戦中に生まれて、、ボロボロだった戦後の心が、ミッチーブームで
             皇室は、、、太古からともに、、国民と在った文化の国だけに

             戦後も、、これまでの歴史と変わらないで、、いいえ、、民間と皇室は橋が架かったのだと、、
             「皇室は国民とともにあり続ける。」
              マッカーサーと天皇陛下との教科書に出ていた写真は

                  日本がなくなるのではないかと、、、しんみりと、、ひたすら不安を抱えて

               日本史の授業を聞いていただけに、、

            皇太子様の、、孤独を救った美智子様の皇室に嫁がれるという決心は

            野球に例えるのは失礼かもしれませんが、、、

             同点になった満塁ホームランのような出来事でしたね!!

            私たちの青春は、、美智子様の皇室入りの「ミッチーブーム」弟子tからね、、、。

            80歳が目の前の、、、ばあちゃんんの、、個人的な心を日記に書きましtが

           美智子様が私たちの、、笑いを失ったような青春を、、

             元気にしてくれましたね。

               日本が日本として、、残ってゆくのだと、、、希望が見えてきましたね。

             孤独に見えていた皇太子様が、、、がっばってくださるという

              明るいお顔に感じられて、、、当時の美智子様のお写真の出ている週刊誌は

                友達と、、みんなで一冊買って、、、みんなで読んでは

                同じ髪型にしたりして、、、きゃきゃ、、声あげて、、騒いでいた友達もいましたね。

               懐かしい記事を、、読ましていただき、、、

               美智子様の、、お母上の雄型が出ていた雑誌を思い出しました。

               お着物で、、、美智子様のお見送りをされていました。

                確か、、?

                「正田富美子さん」とか、、?雑誌には出ていたように記憶していますが、、

                若いころの記憶なんで、、、お兄様やご兄弟も、、雑誌の写真に出ていましたね。

                  ご兄弟は、、東京大学だったように記憶しています。
               
              心に伝わってくる、、文を書く方のサイトだけに、、、

                 80歳が目の前に来たばあちゃんには、、

                  やまぼうしの白い花弁が。我が家の目の目の家にあるんですよね、、、


                      夢中で、、応答する心が、、若返ってみたいに、、、

                       忘れていたはずの、、青春時代の思い出がわいてきました。

                  やまぼうしの,、、落ち着いた、、しっかりと実を受け止める白い花に見えるのは

                神々しいことですね、、、        お母様に合掌。

   

                これは、、あるサイトを読んで、、、つらつらと思い出の日記をつづって、

                 来し方の、、元気をいただいた日の感謝の心を日記に書いたもので

               個人的な心を書いた日記です。、、、80歳になろうとしている、、、ばあちゃんの日記帳です。

               

            
                    

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