花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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明日は4回目のワクチン接種を受けてきます。

2022年08月24日 | 日記
感染力抜群の
 世界でも上位、、上位、、、数字だけとはいえ
    こまめな日本人は
      検査も報告も、、分析も優等生。

数字は死亡率も、、髙いですね。
  自宅療養が増えたせいかもしれませんね。

私は、物心ついたときから
病人さんが、、行き交う  

  七か村、、無医村という
    村の診療所の
      唯一の医師の家庭で
        行き交う病人の状態を見て育ってきました。

感染症は、もちろん
 昭和20年代は、、下水が発達していなかった時代です。

まして、、、村落は、、下水処理をするどころか
   貴重な作物の肥料として

      村の畦道には、、、

     笑点の 右端に近い
   秩父出身の落語家が 行っていたような

肥料をためておくプールが
   わらぶき小屋のような
    まぎらわしい状態で存在していたため

  祭りの後の酔っ払いが、、
   感染症を起こすことも有った時代です。

そのころの消毒剤は
  主に、、、クレゾールだったりして

感染症の患者の続く時期は
  医師の父が行たり来たりする、、母屋と診療所の廊下には
    白い洗面器に入れた消毒剤と
      木製で出来た植物性のようなブラシが置いてあり

幼い私は、、父の真似をして
廊下の行きさ帰りに
ブラシで手を洗っていました。

スリッパも履き替えて、
猿まねの、、、幼い時代は
滅菌対策の意味も分からず

守られてきたことが多かったのですが、、、

  村の野菜は、、、肥料が、、肥料だけに
我が家の賄のおばさんは
黴菌ごと、、、高熱処理の天ぷらが得意だった。

菜種油のてんぷらや、、揚げ物、、炒めものにしていた。
つまり、、中国は炒め物が多いのは
昔の中国も、、、感染症を防ぐ知恵だったかも?
母は、台所専任のお手伝いを3人頼んで

口は動くが、、、
自分は、手を汚さないで

山深い山村で、、
静岡のヤマハから
アップライトの
  U-のピアノを取り寄せて
調律も、気に入るまで、、人を頼んでは

ピアノを弾いていました。

小学校のSさんという「女性の先生」が
母にピアノを習いに来ていました。

美しい女性の先生で
父は診療の傍ら
  ヘクタールの広さの
    薬草園と趣味の花の畑を
村のお百姓さんの農繁期が過ぎた頃
 専門家の腕によりをかけての畑を耕す
バイトを頼んでいました。

そこには畦道があり
階段を挟んで
菜園もつくっていました。

なすびも、キュウリも、、
キャベツも
ソーメンの原料の昼顔も
トマトも、
柏餅の時に使うツル性のような柏の灌木も
アメリカから取り寄せたグラジョウラㇲの花や

肥料は、アメリカで
  半生を過ごして、
  戦争直前に帰国していた母の父の家から
    鶏糞の乾燥させたものや
       作物の使用できなかったものを
     粉にして発酵させて肥料にしたものなど

 歩いて行ける近所で、
稲作や
 鶏を200羽ほど飼っていた

母方の祖父の家から
堆肥を貰って、
作物をつくり

野菜の摂取には、神経を使っていたのが
子供の私にもわかりました。

それほど注意した野菜でも
周りの畑は、、、本来は浄化槽に行くべきものを
肥料に使うのですから

それを使った野菜が原因の病人さんが
結構多くて、、、

父は、、その原因を話すことが出来なくて
村の人の食生活をいつも心配していました。

母は、、、洗えばいいのでしょう、、
何回も、、水を取り替えて、、、

お百姓さんは、川で、洗っていましたが

その川には早朝,、子牛を連れた牛さんが
巻き巻きパン状の
落し物を
気持ちよさそうにしていました。

征く川の水は絶えずして
  しかも元の水に在らず、、、

ドンブラコッコ、、、巻き巻きパンが流れ去った後
お百姓さんのおかみさんは

何ごともなく、、、野菜を洗っていましたっけ、、!!

中華料理には
炎を立ち上げ、、フライパンで
炒めた料理が多いのは

100度の煮物では、、、
死なない病原菌が居た時代の

賢い長老の知恵が

炒め物や、、、てんぷらを、、
     編み出したのかもしれませんね。

40代の頃、西安のド田舎に行ったり
成都のド田舎に行って
薬草探索をしたことを思い出します。

チベットから籠に入れた薬草などを
縁日の屋台が1000件並んでいる様な
市場などにも行って

タイクイラ、、、髙いよマケテ、、、を繰り返して
日本円で100円ぐらいで
黑い色の「霊芝」を5本買ったことがありました。

舗装ドーロが全然なくて
赤土ドーロに、、、
御座も、敷物も、、、
    竹のざるも使わずに
とうきびを、、
   じかに、、並べて乾かしているのでした。

大皿にてんこ盛りになった揚げ野菜の上には
とうきびの焦げ目のついたものも、、添付されていたが

私は、、、
地元の人の気持も傷を付けてはいけないので
大皿のてっぺんの、野菜を一箸 戴き
後は、、、竜眼ニクという木ノ実の入ったスープを飲んで

「ハオチー」、、とかなんとか言って、、、
聞き役に徹していました。

医師の家で育つと、、、こんな時、、、
注意をし過ぎて
成都の、、、泥臭い草魚も、、、
犬のちんちんらしい???天ぷらもどき??も

そーとビニールに入れて
部屋に持ち帰り

見聞材料の教材として、、ミンチになるまで
細かく割って、、骨などの状態を見て、

翌朝、トイレが無いので、、、
各自、、畑のような空き地に

猫のように、、土を掘って、、
御用を済ませるとき

昨日の草魚も、
丁寧に、、埋めてしまいました。

旅行者としては、、落第の私は
持って行った
カロリーメイトをカジッテ

「私って、、、救われないよね、、、バカ!」
自分で自分に
「お灸をすえて、、
親切な村人に謝りながら
自分だけは、、旅の間は
  お腹をこわさないという
研究室モードの緻密な目で
黴菌らしきものの経路を絶つという
皿にも箸にも 熱の加わった物しか食べなかったのを

嫌な奴❕!私!、、、☜自分で自分に言いながら
旅の第一は、、感染症にならないという
注意を絞り込んだのを思い出します。
心の中で
捨て身になれない自分に
     お灸をすえて、いました。」

しかし翌朝、、、引率してくださった
大学のpf。!!!!ギョ!ぎょ!、、、
超とっきゅの,、、おくだし!。

抗生剤を、、、誰か持っていない科~~~!
「はい!私持ってます。」

先生の後にも、、女性参加員がひとり、、、

途中で帰国してしまいました。

この旅行で思ったことがありました。
  同じものを、、円卓で、
   2倍三倍、、、食べていた現地の人は
  腹下しは、、、誰もしていないという事でした。

食べなれたものであるかどうか、、、?
子供の頃より感染して、、、免疫が出来ているかどうか?

現地の人は平気でも、、
先生は3日間は、、、抗生剤の追加を要請来ていましたから

virusも菌も、、、
  免疫、抗体の強さは 
   地元の人は圧倒的に強いと思いました。

この時、、途中から日本に帰国した女性は
  大学教授として
    50代には、、医歯薬の歴史学の論文がネット上で拝見できました。

身分の高い人ほど
  旅行先での感染症には、、、敏感に反応して行っという事は
     一例報告にしかなりませんが

  私のような、、、
頓珍漢な主婦は、、
傍目を気にしなくてよい身分だけに
節操なく
  自分流の
    感染予防を実施するので

15日間の中国の奥地の植物探索を、、無事に参加、帰国後も
 発病なしという、、、經驗を思い出しました。

主人は「コロナ引き受け病院」で勤務中ですが

   今回のコロナは、オミクロン
           オミクロン株の派生型の
            BA4
            BA.2.75

しかも、BA5は!!!!!!
  従来の株に比べると
  感性拡大のspeedが早いだけには治まらないで
  
  ワクチンを受けたから、、、
  安心という訳にはゆかない。

  ワクチンや、感染をして獲得したはずの「免疫」を
  かいくぐって、、、忍者のように忍び込んでくる

  専門家の先生の記事には
  『免疫逃避』という、、、専門用語が使われていました。

3回目のワクチンを接種したのは、、、私の場合

  3月2日ですから
  明日は4回目の接種をすると
   8月24日まで、、、

3月が29日+4月が30日
    +5月が31日+6月が30日
       +7月が31日+8月が24日=175日

30で割ると5,5となります

    6か月間おかないで
       早めに4回目をすることにしました。

6か月にこだわって待っていたのは
一回目のワクチンの時

待機時間中は変化が起きなくて

「かえっても良いですよ、、、」と

許可が下りてから
駅に歩いて向かう15分の間に

右足がツッテ、、、歩けなくなりました。
右足のアキレス腱とふくらはぎ

大腿の前側、、、
道路に立ったまま、、、硬直しました。
歯を食いしばって、、耐えましたね。

ほとんど医療に関しては
家族には
「医師としての仕事はしない主義」のダンナでも

いつもより1時間早引きして。
駅で見守ってやるからと言いながら

駅の近くの歩道に立っているのが

遠目にもわかり合えたのですが、
私は、、右足がうごかなくなって
   たちん坊をしていました、

遠目には、、歩いて自分の方に来ているのだと思ったのでしょうね、、、
主人は、手で軽く合図をすると
駅のガラス戸をくぐって
階段の方へと、、
すたすた歩いて行ってしまいました。

主人の年齢の男性は
英語も禁止、、、バスケットゲームも禁止
夜久はナイスボールの事は、、いい球!

レディファ―ストという
英語は禁止の時代の人たちですから

普通の女性なら、あきれてしまうでしょうが、、、
戦中の苦労話で育っている日本女性は

戦争で御主事を失くした未亡人が多かった時代です。
旦那が居るというだけでも
100点だった時代ですからね。

依存心はゼロ状態で、、、頑張った結婚生活でしたが
普通の家の御主人なら、、
気が付く人も多いかもしれませんが
 
頭の中は、仕事の事しか入ってないようです。

気持はあせるのですが、、、一歩も歩けずに
右足のアキレス腱あたりからひざ下と
大腿の表側が、、、立ったまま

コムラガエリ状態なのです。

冷や汗が出て来て、、
歯を食いしばって足のツッパリに耐えていると
15分もすると、、何とか筋肉が緩んでくれて、
かがんで、、ふくらはぎの部分をつかむように
血液の循環を促し、ふくらはぎをたたきながら、
大腿部分をさすっているうち

コムラガエリが治まってきました。

立ち仕事が多くて、
残業一か月に298時間なんてこともありました。
立ち続けた後は、こむら返りで
七転八倒をするのを、、こらえる

しかし今回のこむら返りは
アキレス腱あたりから、、痺れ痛い、、痙攣がひどい。
なんとか、、、苦戦するも、、歩けるようになり

カタツムリの歩みのように、、、
駅のエスカレーターに乗りました。

事情を知らない主人は
自分の職場誓い駅だけに
女房と一緒の所はみられたくないのでしょうね、、

よそよそしく、、電車に先に乗車しながら
私を先導しているのがわかりました。

家に帰ってから事情を話すと、、
自分は副作用は翌日に来たので
  当日すぐに来るとは、、
   考えなかったと言っていました。

3回目のワクチンは、何事もなく

右足のアキレス腱近くの
   ふくらはぎがしびれ痛いまま
ひきつるのは、、足のどっかが、、
静脈瘤でも起こしているのかもしれませんが
循環器が専門の主人は
そんな程度の静脈瘤は
圧搾靴下でも,、ハイテなさい、、、。

死ぬか生きるかでないと、、、
   びっくりしない主人は
若き日には、、人様の心臓の手術や
人工弁の置換術をしていただけに、、




          

私が訴えても、、、
「そんな程度では、、死にはしないよ、!」

自宅では、子供にも、私にも、
「、医師としての役割はごめんなさい!!」

私も「本当の医者に診てもらってきます。」というような

医療に関しては冷たい仲が、、今も続いている。

家族には、、医師をしたくない!!
一点張りの旦那です。



何お話を書いていたのか脱線してしまいましたが

ワクチンンを受けて
小さい状態とは言え、、、
右足の違和感がある状態が続いているので

3回目の次も
 4回目までには
    6か月は開ける予定でした。

しかし、、、一国の首相の方まで

感染する今日の感染流行の,、、
第7波のオミクロン変異型は

とりあえず、、、予防にはならない、、

感染経路の免疫をかいくぐるとしても

罹患したときには、、、
重症化しないという、、、

   この一点にかけて、、、
明日は、、、4回目のワクチンを受けてきます。

主人の病院は、、、
  コロナ患者さんも…受け入れているので、、、
第7派のcoronaの診療で
先生や、看護師さん、医療スタッフも
     患者さんからの感染を防ごうと
        各種データーを取り乍ら

 ベッドは満杯という、、、大変な
コロナ感染の7派の状況ですね。

日本は戦後、、団塊の世代の頑張りに
おんぶにだっこで、、、

一瞬政権が変わったときに
国内だけを見ていると
野党の理想は正しくても
現実に力があって、病院の創生期から
アジア、欧州 アメリカと
幅広く行動してきた専門家の動きが
野党には、認識する眼力が無くて
勝気さと自己顕示だけが目立ったのは、、、残念な事でした。

美人の女性でしたが
素人考えで、、、どんどん、、研究費など削除して

 がんセンターで、50年の研究の総まとめをファイルしていた弟も

  予算を削られて、、、発表する機会がないまま
貴重なデーターは、、、日の目を見なかった。

  経済に、細かくこだわる民主党の心意気は
    気持ちは判るが、、、予算をけずる対照が
    第一線で、、がん検診検査研究と
        G'7の国際会議でも
         世界の研究者との交流中だった時に

   政権交代で、、、弟は民間の会社に移動して行った。
日本の病院にCTを使っているところはまれであった時代に
実際の診断に仕えるように
画像の質を、
診断する医師から見て、、必要な部位が
 診断に仕える画像が映し出させるように
  工学部の先生方や他のジャンルの人々と
  円卓を囲んで、、、日本のCTは
   早期がんの発見に役立ち
    がんで死ぬ患者さんは
     がんと共生できる医療レベルになっていた。

無給の時から、、一途に早期がんの発見に 
打ち込んでいた弟の家に行ったとき
  無給時代の為、質素な借家に住んでいた。

  本人は、頑張るだけ頑張った
  「がん」の検診研究の人生だったから

外国の王室の患者さんも居た。
   離大穴、、医学を通じての
国際交流になっているのではないかと思った。
大切な患者さんも、姉の腫瘍の撮影も
   一緒に進めてゆく実力は
      スゴイと思いました。
    アメリカに留学していた時は
    院長さんが、、弟の事を
      みんなの前で「彼は私の肝胆膵の先生です」言ったことから、

   病院内で、いっぺんに、覚えていただき
    みんなが挨拶してくれるようになったという
     エピソードを、
アメリカ学会に参加していた日本人医師から聞いたとき

  どんなに地道な仕事をして来たのか、、、
   医学を通して、
  国際交流になっていたと、、感じたものです。
   がんセンターの初期の小さなビルから
    国際間での患者さんも受け入れ
      研究分野もどんどん充実していた
   50周年には、総まとめの仕事をするはずだったのだろうと
     弟の患者だった私は
    検診に行って、
     フルコースの検査を受けました。

    二度と、、切除したような、、大きな腫瘍になる前に
  早期に発見したいと、、、手術の後は

  検診のフルコースに通った。

  ぺットCTの検査などは

    上等のクラシックの流れるホールで
      医療の検査だと忘れそうになる様な快適な空間だった。

   予期しない画像が映ることがあるのは
患者さんがリラックスしたおおらかな気持ちの時だと
     説明してくれた。

    政権交代するという事は
    専門外のジャンルにまで、、、政治家が介入して
   何を失くした科も、、、永遠いワカラナイという

   一大改革で、院長さんもすべて、、私の知ってた先生が
    居なくなりました。
    困るのは患者さんです。

   政治かも、、、素人考えで
     合理的な経済優先で企画したつもりでしょうが

    仙石さんの見解は、、、50年積み上げた努力の先生方を
     どれだけ深くまで読み込めて
      政治家という、、千問が政治の人が
      合理的に見えた改革をしても

     二度と、、あの、、画像診断の名医は 

    伝説の診断力だったと、、、解る日が来るんだろうか?

      専門家の中の専門家、、、が、
弟の診断でなければならないと
      夫人の画像診断を依頼に来た時、、
  私は、処置を終えて
       弟の室に居ました。

      
    国の野党が与党になったのだから
      連続性のない予算をけずられる事もあるだろう、、、

   
  「ああ、、いいですよ、、」の一言で

    弟は従順に、、その時点での経験に従って、
       自分が生んだような「がん」:の
    検診、検査研センターの
         部門から、定年退職していった。

   世代交代すれば良いという視点での政治は
    医師の腕前、、、を理解していないのではと思ったりした

  患者さんだった姉の私は
       検査の為に、、楽しみでもあった上京もしなくなり

       赤ちゃんの頭大の、、卵巣腫瘍を画像で観て、
         札幌の病院勤務の主人に
         「今から、、姉をそちらの病院に行かせますから
         即刻、、手術お願いします。」

        診察中の机から電話してくれて
        翌日は、
        フィ人家のオペの見学に入った旦那は
          手術室で
        ソウカン中の写真を撮っているという
        いまいち、、
       家内の苦しい姿は写真に残さないで欲しかった。

        家族にとっては医師でない自分を押し通す
         医師の気持が、、、私にはわかりませんでしたが、

       東京のがんセンターの弟の電話には
        医師としての仲間意識からでしょう
         病院に頼み込んで、
         「腫瘍が破裂しそうな患者のオペを、お願いします。」
     同僚の婦人科の医師に頼んで
         緊急オペをしてくれました。
      もう30年以上前のことですから、、、
       公的病院には大きな病院が有りましたが
        私立病院で、、、サミットの要人の受け入れ病院を
         出来た、ドクターヘリの飛ぶ病院は
        画期的な、北海道の、病院い成長していったのを、

       観れたことは、、大きな事でした。

          札幌では、、まだ、、個人病院として
            誕生した病院でしたが
         その後、北大の講師が、院長となり
          公的な病院となってから、

         医大の若い院長さんが
         大学経由でいらっしゃって

       地域に根差す公的病院になっていたように見受けられましたが

      主人の仕事関係には、、
        外野席なので全く解りませんが

       巨大腫瘍で手術した時、
      入院したときの主治医が

        女医さんで

        家庭の主婦と
           女医という勤務との
            難しさと
       女性が、責任ある仕事に就く事の大変さを
        しみじみと聞く事も出来て、、、

         16センチの、、お腹の傷は

        こんなに大きな腫瘍になるまでほっておいたという

       「医師の妻としては!!!落第だ!!」と

         弟に、、あきれられた、、、あほな姉の腹切り創です。

        主人に相談したときは
        僕は家族には医師の仕事はしないから
        「自分の信じる医師に検査してもらいなさい。」

        「外科の僕が、君の訴えだけで想像すると
           子宮筋腫かな??
             そうだとしたら、、、これからの年では
                縮小して、行く方向だね、、、」
              
         そのような事を、、TVを見乍ら行ってくれましたが
         そのあとすぐに、、
         「岩手に行って、、一仕事してきてくれ、、」
         ダンナに頼まれた、5日間泊まり込みで
         うつ病になるかもしれない、、、、
       閉じこもり学生の

         様子を見て来てと頼まれ、、、

         自分のお腹の腫瘍が爆発スンデンだとも知らず
         私は、、岩手に行って、

          閉じこもり学生の部屋を片付け
          一緒に買い物に行き、
          一緒に料理をつくり
          一緒にマンガ映画を観に行き
          城跡で一緒に弁当を食べて歓楽花見をして

           不登校スンデンの学生を
             軌道修正してきました。

          主人が電話で引き受けた、、、
          ほぼ正常の不登校学生の
          お金にもならない、、、
          実況報告役の

          自分の
        お腹に出来ている
、         一大事の腫瘍に気が付かず

             手術前の、、知らぬが仏の、、、

               爆発スンデンの腫瘍に
             気が付かない、、、
            あほな私!
          間抜けな私!!

        百時間のカウンセラーの講習を受けていた若き日の、、、
           へんてこな
           青年期に起きる不登校の学生の
           臨床体験になると
           引き受けたのでしたが、、、

           「人の心の深さを恐れる私」としては

        ゴミ屋敷寸前の下宿を掃除してあげて、
         ゴミ置き場には置ききれない量の
         ビニール入りのゴミ出しをしてあげて

       アオカビで緑に変色していた
          風呂の天井と壁の苔を取り除き

         座り机のちゃぶ台を撤去して

         二万円で、、
         引き出しのない勉強机を買ってあげてセットして

         パソコンを使えるように配線して、、、

         「持って行った、、笑いの出るソフト」で
         パソコンを起動して、、、
          笑いが出た頃

         5日間も過ぎていた。

         行には、、バスで毛越寺に4000円で泊まり
         朝のお勤めをして
         池の周りの芭蕉の石碑にかかれた文字を見て、、

         「有名大学も、、、三流大学も、、、
         自分で良ければいいじゃないのね~~~!芭蕉さん!」

          兵どもの草の跡、、、の想いで

         登校拒否の生徒の気持が、、、解る様な気がして
         おもむろに、、掃除やで~~~す。
         受け入れて、、とを開けてくれた時には
           解決すると❕!、、直感で来た。

          岩手から帰って、、東京で検査を受けたら、、、手術!!

         手術後一か月で、、、
          病院薬局に勤務、、

             無茶苦茶なスケジュールをこなせた
              若き日は、、、もう、、戻ってこない、、、

        
            

         


       ァホンダラの私の思い出話です。

                 
                  
         腫瘍が破裂シテ、、脾臓に飛んだら、、、
         簡単な取り出し手術では済まなかったかもしれないよ。

        弟に注意されてからは
        築地まで出かけて
        全身検査を受けていました。

        しかし、、、政権交代を機に
        50年勤めたがんセンターには
        弟は居なくなりました。

        あれから、、、どこにも検診に行っていませんが

        なにか体内で発生していたとしても、、、

                

        78歳にもなると、、、
         寿命だと、、、思える気がしています。
           



                

     
       しかし、、、coronaだけでは、、、死にたくない!!
        旦那も80歳過ぎていますが

        これからも、、、弁当をつくり、、、
        家中を拭き掃除をして
        免疫職に気を配り、、、

        coronaだけには、、、命は奪われたくないと

        かなり呑気な私は
        旦那も、、勤務先はcoronaの受け入れ病院ですから
             帰るたびに
         熱も測る、、、

        玄関でアルコールをスプレイして
       靴下はビニールに入れて
        洗剤を詰めて翌日洗濯。

       食器はハイターに漬け置いて
       数時間後に洗浄、、、

        トイレは使うごとに
        次亜塩素酸の希釈液で
        便座の裏表を拭いて
        流した後には洗剤の希釈液とハイターの希釈液を散布
      病院から帰宅する主人が
         トイレの大を使ったら、、、報告してもらい
         即座に便座の裏表をアルコールで拭いて
         水を流して、次亜塩素酸の希釈液を噴霧して
         使った手ぬぐいは

         トイレ滅菌用のスプレイを噴霧して

         トイレの蓋、手洗いの水の飛び散りそうな周りを
         拭いて、その手拭いはビニールに入れて
          洗剤を入れた水と丸一日閉じ込めてから

         いったんすすいだものを絞ってから、
         旦那の下着と一緒に洗濯機にかけてしまう。
       手拭いは一日に多い時は3回,、取り換える。

         便には雑菌が居たとして、、、
          coronaと重なって、、、合併症に成ったら
          助からないかもしれないと、、、万一を考えると

          洗濯物には熱湯をかけてから、、、洗濯している。

        coronaのおかげで、、、

       潔癖病に、、かかっているかもしれません。

       明日4回目の、、ワクチンを受けるというだけで、、、

        眠れなくなってしまい、、、
          キーボードをたたいています。

        後日、何事もなくワクチンの後遺症が無かったら

        私って、、、お父さんと同じ、、、
         ワクチンぐらいで、、、目が覚醒して眠れないなんて、、、

        一人で、、笑ってしまうかもしれませんね、、、

        とにかく、、、4回目のワクチンに行ってきま~~~す
     
    

     
      
    







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