平成22年1月5日(火)は、正月参賀日を大阪の自宅で過ごし、妻と二人土佐の高知に帰省することにしていた。
高知の家は、私が幼き時に過ごした故郷で、母が一人この地で過ごしていた。
しかし、高齢の為、私が大阪の自宅に母を引き取り、暫く一緒に過ごしていた。
その母も3年前、95歳で他界してしまった。
高知には家や田畑、それに墓が残り、私が年に数回、管理の為に帰省し、家やお墓の掃除などを行っている。
今回は年末に帰省が出来なかった為に、墓の掃除も行っておらず、気がかりになって正月明けに帰省しょうと、妻と相談して決めていた。
5日(火)に帰省することを決めていたのは、混雑緩和と高速道路利用料金、1000円が適用され、経済的に有利なためであった。
南大阪にある自宅を、5日午後一時ごろ、愛車エステイマで出発する。
愛車は阪神高速湾岸線から神戸線に入り、明石海峡大橋を通過して行く。
晴天の中、渋滞もなく快調に進み、神戸淡路鳴門自動車道を走って行く。
高速道の休日割引がなければ高知方面へは、板野IC(鳴門ICの次のインター)で下車し、一般道に入り、3km先にある徳島自動車道の藍住ICに入って、走行した方が距離的にも、時間的にも速く行けるが、高速道を一旦、下車すると、再度通行料金1000円が発生するため、高松自動車道を走行し、川之江JCTから高知自動車道に入ることにした。
私は徳島県から高松方面に走ることは、全く初めてで、車窓からどのような景観か望めるか、楽しみでもあった。
風光明媚な鳴門海峡大橋を通過し、徳島県からの高松自動車道を走行していく。
車窓からは、点在した小島が浮かぶ瀬戸内海の景観が広がっている。この景観もすばらしく、私達のドライブを一層楽しく、満足さしてくれている。
やがて、愛車は、屋島や讃岐七富士と呼ばれる小さな丘のような山々など、美しい景観の続く高松道を西に走行していく。
高松市内を過ぎて暫く進むと、坂出と岡山を結ぶ瀬戸中央自動車道の景観に代わり、海の小島の間に数本の橋脚が聳え立ち、間に垂れ下がったワイーロープで支えられた鉄道と高速道の二重構造になった大橋が北に向かって伸び、瀬戸内海に独特の美しい景観をかもし出している。
愛車は瀬戸内海に沿って出来た高松道を西に向かって進み、途中の川之江JCTから高知自動車道に入って行く。
高知自動車道は今まで対面通行であったが、高知ICまで最近片側2車線化が完成し、大変走りやすくなっている。
私たちは伊野ICで下車し、国道33号線に入り、私の故郷佐川方面に向かって行く。
途中のスーパーで夕食の買い物を済まし、自宅に到着したのは午後7時過ぎであった。
故郷佐川町尾川の景観、この川で幼き時にはよく泳いだことが思い出されてくる。
1月6日(水)久しぶりの我が故郷でぐっすり眠ることが出来たが、朝方はずいぶんと冷え込んでいるように感じる。
それも台所と居間は、三方をガラス窓で囲まれ、特に台所は、流し台の前と右の窓がカーテンすら施してなく、外部の冷気が室内にそのまま伝わってくる。
昼間は、太陽の明るい日差し受け、関西よりも強く温かく感じるが、日が沈み暗くなってくると、土佐の山里は、とたんに冷え込んでくる。
朝方、雨戸を開け、外に出ると空一面に、青い透き通るような空が広がり上天気になっている。
朝食を済ませた後、少し離れた所にある駐車場と隣接する畑に行ってみると、我が畑が草茫々となっているのを見て愕然とした気持ちになってくる。
この畑は総面積150坪(約500㎡)あり、昨年までは、近所の人が生姜などの作物を栽培していたが、高齢と家族の介護などで、今年から栽培が出来なく荒地になっている。
どうすればよいのか悩んでしまったが、取り合えず佐川町役場に行って相談することにした。
役場で知り合いの人に相談すると 「佐川町には未耕作地が多く耕してくれる人が見つかるかどうかわからない」 隣の農業委員会の部署が、未耕作地などを担当しているとのことで紹介していただいた。
農業委員会では 「定期的に委員会を開催しているので次回の会で話をしておきます」 とのことであった。
草茫々としている荒地をそのまま放置しておくことは、近所の方々や、雑草の種などが隣接地に飛んで迷惑をかけるために出来ないと思った。
どうしても雑草を刈り取らなければならなかった。
しかし、150坪(約500㎡)の面積に、背丈ほどに伸びていた雑草を、どうして刈るのか、道具も経験もなかった。
自分で狩るのか! それとも誰かにお願いするのか! と思案していた。
夏は鮎などのも獲れる清流だが改修中の故郷の河川(仁淀川の支流)
1月7日(木)朝早くから目覚める。今日も天気は良さそうであるがずいぶんと冷え込んでいる。昨日から妻と草刈のことで相談した結果、エンジン付の草刈機を購入して自分達で刈ることにした。
早速、近くのホームセンターに行って草刈機と、燃料の混合オイルを購入してくる。
畑に行って、買ってきたばかりの草刈機のエンジンを、かけようと試みてみるが、なかなかかからない。
30分発ってもかからないために、ホームセンターへ電話すると、直ぐに駆けつけて指導してくれた。
原因は、私が説明書の細い字をメガネをかけずに読んでいた為に(開)と(閉)を間違え、逆に操作していたようだった。
担当員の方が細部にわたって指導してくれた為に、初めて使う私にも直ぐ理解することが出来た。
早速、エンジンをかけてみる。エンジンは直ぐにかかった。体に草刈機のショルダーをかけ、保護メガネをかけて作業を開始する。
畑の四隅の端から草刈りを始め、外側から内側に移動するようにして刈っていく。
初めて使う草刈機、草はスムーズに刈りれるが、刈った草が寝ているために、刈り取った草は、一々刈り取り機の上に乗せ、1.5mぐらい横にずらさないと刈れない。
これを刈取る度に、毎回行っていくから、腕にパワーがかかって大変である。
妻は私が刈り取ってずらした草を拾い集め、鍬でならしてくれている。
昼食の時点では、3分の一が終了した程度であった。
午後からも、明るいうちに作業を終わりたい一心で、休憩もほとんどとらずに刈り取り作業を懸命になって進めていく。
しかし、私の肩ははり、刈り取り機を持つ手の握力がなく、雑草を横にずらすのが大変になってきていた。
妻もなれない仕事で、腰に負担がかかってきているのか、時々体を伸ばしているが、疲れきった表情が見えている。
こうした状況の中でも作業を続け、太陽が西に傾き、黄昏時の薄暗い時間にようやく作業を終了することが出来た。
作業終了後、私も妻も、雑草に覆われた畑から、雑草のない、見違えるような畑に変わり安堵した気持ちで一杯になっていた。
刈り取り前の草茫々の我が家の畑(150坪=500㎡)(北西から)
雑草で覆われた我が畑(南東から)
悪戦苦闘の刈り取り作業を終え、見違えるようになった畑
野焼きしてくれる人の指示で刈り取った雑草は二つの山に積み上げる。
刈り取った雑草は野焼きの為、家から出来るだけ遠い位置に積み上げる。
草刈り作業終了間際に、昨年までこの畑を耕していたおじさんがやってくる。
この土地は元々は、この叔父さんが所有していたものを、私の母が生前に買い取っていたが、これといったこの土地の用途はなく、このおじさんが生姜などを昨年まで栽培していた。
ところが、このおじさんは高齢で腰が曲がり、体力的にきつくなった事と家族の介護で農作物の栽培が今年から出来なくなっていた。
おじさんは私達夫婦が草刈を終えたのを見て、ほっとしたのか、後の草の処理や、処理後雑草が生えにくいように、乗用トラクターで耕しておくとのことであった。
私達にとっては、大変ありがたい話しであった。
このおじさんも、今まで自分が耕していた土地が草茫々になって心を痛めていたようで、それだけに、私達が雑草を全て刈ってしまってことを、喜んでくれているようであった。
今回は思いもかけないような畑の草刈りが待っていたが、これで近所の方々に迷惑をかけずに住むと思うと、何かほっとした気持ちになって大阪に帰ってくることが出来た。
今年に、耕す人がみつからなければ、夏と秋の2回は草刈が必要になってくる。
今回の経験から、草刈りは出来るだけこまめに実施した方が得策だと思え、これからは帰省回数もふえてきそうである。
高知の家は、私が幼き時に過ごした故郷で、母が一人この地で過ごしていた。
しかし、高齢の為、私が大阪の自宅に母を引き取り、暫く一緒に過ごしていた。
その母も3年前、95歳で他界してしまった。
高知には家や田畑、それに墓が残り、私が年に数回、管理の為に帰省し、家やお墓の掃除などを行っている。
今回は年末に帰省が出来なかった為に、墓の掃除も行っておらず、気がかりになって正月明けに帰省しょうと、妻と相談して決めていた。
5日(火)に帰省することを決めていたのは、混雑緩和と高速道路利用料金、1000円が適用され、経済的に有利なためであった。
南大阪にある自宅を、5日午後一時ごろ、愛車エステイマで出発する。
愛車は阪神高速湾岸線から神戸線に入り、明石海峡大橋を通過して行く。
晴天の中、渋滞もなく快調に進み、神戸淡路鳴門自動車道を走って行く。
高速道の休日割引がなければ高知方面へは、板野IC(鳴門ICの次のインター)で下車し、一般道に入り、3km先にある徳島自動車道の藍住ICに入って、走行した方が距離的にも、時間的にも速く行けるが、高速道を一旦、下車すると、再度通行料金1000円が発生するため、高松自動車道を走行し、川之江JCTから高知自動車道に入ることにした。
私は徳島県から高松方面に走ることは、全く初めてで、車窓からどのような景観か望めるか、楽しみでもあった。
風光明媚な鳴門海峡大橋を通過し、徳島県からの高松自動車道を走行していく。
車窓からは、点在した小島が浮かぶ瀬戸内海の景観が広がっている。この景観もすばらしく、私達のドライブを一層楽しく、満足さしてくれている。
やがて、愛車は、屋島や讃岐七富士と呼ばれる小さな丘のような山々など、美しい景観の続く高松道を西に走行していく。
高松市内を過ぎて暫く進むと、坂出と岡山を結ぶ瀬戸中央自動車道の景観に代わり、海の小島の間に数本の橋脚が聳え立ち、間に垂れ下がったワイーロープで支えられた鉄道と高速道の二重構造になった大橋が北に向かって伸び、瀬戸内海に独特の美しい景観をかもし出している。
愛車は瀬戸内海に沿って出来た高松道を西に向かって進み、途中の川之江JCTから高知自動車道に入って行く。
高知自動車道は今まで対面通行であったが、高知ICまで最近片側2車線化が完成し、大変走りやすくなっている。
私たちは伊野ICで下車し、国道33号線に入り、私の故郷佐川方面に向かって行く。
途中のスーパーで夕食の買い物を済まし、自宅に到着したのは午後7時過ぎであった。
故郷佐川町尾川の景観、この川で幼き時にはよく泳いだことが思い出されてくる。
1月6日(水)久しぶりの我が故郷でぐっすり眠ることが出来たが、朝方はずいぶんと冷え込んでいるように感じる。
それも台所と居間は、三方をガラス窓で囲まれ、特に台所は、流し台の前と右の窓がカーテンすら施してなく、外部の冷気が室内にそのまま伝わってくる。
昼間は、太陽の明るい日差し受け、関西よりも強く温かく感じるが、日が沈み暗くなってくると、土佐の山里は、とたんに冷え込んでくる。
朝方、雨戸を開け、外に出ると空一面に、青い透き通るような空が広がり上天気になっている。
朝食を済ませた後、少し離れた所にある駐車場と隣接する畑に行ってみると、我が畑が草茫々となっているのを見て愕然とした気持ちになってくる。
この畑は総面積150坪(約500㎡)あり、昨年までは、近所の人が生姜などの作物を栽培していたが、高齢と家族の介護などで、今年から栽培が出来なく荒地になっている。
どうすればよいのか悩んでしまったが、取り合えず佐川町役場に行って相談することにした。
役場で知り合いの人に相談すると 「佐川町には未耕作地が多く耕してくれる人が見つかるかどうかわからない」 隣の農業委員会の部署が、未耕作地などを担当しているとのことで紹介していただいた。
農業委員会では 「定期的に委員会を開催しているので次回の会で話をしておきます」 とのことであった。
草茫々としている荒地をそのまま放置しておくことは、近所の方々や、雑草の種などが隣接地に飛んで迷惑をかけるために出来ないと思った。
どうしても雑草を刈り取らなければならなかった。
しかし、150坪(約500㎡)の面積に、背丈ほどに伸びていた雑草を、どうして刈るのか、道具も経験もなかった。
自分で狩るのか! それとも誰かにお願いするのか! と思案していた。
夏は鮎などのも獲れる清流だが改修中の故郷の河川(仁淀川の支流)
1月7日(木)朝早くから目覚める。今日も天気は良さそうであるがずいぶんと冷え込んでいる。昨日から妻と草刈のことで相談した結果、エンジン付の草刈機を購入して自分達で刈ることにした。
早速、近くのホームセンターに行って草刈機と、燃料の混合オイルを購入してくる。
畑に行って、買ってきたばかりの草刈機のエンジンを、かけようと試みてみるが、なかなかかからない。
30分発ってもかからないために、ホームセンターへ電話すると、直ぐに駆けつけて指導してくれた。
原因は、私が説明書の細い字をメガネをかけずに読んでいた為に(開)と(閉)を間違え、逆に操作していたようだった。
担当員の方が細部にわたって指導してくれた為に、初めて使う私にも直ぐ理解することが出来た。
早速、エンジンをかけてみる。エンジンは直ぐにかかった。体に草刈機のショルダーをかけ、保護メガネをかけて作業を開始する。
畑の四隅の端から草刈りを始め、外側から内側に移動するようにして刈っていく。
初めて使う草刈機、草はスムーズに刈りれるが、刈った草が寝ているために、刈り取った草は、一々刈り取り機の上に乗せ、1.5mぐらい横にずらさないと刈れない。
これを刈取る度に、毎回行っていくから、腕にパワーがかかって大変である。
妻は私が刈り取ってずらした草を拾い集め、鍬でならしてくれている。
昼食の時点では、3分の一が終了した程度であった。
午後からも、明るいうちに作業を終わりたい一心で、休憩もほとんどとらずに刈り取り作業を懸命になって進めていく。
しかし、私の肩ははり、刈り取り機を持つ手の握力がなく、雑草を横にずらすのが大変になってきていた。
妻もなれない仕事で、腰に負担がかかってきているのか、時々体を伸ばしているが、疲れきった表情が見えている。
こうした状況の中でも作業を続け、太陽が西に傾き、黄昏時の薄暗い時間にようやく作業を終了することが出来た。
作業終了後、私も妻も、雑草に覆われた畑から、雑草のない、見違えるような畑に変わり安堵した気持ちで一杯になっていた。
刈り取り前の草茫々の我が家の畑(150坪=500㎡)(北西から)
雑草で覆われた我が畑(南東から)
悪戦苦闘の刈り取り作業を終え、見違えるようになった畑
野焼きしてくれる人の指示で刈り取った雑草は二つの山に積み上げる。
刈り取った雑草は野焼きの為、家から出来るだけ遠い位置に積み上げる。
草刈り作業終了間際に、昨年までこの畑を耕していたおじさんがやってくる。
この土地は元々は、この叔父さんが所有していたものを、私の母が生前に買い取っていたが、これといったこの土地の用途はなく、このおじさんが生姜などを昨年まで栽培していた。
ところが、このおじさんは高齢で腰が曲がり、体力的にきつくなった事と家族の介護で農作物の栽培が今年から出来なくなっていた。
おじさんは私達夫婦が草刈を終えたのを見て、ほっとしたのか、後の草の処理や、処理後雑草が生えにくいように、乗用トラクターで耕しておくとのことであった。
私達にとっては、大変ありがたい話しであった。
このおじさんも、今まで自分が耕していた土地が草茫々になって心を痛めていたようで、それだけに、私達が雑草を全て刈ってしまってことを、喜んでくれているようであった。
今回は思いもかけないような畑の草刈りが待っていたが、これで近所の方々に迷惑をかけずに住むと思うと、何かほっとした気持ちになって大阪に帰ってくることが出来た。
今年に、耕す人がみつからなければ、夏と秋の2回は草刈が必要になってくる。
今回の経験から、草刈りは出来るだけこまめに実施した方が得策だと思え、これからは帰省回数もふえてきそうである。
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