近代短歌データベースを検索するだけのブログ 

近代短歌DBは近代短歌15万首の全文検索と簡易分析を提供するサイト。運営は村田祐菜先生。私はそれを検索するだけの人。

検索ワード「  能 」

2022-10-23 18:28:02 | 検索するだけの人
ヒットした短歌: 78件
内、能楽にまつわる14件抄出


ゆくりなく能の舞台の天人の舞目にうかび止めぬ妬みを
与謝野晶子 『朱葉集』, 0000, 1916


この毛蟲能の役者のするやうに桐の幹をば步むものかな
与謝野晶子 『草の夢』, 0000, 1922


上なるは能の役者の廓まちおち葉そこよりわが庭に吹く
与謝野晶子 『流星の道』, 0000, 1924
 

山風や能の舞臺のいほりよりささやかに立つ最明寺かな
与謝野晶子 『流星の道』, 0000, 1924


七月の夜能の安宅みちのくへ判官落ちて涼かぜぞ吹く
与謝野晶子 『流星の道』, 0000, 1924


山かこみ能の棧敷のわくのごと低し甲府のたてよこの町
与謝野晶子 『いぬあぢさゐ』, 0000, 1933-1934


大瀨崎能の脇師のここちして海人の先づある手力の宮
与謝野晶子 『冬柏亭集』, 0000, 1933-1934


大いなり長範などと云ふ能の仕手のここちに立てる城かな
与謝野晶子 『白櫻集』, 0000, 1942


その小舟まち候へと能ががり京の若衆はみめよき男
前田夕暮 『はなふぶき』, 1904-1905, [1904-1905]


雪高き夜を見てゐる山の能 見つつ倦むなり。かたく坐りて
釈迢空 『短歌拾遺』, 1937, [1937]


この冬も老いかがまりてならの京たきぎの能を思ひつつ居む
釈迢空 『短歌拾遺』, 0000, [0000]


靄ごめやお能の松の塗笠の笠揺りふかみ今は梅雨時
北原白秋 『昭和13年8月1日「文芸」6巻8号』, 1938, [1938]


能の笛ひやうへうふれうと起りけりオホツク海の真夏日の凪
北原白秋 『海阪』, 0000, 1949


げにまこと皇太神宮、一の鳥居まともに仰ぎ、かかりよし擬宝珠の宇治橋、そのみ橋ゆかすかも父、かしこむと 聴かすかも父、朝凍よ白き髯ゆり、眉毛さへ長くのばして、神路やま天霧る秋の薄日とて、匂ふや老の能がかり、 いやつつましきそのみ手の杖。
北原白秋 『渓流唱』, 0000, 1943




検索ワード「 法 」

2022-10-23 11:00:22 | 検索するだけの人
ヒットした短歌: 92件
太字の分類はただ検索する人による

 法 律

農地法まさによき實を結べりとこころ明るき信濃びと見る
窪田空穂 『丘陵地』, 1954, 1957


農地法実施されたるふるさとは青田匂ひて七月来たる
前田夕暮 『夕暮遺歌集』, 1950, 1951


法に問ひすべてよろしく売るべくば購買組合に投げて売らしめ
北原白秋 『昭和8年9月15日「女性日本」16号』, 1933, [1933]


農地法にて買収されしふるさとの丘の畑にはだら雪降る
前田夕暮 『歌稿 晩年歌稿』, 1950, [1950]


農地法にて接収されしふるさとの古屋敷今はわがものならず
前田夕暮 『夕暮遺歌集』, 1949, 1951


農地法さもあらばあ[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『自流泉』, 1947, 1953


 技 法

初学者のごとき形にたちもどりニッスル染色法をはじめつ
斎藤茂吉 『遍歴』, 1923, 1948


柑橘の接木の法は人よ聞けわれは三原に立つけぶり愛づ
与謝野晶子 『草と月光』, 0000, 1933-1934


凍む風の背戸に音やむ小夜ふけて温電法の息吹眼に当つ : 北原白秋 『昭和13年2月1日「多磨」6巻2号』, 1938, [1938]


まれに来て、/心おちゐぬ。/目ぐすりの古法つたふる家/と 言ふなり
釈迢空 『春のことぶれ』, 1925-1929, 1930


まれに来て、/心おちゐぬ。/目ぐすりの古法つたふる家/と 言ふなり
釈迢空 『迢空歌選』, 0000, 1947


街頭に「西法接生」の匾を見て支那の文字をわれは讃へぬ
斎藤茂吉 『遍歴』, 1924, 1948


麦広幅耕作法のわづ[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『続々青南集』, 1967, 1973


 真 理

わが家を圍みて立てる老松よ高く眞黑く眞直ぐなる法よ、
若山牧水 『黑松』, 1927, 1938


過ぎゆきしのちに思へばたたかひもなべて自然の法ならぬかは
太田水穂 『流鶯』, 1946, 1947


たまきはる命刻々ゆき過ぐる無上命法たゆみあらせず
太田水穂 『双飛燕』, 1947, 1951


世にみつる大きみ法をうつし身に現はしたまへり我が大君は
太田水穂 『冬菜』, 1924, 1927


現つ神わが大君のとり負ばす大きみ法は道にたがはず
太田水穂 『冬菜』, 1924, 1927


 令法飯

ただ一人令法飯知り[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『青南後集』, 1979, 1984

リョウブ(令法) - 薬草と花紀行のホームページ

各地の薬草と花を解説している図鑑サイトです。

リョウブ(令法) - 薬草と花紀行のホームページ




 信 仰

もろもろの法のなかにもただ一つ人をたすくる大慈大悲の法 : 太田水穂 『鷺・鵜』, 1931, 1933 

いざきかむ人なるゆゑにたたかひをくるしむこともみ法なるかや : 太田水穂 『流鶯』, 1946, 1947

能登衆の親王院に夢結ぶ法のちぎりもなつかしきかな : 与謝野晶子 『沙中金簪』, 0000, 1933-1934

黄檗の廣き山内壓しつつ讀經にまじり法鼓とどろく : 窪田空穂 『冬日ざし』, 1937, 1941

おごそかに心のすゑのひとはしもとりて捨てざる法ぞと思ふ : 太田水穂 『雲鳥』, 1921, 1922

ありかたき法の敎と思ふ哉柩を送る觀音菩薩 : 正岡子規 『竹乃里歌』, 1899, [1904]

永平寺法のみやこの石橋をくぐれる水のうつくしきかな : 与謝野晶子 『深林の香』, 0000, 1933-1934

いにしへはいにしへとのみ思はしめ法の家より朝寒き濱 : 与謝野晶子 『白櫻集』, 0000, 1942

あほ杉のかげ映えてふかし講堂に懺法のこゑしづかにそろふ : 中村憲吉 『軽雷集』, 1925, 1931

法類は淚ながして石かげに白きみ骨をうづめをはりぬ : 斎藤茂吉 『白桃』, 1933, 1942

鎌倉の松葉が谷の道の邊に法を説きたる日蓮大菩薩 : 正岡子規 『竹乃里歌』, 1900, [1904]

日の本の陸奥の守より法の王パッパポウロに贈る玉つさ : 正岡子規 『竹乃里歌』, 1900, [1904]

花ぐさに法のこころの風吹くと露うち散るを喜びぬ : 与謝野晶子 『太陽と薔薇』, 0000, 1921

法の山望月のごと雪白し心下のこころふためかれつつ : 与謝野晶子 『深林の香』, 0000, 1933-1934

國の守みやこ戀しき慰めに供養法など修せし御ほとけ : 与謝野晶子 『深林の香』, 0000, 1933-1934

みやびたる上杉氏の靈屋かな興して法の山行くごとし : 与謝野晶子 『沙中金簪』, 0000, 1933-1934

法類は泣きなげけどもうつせみの息たえたまひいさごのごとし : 斎藤茂吉 『石泉』, 1931, 1951

つややかに春の灯ならぶ圓山へ法の灯ともる音羽の山へ : 与謝野晶子 『常夏』, 0000, 1908

法の鐘山の口なる小家にて爐をかこめるも救はんと嗚る : 与謝野晶子 『深林の香』, 0000, 1933-1934

惡名を負ひつつ川の毒水に變りはてぬも法のこころぞ : 与謝野晶子 『沙中金簪』, 0000, 1933-1934

普陀洛のみづうみの水法悅を華嚴の瀧にあらはせる山 : 与謝野晶子 『冬柏亭集』, 0000, 1933-1934

法堂に百人ばかりひっそりと大蠟燭の灯をかかげあり : 太田水穂 『鷺・鵜』, 1928, 1933

標たててここにひらきし荘厳の大千世界法のそま山 : 太田水穂 『螺鈿』, 1939, 1940

みちのくの孝子五郞が山寺のみ法に入る日櫻散りたリ : 島木赤彦 『馬鈴薯の花以前』, 1905, [1905]

煌々と光さすかとふと思ふ法身仏といつなりにけむ : 北原白秋 『雲母集』, 0000, 1915

天人かまぼろしびとか法けづき奇しき恋に身は衰へぬ : 佐佐木信綱 『新月』, 0000, 1912

蓮花にかへ懺法堂に撒くものを木の葉にせるが山寺さびつ : 中村憲吉 『軽雷集』, 1925, 1931

梅か枝に始めてきなく鶯の春をしらする法の一聲 : 正岡子規 『竹乃里歌拾遺』, -1882, [-1882]

たそがれに寒き粉雪の吹き入りぬ法のおん師もわれも行く廊 : 与謝野晶子 『深林の香』, 0000, 1933-1934

戒保つわざならはんと越路なる法の御山のしら雪を分く : 与謝野晶子 『深林の香』, 0000, 1933-1934

君王のおん儀も法のみをしへも補ふなりと聞ける音樂 : 与謝野晶子 『落葉に坐す』, 0000, 1933-1934

法悅を告げんと水のあらそひて樋の口に出づ僧房のあさ : 与謝野晶子 『沙中金簪』, 0000, 1933-1934

秋の月法氣づきてもさし入りぬ山莊のうち燭の暗き夜 : 与謝野晶子 『冬柏亭集』, 0000, 1933-1934

覺めがたか夢の半かあなかしこ法の御山に程近くゐる : 与謝野晶子 『流星の道』, 0000, 1924

美くしと見て過ぎがたし內殿の奧の不斷の法の灯火 : 与謝野晶子 『白櫻集』, 0000, 1942

月を見る王侯の種もあらざるも隔てぬ法の山の樓臺 : 与謝野晶子 『白櫻集』, 0000, 1942

鐘かすむ法の汐路のひと筋に恨みもなくて魂はゆくらん : 太田水穂 『冬菜』, 1924, 1927

さしいでて今こそ照らせ鎌倉や七百年の法の月影 : 太田水穂 『流鶯』, 1943, 1947

弾ひとたび燄をよべは三千大千世界法身すらや跡方もなき : 太田水穂 『流鶯』, 1946, 1947

法苑珠林見終へむと[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『山下水』, 1945-1946, 1948

亡き人の為なる法華[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『続々青南集』, 1967, 1973

尺とり虫拾ひくたび[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『続々青南集』, 1973, 1973

朝々花に来思ふただ[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『青南後集』, 1976, 1984

この身より光さすかとふと思ふ法身仏といっなりにけむ : 北原白秋 『大正3年8月1日「文章世界」9巻8号』, 1914, [1914]

狂ほしき男のこころしづまれと托枳尼の法す少女のために : 吉井勇 『酒ほがひ』, 1905-1910, 1910

あかときの山內にして雷のごとき法鼓おこりて心のふるふ : 中村憲吉 『軽雷集』, 1927, 1931

おのづから心平らになりゐたり学法寺なるおくつきに来て : 斎藤茂吉 『白き山』, 1947, 1949

法の燈は不斷のものと聞きしかど御堂よ月を揭げたるのみ : 与謝野晶子 『心の遠景』, 0000, 1928

護摩堂のみやびやかなり護摩法に歌をば代へて仕へまつらん : 与謝野晶子 『深林の香』, 0000, 1933-1934

五六人鞍馬の坊にかたらへり花懺法を明後日と云ふ日 : 与謝野晶子 『落葉に坐す』, 0000, 1933-1934

夜の島の低きところに二つあり法のおん灯と堂守の灯と : 与謝野晶子 『北海遊草』, 0000, 1933-1934

星明し蓮の花など散るに似ぬ法の御山に我があふぐ空 : 与謝野晶子 『沙中金簪』, 0000, 1933-1934

水の聲夜の雨の音雷鳴が護身法すと思ひなさまし : 与謝野晶子 『白櫻集』, 0000, 1942

梅一輪見つけてうれし法の師のみあとをしたふ岩坂道に : 太田水穂 『雲鳥』, 1919, 1922

いにしへゆ今にったへて阿耨陀羅あまねき法のひかりなる山 : 太田水穂 『螺鈿』, 1939, 1940

南無大師 みこころふかくおはすらむ。法の師 君の召されたまへり : 釈迢空 『倭をぐな』, 1944, 1955

法の道に何か漏るべき我も人も釋迦も阿彌陀も皆これ佛 : 正岡子規 『竹乃里歌』, 1899, [1904]

法の庭嚴かなれど亡き君のめでたかりしにいくばくも似ず : 与謝野晶子 『晶子新集』, 0000, 1917

添ひ行くは法の御山のきよき川分くるは越の三尺の雪 : 与謝野晶子 『深林の香』, 0000, 1933-1934

鳥の小父古カロオ鳥手に据ゑぬ諏訪法性のかぶとのやうに : 与謝野晶子 『いぬあぢさゐ』, 0000, 1933-1934

入らしめぬみ堂に法[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『続々青南集』, 1967, 1973

法源の寺に来りてくらがりに僧群れて食をするをぞ見たる : 斎藤茂吉 『連山』, 1930, 1950

日運を埋めし山に風は吹けどとこしへにてらす法のともし火 : 正岡子規 『竹乃里歌』, 1898, [1904]

月見ても花見ても思ふ御佛の法の敎はあきらけくこそ : 正岡子規 『竹乃里歌』, 1899, [1904]

梅咲く日羅浮の仙女となりて入る萬法歸源院の門かな : 与謝野晶子 『白櫻集』, 0000, 1942

風速の三保の浦廻、貝島のこの高殿は、天なるや不二をふりさけ、清見潟満干の潮に、朝日さし夕日照りそふ。この殿にまうでて見れば、あなかしこ小松叢生ひ、辺にい寄る玉藻いろくづ、たまたまは棹さす小舟、海苔粗朶の間にかくろふ。この殿や国の鎮めと、御仏の法の護りと、言よさし築かしし殿、星月夜夜空のくまも、御庇のいや高々に、鐸の音のいやさやさやに、いなのめの光ちかしと、横雲のさわたる雲を、ほのぼのと聳えしづもる。しづけくも畏き相、畏くも安けきこの土、この殿の青き甍の、あやに清しも。 : 北原白秋 『篁』, 1924, 1924

風速の三保の浦廻、貝島のこの高殿は、天なるや不二をふりさけ、清見潟満干の潮に、朝日さし夕日てりそふ。この殿にまうでて見れば、あなかしこ小松叢生ひ、辺にい寄る玉藻いろくづ、たまたまは棹さす小舟、海苔粗朶の間にかくろふ。この殿や国の鎮めと、御仏の法の護りと、言よさし築かしし殿、星月夜夜ぞらのくまも、御庇のいや高だかに、鐸の音のいやさやさやに、いなのめの光ちかしと、横雲のさわたる雲を、ほのぼのと聳えしづもる。しづけくも畏き相、畏くも安けき此の土、この殿の青き甍のあやに清しも。 : 北原白秋 『海阪』, 0000, 1949

空御津。大和のくには。大八洲。中つ御國と。橿原の。ひしりの御代ゆ。あらたへの。藤原の里。靑丹よし。奈良の都と。御代々々に。太しかしけむ。大宮の。いかし大殿。有つげる。あとにはあれど。千とせまり。春秋へたる。後の世の。けふにし見れは。大方は。名のみしなるを。いかるかの。玉の御門を。宮なから。御佛迎へ。法の道。擴めましけむ。名くはし。これの御寺は。其御代の。有のまにまに。靈しくも。八棟たちなみ。塔堂に。天雲なひく。ゆめとのの。瑞の玉やは。神さびて。いとも尊し。安めたる。千々の御佛。たくはへし。五百個の寳。ことことに。あかれるみ代の。神業の。くしき手振を。今の世の。現に示す。ことさへく。外つ國人も。天が下に。たくひをなみと。つとひきて。をろかむらしき。これの御寺は。 : ‭伊藤左千夫 『[左千夫全集]』, 1901, 1977


 詳細不明

この国に瓜作る古き[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『青南集』, 1960, 1967

古への址は幾変りし[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『続青南集』, 1965, 1967

年々の八月白き令法[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『青南後集』, 1979, 1984

宿場の道こえて白菜[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『六月風』, 1936, 1942

たどたどと未通女の[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『山下水』, 1945-1946, 1948

検索ワード「弁護士」

2022-10-22 14:57:58 | 検索するだけの人
検索ワード: 弁護士 辯護士 代言人
ヒットした短歌: 2件


判官よ女はいまだ恋知らず赦せと叫ぶ若き弁護士
石川啄木 『明治四十一年歌稿ノート暇ナ時』, 1908, [1908]


賴むやうに悲しき眼して見すれどもこの辯護士の友は法律論をやめず
中村憲吉 『「アララギ」第七卷第三號』, 1914, [1914]



石川の短歌。大沢博氏によると事実にあった裁判ではないとのこと。いくら昔でもこんな感情的な裁判はない。

医師の近代歌人は多士済済ですが、法曹界の近代歌人はどうかというと、弁護士では、平出修、矢代東村、臼田大翼の御三方が活躍。村上鬼城は高崎裁判所構内司法代書人。
裁判官、検察官、行政書士は見つかりませんでした。

平成10年には、宮中歌会始に元最高裁判所判事の橋元四郎平氏が召人として詠進「芽ぶきゆく木末の空はしづかなり林に入りて道つづくかも」

現任の最高裁判所判事 岡村和美氏は「「朔総漫筆」(アララギ歌人の清水房雄遺稿集)に語られる昭和・平成を生きた賢者の思考に感銘を受けました。」とのこと。
荒川区の印刷所で刷られていて、全く流通していない。図書館にも、日本の古書店にもない書籍ですが、一体どんな内容なのでしょうか。








検索ワード「五目」

2022-10-21 20:02:37 | 検索するだけの人
ヒットした短歌: 7件

 
 五目寿司・五目ご飯

人参ををしみ置きしがこのゆふべ五目の如く入れてしまひぬ
斎藤茂吉 『小園』, 1944, 1949


この皿に五目飯もり箸かたし立つべくなりし今しかなしも
釈迢空 『短歌拾遺』, 1916, [1916]


 五目並べ

松の木に櫻流らひ小半日五目ならべをすると告げ來し
島木赤彦 『切火』, 1914, 1915


寒げなる碁石の音す童ども五目並べして寢るを惜しむか
窪田空穂 『靑朽葉』, 1927, 1929


赤々と碁盤の角に日はさして五目並べは吾が負けにけり
北原白秋 『雲母集』, 0000, 1915


數學のつもりになりて考へしに五目ならべに勝ちにけるかも
斎藤茂吉 『赤光』, 1905, 1913


寂しさよ山ざくら散る晝にして五目ならべをすると告げ來し
島木赤彦 『切火』, 1914, 1915

検索ワード「ラジオ」

2022-10-21 19:51:51 | 検索するだけの人
検索ワード: ラジオ ラヂオ
ヒットした短歌: 83件

 
米英聯合艦隊撃滅の日の感度爽かな午後のラジオ
前田夕暮 『烈風』, 1941, 1943


麗水も陥りたりと報じたるラジオをはりてわれは家いづ
斎藤茂吉 『短歌拾遺』, 1942, [1942]


越天楽春のラジオの昼闌けて四方の山べにかすむ白雲
北原白秋 『牡丹の木』, 1940-1942, 1943  


わが潜艦米本土作戦と朝のラジオはつげる、ドアのむかふで――
前田夕暮 『烈風』, 1941, 1943


ラジオ受信器の感度あかるく、軍歌りやうりやうひびけばこころあがる
前田夕暮 『烈風』, 1941, 1943


再びラジオききつつ思ふ、米航空母艦サラトガの巨体撃沈のさまを
前田夕暮 『烈風』, 1941, 1943
(注)サラトガは第二次世界大戦を生き残った。でたらめな戦果は昭和天皇にも奏上され、天皇は戦争末期に「サラトガが沈んだのは、今度で確か4回目だったと思うが」と苦言を呈したといわれる。


朝のラジオのりやうりやうたる起床ラッパきけば幼い心となり
前田夕暮 『烈風』, 1941, 1943


われら日の午前午後、たえずラジオきいてゐてこの大きな喜びにあふ
前田夕暮 『烈風』, 1941, 1943


うつけ唄歌ふラジオを今日もききてなすこともなき吾をあはれむ
前田夕暮 『歌稿 晩年歌稿』, 1947, [1947]


少女かもラジオにきけば吾が縫ひしパラシュートぞと声呑み哭きぬ : 北原白秋 『牡丹の木』, 1940-1942, 1943


ラヂオもて聞かくかなしも天皇の奉らする御誄言
窪田空穂 『卓上の灯』, 1951, 1955


第五回大詔奉戴日の午後のラジオは告げる豪快無比なる珊瑚海海戦を
前田夕暮 『烈風』, 1941, 1943


ゆくりなくラヂオ聲呼び町空に漢口陷落高らかに報ず
窪田空穂 『冬日ざし』, 1938, 1941


獨立を報じてラヂオ嗚り渡れ主都東京に起る聲なし
窪田空穂 『卓上の灯』, 1952, 1955


ドアのむかふで米本土作戦と朝のラジオはいふ、いまおきる、ねてはをられぬ
前田夕暮 『烈風』, 1941, 1943


爭覇戰視力よわきに家籠りラヂオを前に描きつつ疲る
窪田空穂 『冬日ざし』, 1939, 1941


武藏野の春のうぐひす康德の卽位の式のラヂオに混る
与謝野晶子 『いぬあぢさゐ』, 0000, 1933-1934
(注)康德帝は溥儀。満洲国皇帝


双葉山五十三勝しをはんぬラヂオ聲破れ枕とよもす
窪田空穂 『冬日ざし』, 1938, 1941
(注)双葉山はその後も勝ちつづけること69連勝。2022年1月場所終了時点まで最多連勝記録


ラヂオには赤き翼といふ曲の楽すすむなり夜ただ寒きに
北原白秋 『黒檜』, 1937-1940, 1940


ラヂオより流れていづる潮さゐかコーラスかなし若人の歌
太田水穂 『流鶯』, 1940, 1947


霜くだる今宵のラヂオおぎろなし心とどろくひと時隔きに
北原白秋 『白南風』, 1926-1933, 1934


卓上のラヂオが立つる人の聲なつかしくして鳴らし聽き入る
窪田空穂 『木草と共に』, 1963, 1964


朝ぐもりラヂオの塔の先わたる小鳥かぎりなしなだれ落ちゆく
北原白秋 『白南風』, 1926-1933, 1934


漢口へ漢口へとぞ直進むニュース傳へてラヂオの止まず
窪田空穂 『冬日ざし』, 1938, 1941


ラヂオもて女皇に告る總督の言の悲しくジャバ今はなし
窪田空穂 『明闇』, 1942, 1945
(注)「ジャバ」はオランダの巡洋艦。この年のスラバヤ沖海戦で帝国海軍重巡洋艦「那智」の雷撃により撃沈。太平洋戦争がはじまるまでは、御大礼特別観艦式に参加するなど日蘭親善に活躍。
オランダ女王ウィルヘルミナは、ナチス・ドイツに本国を占領されロンドンに亡命中。350年支配した東インドも日本軍に奪取される。太平洋戦争後は再び東インドの植民地化を図るも独立戦争に敗れる。


皇帝の鹵薄のひびぎをラヂオ告ぐ他は新京の春風のおと
与謝野晶子 『いぬあぢさゐ』, 0000, 1933-1934


ラヂオの我が祝歌はいち早し子ら合せ歌ふ声ひびくここに
北原白秋 『昭和9年2月1日「短歌研究」3巻2号』, 1934, [1934]


照しばし向ひの森にこだましてラヂオ体操の響くあるのみ
北原白秋 『昭和13年8月1日「多磨」7巻2号』, 1938, [1938]


ラヂオより聞え來る聲はるかなる世よりの物の如くもひびく
窪田空穂 『冬木原』, 1947, 1951


ラヂオはまた明日といふまことにすべては明日の事なりと思ふ
前田夕暮 『夕暮遺歌集』, 1947, 1951


梅雨曇る夜の眞闇の底に起る遠音のラヂオもの狂ほしも
窪田空穂 『鄕愁』, 1935, 1937


夏の鳥朝のラヂオに啼き乱りその山と思ふ滝津瀬鳴りぬ
北原白秋 『黒檜』, 1937-1940, 1940


観兵に御立し給ふ天皇をラヂオに寄りてかしこみれてまつる
斎藤茂吉 『のぼり路』, 1940, 1943


我がほかは日の白光にこだましてラヂオ体操の響くあるのみ
北原白秋 『黒檜』, 1937-1940, 1940


ラヂオにはメンコン蛙くくみ啼き鳴る瀬のうつつ蛍が飛ぶも
北原白秋 『黒檜』, 1937-1940, 1940


霜晴の日あたりぬくむ野の南ラヂオの塔はうち対ひ見ゆ
北原白秋 『白南風』, 1926-1933, 1934


垣ごしに遠音ラヂオの三味線のひきくづれゆく宵の凉しさ
太田水穂 『鷺・鵜』, 1927, 1933


冬山の裾べ淸しみわが行けば小さき家ありてラヂオ鳴り出づ
窪田空穂 『明闇』, 1943, 1945


ラヂオ研究所灯を消しにけりうしろ立つ照明迅く鉄塔は見ゆ
北原白秋 『白南風』, 1926-1933, 1934


夕待たず我が眼くらきに聴きほくる早慶戦もラヂオに止みぬ
北原白秋 『黒檜』, 1937-1940, 1940


ラヂオ戦報刻一刻にあふれくるなみだはしばし流るるにまかす
太田水穂 『螺鈿』, 1938, 1940


華やぎて隣のラヂオきこえしがこなた鳴らしてたちまち消えぬ
北原白秋 『橡』, 1935-1937, 1943


ラヂオの我が祝歌はいち早し子らが歌ふこゑのひびき来ここに
北原白秋 『白南風』, 1926-1933, 1934


この夜明こごえ死にたる子らありとラヂオは洩らし寒のきびしき
北原白秋 『昭和9年3月1日「香蘭」12巻3号』, 1934, [1934]


犬の声ラヂオの中に群れ起り外に吠え継ぎて月の夜ふけぬ
北原白秋 『黒檜』, 1937-1940, 1940


街上は春の日かげとなりにけりうつけ唄歌ふラヂオは聞ゆ
前田夕暮 『夕暮遺歌集』, 1947, 1951


我がみ冬しろき屛風に引きかけてラヂオの線の影も凍てぬる
北原白秋 『黒檜』, 1937-1940, 1940


感冒引きて觀に行き難しラヂオもて胸に描きつつ拍手を送らむ
窪田空穂 『さざれ水』, 1933, 1934


憂へつつ言にはいはず漏らさじと日日のラヂオを我も聞けるを
窪田空穂 『冬木原』, 1944, 1951


とほくにて戦報をいふラヂオありしづかにもえて音なきもみぢ
太田水穂 『螺鈿』, 1937, 1940


華やぎて隣のラヂオきこえしがこなた鳴りいでてたちまち消えぬ
北原白秋 『昭和11年10月1日「多磨」3巻4号』, 1936, [1936]


霜の凝り堪へてこの夜もすわりたりラヂオのニユース声せまりたり
北原白秋 『白南風』, 1926-1933, 1934


藤といへば早やも夏場所夕こめて鉄傘の揺ぎラヂオとよもす
北原白秋 『黒檜』, 1937-1940, 1940


空を飛ぶ敵機の音をききわくとラヂオはこよひねもころにせり
斎藤茂吉 『短歌拾遺』, 1945, [1945]


ラヂオの尺八の音も絶えにけり梅もどきよ夜はまつぶさに観む
北原白秋 『昭和2年3月1日「近代風景」2巻3号「白秋創作月録』, 1927, [1927]


霜の夜のラヂオのニユースはてにけり灯は明うしていたくしづけさ
北原白秋 『白南風』, 1926-1933, 1934


あんなこともあつたつけとラヂオ歌謡は歌ふあはれなる戦後派のうつけ歌
前田夕暮 『夕暮遺歌集』, 1950, 1951


きこえくるラヂオドラマの女の声くるしむ獣のこゑよりはかな
斎藤茂吉 『のぼり路』, 1940, 1943