昨日は東京都現代美術館へ。
MOTアニュアル2022開催中。
「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」。
会期は7月16日~10月16日。
東京都現代美術館は1999年以来、現代の表現の一側面を切り取り、問いかけや議論の始まりを引き出すグループ展のシリーズとしてMOTアニュアルを開催している。
18回目の今回は、言葉や物語を起点に、語ることや記述の困難さに向き合いながら新たな物語の可能性を模索する4名のアーティストの試みを展示するという。
アーティストは、高川和也・工藤春香・大久保あり・良知暁。
工藤春香。
「あなたの見ている風景を私は見ることができない。私の見ている風景をあなたは見ることができない。」。
優生政策と障害当時者運動の歴史を軸に、制度と個人が表裏をなす社会構造と個人の生に向き合う。
大久保あり。
「No Title Yet」。
大久保は自分の過去の13作品を編纂し新しい物語を展開しようとしているのだが、結果よりその過程そのものが様々な可能性を孕んでいることを示唆するように見えるのだ。
良知暁。
「シボレート」。
スライドがカシャッカシゃャッと物語を映し出す。
隣のだだっ広い展示室には、時計と点灯することのないネオンサイン。
読み書きや発音などの言葉は時として識別のための装置として機能することがある。その識別が線引きとなって排除へとむかうことで引き起こされる惨劇がある。
20世紀を代表する詩人のひとりであるパウル・ツェラン。ドイツ系ユダヤ人がゆえにナチスよって両親を殺され自身も労働収容所に送られた。
シボレートはツェランの詩のひとつ。シボレートとは合言葉。
旧約聖書によれば、殺戮を逃れて越境しようとするエフライム人を見分けるために、シの発音ができない彼等に課せられた合言葉。
高川和也。
「そのリズムに乗せて」。
52分の映像作品。
高川自身の過去の日記を題材にしたセルフドキュメンタリー。
日記は生活している表には出すことのない欲望や苦悩に満ちている。
ラッパー・FUNIの力を借りて日記の言葉をラップに変換することで、ひとりよがりだった心情や言葉が広く共有されていく試み。
私小説というとアーティストは気分を害するかもしれないと思いつつも、文字ではなく映像の時代になったんだと実感する。
それにしても、「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」、か。
世の中ってそういうものだけど、最近はどこもかしこも行き着く先がどうしてこうも切ないことが多いんだろか。
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