東京に残る高低几号標。
キノーズマンハッタンニューヨークさんで昼飯を食べてスマホのナビで向かうは本法寺さま。
洒落たビルだなと思ったら茗台中学校という区立中学校だった。
茗台中学校の横を行けば跨線橋だ。
丸ノ内線の跨線橋。
徳川慶喜終焉の地だったのね。
ぐっと坂を下る。
ふと、ずいぶんと久しぶりに台町という言葉を思い出す。坂の下は水道端。
寺が並ぶ寺通りの真ん中あたりに本法寺さまがあった。
浄土真宗大谷派高源山随自院本法寺さまは、浄土真宗中興の祖蓮如によって近江国堅田(現在の滋賀県大津市)に創建され、1705年(宝永2年)にこの地へ来たという。
夏目家の菩提寺だったんだ。漱石のお墓は確か雑司が谷霊園だったかな?あれ?なんでだろ?
高低几号標は木の下にあった。
この石は鉄水鉢臺石というらしい。この上に鉄製の天水受けがあったけど戦争中の供出されてしまったようだ。
側面に高低几号標。
明治初期は現役の天水受けで、もしかしたら相棒もいて、置かれていた場所も少し違うんだろうな。
このあたりは神田上水掘の南北に沿った町だったから水道端という地名だったのね。
区立図書館の名前も水道端図書館。
なるほどと思いながらも神奈川県民としてはですね。
日本最古の上水道は神田上水ではなく小田原の早川用水!
と言いたくなるのだ(^^;