今日のころころこころ

2015・6・25 テキトーに渡るおばさんの橋 かながわの橋100選 川崎市・六郷橋

膝の調子がよろしくないから今日は駅から近い橋(^^♪

かながわの橋100選。川崎市・六郷橋。

国道15号(第1京浜国道)に架かる全長約450mの橋で、東京と神奈川との境である多摩川に架かっている。六郷に最初に橋が架かったのは1600年で、徳川家康が江戸に入府する際に木橋が架けられたそうである。しかし洪水で橋は流され、再び「六郷の渡し」が復活した。1817年に再び木橋が架けられたが、1925年には近代的な橋梁が架けられた。六郷橋は1978年から架け替え工事が行われており、現在も継続中で、部分的に使用されている。完成すると往復6車線の大規模な鋼箱桁橋梁となる。なお、明治天皇一行が3種の神器とともに、多摩川を渡った時には、船橋がかけられた。
ふむふむ( ..)φ
もちろん今は完全に完成しております^^;

京急大師線・港町駅下車。

ゆっくりと多摩川に向かう。

すぐに六郷の渡し(^^♪

ん(?_?)なんだろう(?_?)川が異様に濁ってる気がする(?_?)元々そんなに綺麗な川ではないが・・・

渡る前に下に降りてみる。。

六郷橋(^^♪

やっぱ濁ってる・・・

とりあえず、くぐる。

鳩さんたちがかたまってるなぁ。。

ま。
六郷橋は相模国と武蔵国を結ぶ道筋だったためかさすがの徳川幕府も橋を架けたようだ。当時は、三河の吉田橋・三河の矢引橋・近江の瀬田橋と並び東海道の4大橋と称されたらしい。が、なんせ暴れ川の最下流域。たび重なる洪水で架けては流されの繰り返しでとうとう渡船になったという。橋が欲しくて欲しくてたまらなかった上流域からしたら複雑だが。。
橋が再び必要となったのが慶応三年の明治新政権誕生。ただちに東京遷都となり天皇が東京にお越しになる運びとなり、船を集めて横に並べ杭を打ち込み固定して板を渡した。天皇とともに3種の神器も渡った。そう。天皇は千年あまりお住まいになった京都から東京に来られたのである。天皇の東京住まいは最近のことなのである。。。

橋のたもとにあがる。

今はモニュメントが当時を伝える。

ついでに長十郎梨(^^♪

多摩川をはさんで東京側の梨がたま梨で神奈川側の梨がはま梨。ですので梨のご用命ははま梨と御指定ください(?_?)
一年前にかながわの古道50選・大師道を歩いた時には六郷橋を渡らずに川崎大師様へと向かった。

今日は六郷橋を渡って江戸に行く(^^♪

親柱は渡船(^^♪

テキトーに渡る。

大正2年まで流され続けたが、今の橋はさすがにもう流されることはないだろう(^^♪

そろそろ終点。

宮本台緑地というところに橋門と親柱が保存されてるというから行ってみることにする。スマホのナビによればすぐそこのようだ。

六郷橋を再びくぐる。

どこだろう(?_?)

お!お稲荷様。。

なかなかの廃墟。。

ところで?とスマホを見ていたら、ら、おばあちゃん軍団に捕まってしまった^^;
あんたどこ行きたいの!(^^)!宮本台緑地というところなんですけど?宮本台なんて知らないねぇ(`´)それよかあそこ寄ってきな!(^^)!止め天神!(^^)!受験でも就職でも絶対に滑らないよ!(^^)!絵馬500円で売ってるよ!(^^)!
とお薦めいただいて急遽むかう「止め天神」様^^;

おわ!道路のむこうに橋門が見えるじゃあないの(?_?)

ま。止め天神様。。。

そうか!ここが江戸側の六郷の渡し跡だったんだ。おばあちゃんたちに感謝(^^♪

この歳になると止め天神様にお願いすることなんかもうないよなぁ。人生から落ちるのは例外なく全員だし^^;

ま。宮本台緑地にむかう。

そうか。あそこだったんだな。。緑地というから緑地かと思い込んでいたが^^;

道路でずたずたに切断されてしまってるが、鎮守の森だったんだろうなぁ・・・

見事な橋門に親柱だなぁ(^^♪

六郷橋に携わった方々の思いがずっしりと来る。ずっと残るといいなぁ(^^♪

さてさて帰ろうか。京急本線六郷土手駅からだとまっすぐに仲木戸駅に行けるが、再び六郷橋を渡る。

川崎側のは綺麗だったけどこっち側の方が意匠はよくわかる(^^♪


それにしても、暑い^^;

大師橋はまた後日(^^♪

大師線港町駅から帰る(^^♪
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