今日のころころこころ

2014・7・4 おばさんの道 かながわの古道50選 東海道の押切坂付近

本日の主な目的はこれ。T様へのお礼。

でも。当然のことながら、寄る。

かながわの古道50選・東海道の押切坂付近。

鎌倉時代、ここは二宮庄という荘園で北条政子の侍女の私領でした。慶長9年(1604)東海道は、36町(4㎞程度)ごとに道の両側に一里塚が築かれ、二宮にも『江戸より十八里』の一里塚が築かれました。現在、その跡が国道1号線沿いの川勾神社入口にあります。この一里塚から大磯よりの梅沢は、『梅沢の立場』と呼ばれました。小田原と大磯の間の宿として、旅人や諸大名の参勤交代に休憩所として繁栄したそうです。
ふむふむ( ..)φ

戻るのは、嫌いだ。おまけに、ヘタれだ。
JR二宮駅南口下車。

かな中バスの、国府津行きでも比奈窪行きでも、押切バス停が路線に入っていればいい。時刻は国府津行きがあった。

押切下車。ちなみに押切バス停は小田原市になる。

二宮駅方面に向かって歩き出す。

中村川の押切橋を渡れば、梅沢の宿。二宮町になる。

お!そこの分岐だな。

スタート。

たくさんの旅人が行き来した坂だという。

お!茶屋町の道祖神様♡

今は、静かな宅地だ。

かつてここには本陣があったという。将軍様も休憩された。今はふつーの個人宅。でも、こんな碑を建てるのを許可してるなんて寛容なお宅だな。ありがとうございます!

坂を登るとなんとなくふり返ってみたくなるのは、サガであろう。

あっという間に、終点。

押切坂上バス停付近。ここから1号線を山西バス停付近まで歩くのがいいのかもしれないが、排ガス好きくない。
1号線を横断して川勾神社様方面への道を行く。

お!角には、茶屋の薬師堂様。今のように救急車きてくれないもんなぁ・・・

このお宅との関係が気になる。ま。

その先には、川勾神社様(^^)

今年も無事に国府祭は終えられたのかな?氏子様たちは欠けることなくお元気かな?
でも、今日は寄れる体力ない。曲がる。

お!キウイ♡

宝蔵寺様というのか。かなりの古刹だな。

おお♡大木様♡

この道が東海道って感じだけどな・・・ま。

つきあたりを左。

ん?

再び国道1号線。

そこを左に曲がれば、再び東海道。

等覚院様。ここも古刹だ。

思わず千円ほど御寄進しようかと思ってしまう。

ま。歩く。

お!おおおおお!!!ツバメさん一家幸せだな♡

つきあたりを再び坂道。

ほお!お醤油屋さん?!

ヤマ二醤油さん。

戦争を乗り越えてきた創業100年を越える老舗だった。

インターホン押して、醤油を変えるのは勇気がいるから、ぽん酢しょうゆを譲っていただく。

そろそろ終点だ・・・

お!吾妻神社様♡

吾妻神社前バス停から、大磯駅経由のバスに乗るつもりであった。えーと磯は・・・とスマホで調べようともたもたしていたら、バスが止まった。バス停なんだから当り前だが。とお!!!大磯駅というアナウンスが聞こえるじゃあないの!運転手さんが待っててくれる!もう!乗っちゃおう!吾妻神社様は他の目的あるから再訪すればいい。飛び乗る。
そう。その先のかながわの古道50選・東海道の大磯松並木付近。
ヘタれおばさんは、かな中の鉄の馬車でスタート付近の白岩大門バス停まで行っちまおうという算段なのね。更にその先の井上蒲鉾店さんのさつまあげの売れ行きも気になるし・・・


付記。
梅沢の立場。
梅沢は宿場ではなかったが、間の宿として酒匂川が川留めになった時などに大名が泊まる御小休本陣和田家があり、茶屋の数も多かった。茶屋では、この浜でとれたアンコウを名物として客に供した。
立場の東に18番目の一里塚があった。
梅沢から押切坂を下り押切川(中村川)を渡ると押切(小田原市羽根尾)で、ここから小田原藩領に入る。
押切から中井・井ノ口へと羽根尾通り大山道が分かれた。今は、かな中バスが比奈窪へむかう。
大磯宿から小田原宿までは、いくら江戸の健脚な旅人たちでもいささか遠かったようだ。
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