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今日のころころこころ

2021・2・26 三渓園の松風閣跡展望台から眺める根岸の工業地帯

国の名勝・三渓園。
かつては三渓園南門付近まで海だった。

今は埋立てられて、面影を残すのは崖だけで、目の前は湾岸線と根岸の工業地帯。

三渓園には、大正5年にタゴールが二か月滞在したという松風閣があった。
松風閣は、原善三郎が明治20頃に建てた別荘。伊藤博文が名付けたという。
関東大震災で倒壊し、今は展望台が建てられている。
展望台へ。
松風閣跡。




展望台。
目の前にコンビナート。

真下に梅が咲く。





フレアスタックが揺れる。

かいもん丸とあかつき丸だ。



海の天気も気まぐれだ。
豊かな漁場から経済を担う工業地帯へ。
それがどうのではなく、時代の流れ。そうしてこれはこれで安定した風景。
ただ、想定外のことばかり起きる事態になると、なんか揺らいでくる。
全ての過去を捨ててはいけないものなんだなぁと、わけのわからぬことを思う。

コメント一覧

kinntilyann
あほうどりさま
こんばんはでございます(^^)/
ワイルドなお坊ちゃんだったのですね(^^)v
長ずればアーバンなちょいワルにいちゃん(^^)v
奇珍さんありますよ!
ただ、どうしてもトンネルの向こうというかこっちというかで食事しますので、寄ったことはありませんのです。
ごめんなさい!
でも明日は予定がないので、奇珍経由市電保存館もいいかな(^^)v
ほんとに寒くなってきました。
暖かくしておやすみなさいなのです(^^)/
あほうどり
こんばんは。またまた思い出のある本牧地区です。コンビナート爆発に備えて幅員の広い道路は私が16歳でとれる軽免許を取得しボロ車で全速で突っ走ったり夜通し遊んでいました。
本牧のゴールデンカップやエリアX近くのコンビナートが見える坂道にドルフィンなんてカフェがありましたが・・・
麦田トンネル先の中華屋さん奇珍なんかも今もあるのでしょうか。
 kinntilyannさまもコロナにお気を付けてお出掛けくださいませ。
※追伸~私はカワイイ坊ちゃんではなく兄弟からガロンと呼ばれていました。横浜西口の相鉄ビルや高島屋しかない頃に10円玉を握り締めてランニングシャツ1枚でビーサン履いて遊んでいたような汚い子でした。
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