京急浦賀駅前。
約120年もの間ここにはドックがあった。
ということは、今生きてる人全員にとっての浦賀前の景色は、この景色ということだ。
開国の日本は西洋に追い付くために驚異的な情熱をもって突き進んだ。
浦賀ドックは、外国から買い入れるばかりの船を自国で造船すべく、明治29年に当時の農商務大臣・榎本武揚などの提唱により陸軍と民間から用地を取得することから始まった。
明治30年に資本金百万円で浦賀船渠株式会社が発足し、ドイツ人技師ボーケルムを雇い入れてドックを建設した。ボーケルムの月給は150円だったという。
このドックから沿岸警備用砲艦ロンブロン号が進水したのは明治35年。
浦賀船渠株式会社から浦賀重工業株式会社。浦賀重工業株式会社から住友重機械工業株式会社追浜造船所浦賀工場となり、2013年に閉鎖された。
今年度中に解体される。
街の中に残る古い建物も残りわずか。
このレンガの向こうには、明治32年に建設された日本初のレンガ造りのドックがある。
幸いなことにレンガドックは残る。
ここから船造りに携わった様々な人々の思いをのせて様々な船が千隻以上進水していった。
三菱重工の香焼も売却されるようだ。
時代は流れる。景色も変わる。
閉鎖された浦賀ドックのレンガドックをみながら、これが解体されたらもったいないな。みなとみらいのドックヤードガーデンみたいに活用できないものかな。と思っていた。
レンガドックはどう活用されるのかわからないけど、跡地は駅前のまとまった土地だからきっと高層の複合施設ができるんだろうな。
いつの間にか浦賀の渡しへの遊歩道が完成していた。
もう新しい一歩を踏み出してる。