金沢区の横浜市認定歴史的建造物。
長浜ホール・横浜検疫所長浜借置場旧細菌検査室&旧事務棟をたずね、シーサイドライン幸浦駅。
シーサイドライン金沢八景駅へとむかう。
到着。いつみても平潟湾は端整。
歩道橋をまっすぐに行けば京急金沢八景駅。駅前は再開発の真っ最中。
京急金沢八景駅のプラットホームに立ったことがある人ならたぶん100%見たことがある茅葺きの家。ホームの真ん前にある。
旧円通寺客殿(旧木村家住宅主屋)。
所在地・金沢区瀬戸20-3
構造規模・木造平屋建、寄棟造、茅葺き、桁行5.5間、梁間5.5間、妻側に2.5間×2.0間式台付
建築年代・江戸時代後期
設計施工・不詳
近づくのは初めてだ。
京急の下をくぐる。
アートなトンネル。
くぐれば、目の前。
たまたま中から出てこられたご婦人が愛想よくどーぞどーぞ!
とおっしゃる!◎◎!
実は、この横浜市認定歴史的建造物の○○家住宅△△とかいうのは大半が非公開。これは詳細な住所の記載が無いことでもわかる。旧円通寺客殿(旧木村家住宅主屋)は公開だが、それでも個人宅には変わりなく、私にしては珍しく声を出せないままポカンとしているうちにご婦人は外出されてしまった。
しまった!
おや?陶芸???
後で知ったが、ここは備前焼の陶芸家・故木村隆男氏の悠心窯であった!
旧円通寺客殿。
お庭は素晴らしい古木がたくさん。
それにしても・・・
そもそもこの円通寺ってなに???
せっかくお話うかがえるチャンスだったのに自ら逃してしまったから帰宅後に調べてみた。
1600年に徳川家康公が鎌倉から朝比奈峠を越えて金沢から江戸に入ったおりに、円通寺に立ち寄り境内山頂より眺めた金沢の絶景にいたく魅せられて、その後も通る機会があれば必ず立ち寄ったそうな。二代将軍・秀忠公はそこまでお気に召したならとその山の上に八景を眺められる御殿を建てようとしたが、家康公逝去。代官に命じて1658年~61年にかけて御殿の代わりに社殿を建て東照大権現を祀ったという。資料によってはそこで東照宮の別当寺として円通寺が創建されたとあるが、それは、たぶん違う。
円通寺は、天台宗浅草東光院の末寺・日輪山円通寺だったようだ。
東光院とは、江戸時代の江戸における天台宗の有力寺院で、太田道灌が江戸の鬼門を守るために建立したともいわれている。
1600年に天下人として江戸に入ったは事実だろうけど、1590年に秀吉から江戸に移封されたのだから何度も駿府から往復しているはずだ。かといって、まさか私じゃあるまいしあそこの山のお寺からの眺めが良さそうだから寄ってみよう!などとはあろうはずも無く、たぶん、円通寺はコースだったのだろう。江戸時代の歴史に疎い私にはその意味はわからないが・・・もしかしたら、金沢の地の経済的あるは政治的なにやらと関係があったのやもしれぬ・・・
時代はくだり、1868年の神仏分離により、円通寺最後の住職・木村芳臣が還俗して、円通寺は木村家住宅となったようだ。
そして、これから市によって整備されていくようだ。
なるほどねぇ・・・