どっから観ていいのわからない。
「谺の原ッぱ」・岡崎乾二郎(日本)・港南区民文化センター屋上。
たぶんあそこからなら(?_?)で、京急百貨店の屋上に向かう。
エレベーターのドアが開けば、屋上!
原っぱである・・・
そういえば、原っぱってなんだろう?
所有者はいるけど何れなんかになるんだろけどとりあえず空いている空間、とでもいうのかな?
そういう意味では我が家の周囲も原っぱだらけであったなぁ。。バブル弾けてからいきなし色々と建ち始めて、今は空き地は無い。息子は、原っぱだらけで俺達の子供の頃はラッキーだったという。
百貨店の屋上といえば、小さな遊園地があったのはいつの頃までだったんだろう?この屋上も遊園地だったんだろうか?大人になってみれば、あれらの遊園地の採算が取れていたとは思えないし集客に著しく貢献していたとも思えない。百貨店の社会貢献の一環だったのだろうか?
不思議だな・・・この駅周辺ではここが最後の原っぱになるんかな。。
この屋上には下もあるようだが、その日は閉鎖されていた。隙間から覗く。
音楽ホールの音に共鳴して波打つ空飛ぶ絨毯とその影というコンセプト。絨毯はパイプのうねりで、影は人工土。人工土には風で運ばれてきた雑草の種が芽吹くという想定だったようだが・・・
けど、なにか天変地異とかが起きて誰からも忘れ去られて、もしかしたらシードバンクにならないとも限らない・・・
「JIZO 001」・小沢剛(日本)・中央棟2階エントランス。
ゆめおおおかビルにはたくさんのエントランスがあるが、JIZOさんがいるのは、連絡通路のところ。
アバンギャルドだったのだろうけど、今は辻のじぞさまという方がぴったりくる。
もし毎日ここを通るのであれば、きっと私は毎日JIZOさんに話しかけてるにちがいない。
ゆめおおおかアートプロジェクトは、素晴らしかったな。
今は、アートですら手のひらの端末の中にある。
けど、その端末はひらかれているようで閉じている。
例えば、同じテーブルに座る3人がそれぞれのスマホで同時に同じブログを見たとする。見ているブログは同じでも表示されてる広告は違う。旅行好きのAさんの画面にはツアー、最近孫が生まれたばかりのBさんの画面にはベビー服、ママチャリが壊れて新しいのを探してるCさんの画面には自転車、といった具合である。しかも皆自分と同じ広告が皆に表示されてると思っている。
自動的に自分に合わせてくれるようになっていくのだから、そこは居心地の良い空間である。
が、同時に井戸の中にいるということすら自覚できないほどに閉じ込められていることにも気がつかない。
もしかしたら、各々の感情なんか無視するように存在する野外彫刻というアートは、今の方が意外に必要なのかもしれないなぁ・・・