私も長野の国宝が見たい!と母。
とにもかくにも暑いから真っ昼間の農作業は無理だし、青木村の大法寺三重塔へ。


道の駅あおきでお蕎麦を食べて満足な母と思ったら、このあいだ国宝に指定されたばかりの松本市の旧開智学校校舎にも行ってみたいという。
カーナビで調べたらそんなに遠くはなさそうだったから道の駅あおきからスタート。
すれ違い困難な山道をくねくねと(^^;
旧開智学校校舎の駐車場到着。

旧司祭館。明治22年。

ん!と思っていたら母がさっさと旧開智学校校舎へ行ってしまって追いかける。



江戸時代の松本藩校崇教館は明治5年に筑摩県学(廃藩置県で松本藩は筑摩県の一部となった)となり明治5年の学制発布により明治6年に開智学校となった。

カオスなまでの擬洋風建築。
これは、開校当初の校舎は廃仏毀釈で廃寺となった松本藩主戸田家菩提寺全久院の建物を利用したところから始まる。
この建物は明治9年に完成。
設計施工は松本の棟梁・立石清重。
東京・横浜へ西洋建築見学に行って調達できる資材を考えて独自に工夫したという。






この校舎は昭和38年まで使用されていたけど、国指定重要文化財に指定されたことをきっかけに女鳥羽川ほとりから原位置に移築・復元された。









資材は全久院と全久院の隣の浄林寺の部材が使われているという。




この校舎の建築費用の7割は地元からの寄付だったという。
ートコロジマンでハござらぬが建築の出来ハタダイマ日本第一等の小学校と申しても新聞屋のホメスギでは決してござりますまいー
母は机の蓋を開けたり閉めたりして大喜びだったのでした。
