頭の片隅にあればたいていはどこかで引っかかってくるものなのだけど、いつまでも謎な建築家・川崎鉄三。
県庁の屋上から港を眺める。
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大さん橋へと向かう道沿いには、外国航路華やかなりし頃の名残のビルが建ち並ぶ。
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かつては連続していたけど隣のビルが取り壊されてポツンとたたずむ昭和ビル(旧カスタムブロッカービル)。
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所在地:中区海岸通1-1
構造:RC造3階
設計:川崎鉄三
施工:戸田組
竣工:1931年(昭和6年)
現在も現役の複合ビル。
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大さん橋へと向かう道沿いに並ぶエキスプレスビル。
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この1930年(昭和5年)のビルも設計は川崎鉄三。施工は三木組。
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このビルも現役。
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ところが、この川崎鉄三という建築家は生年月日ですら不明なのだ。
死亡も推定で1932年(昭和7年)。
1912年(明治45年)東京高等学校建築科(現東京工業大学)卒業は確定しているようだ。
ならば逆算すればとも思うけど建築史の先生方が調べても生年月日不明ということは、きっと今のようにストレートなら18才で大学に入学するというシステムではなかったのかもしれない。
関東大震災復興期の1925年(大正14年)に忽然と横浜に本町工務所という設計事務所を開き、7棟設計して忽然とこの世から消えた。
私の祖父母は明治生まれだった。無名の庶民であったけど生年月日ははきっりとしている。
戸籍もきちんと整備されていた昔だけどそんなに遠くも無い時代。
とても不思議なのだ。。。
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