かつて、日本郵船歴史博物館が入る横浜郵船ビルの裏手には日本郵船の倉庫を利用した横浜市の文化芸術の拠点のひとつBankART Studio NYKがあった。
当然のことながらヨコハマトリエンナーレの会場のひとつでもあった。
けど、ヨコハマトリエンナーレ2017の開催後に日本郵船から横浜市へ契約の継続はしないとの通知がありクローズ。
そのヨコハマトリエンナーレ2017の展示の片隅で関川航平は黙々と制作を続けていた。
粘土をこねては壁に物語を重ねていく。
あれから3年。
BankART Studio NYKのあった倉庫は駐車場となった。
それはそれとして、2017年、いや2020年の元日くらいまでは想像すらできなかった未曾有の疫病に世界中が襲われている2020年。
なんかこれ?と違和感を感じたのは1月25日。春節の中華街。
日本は志村けん氏が亡くなったことから一気に恐怖に陥った。
どれが正解でどれが嘘かなんてわからない。ただただ手探りでいつ終わるともしれない戦いが続く。
疫病下での生活につながる業界は大きな利益を上げてるけど、それ以外は床板一枚剥がせば奈落状態。
意外で驚いたのはテレビ関係だったかな。コンテンツの枯渇なんてことが起きるものだったんだ。娯楽の頂点に立つテレビ関係まで苦境となると文化芸術方面はもはや・・・
ヨコハマトリエンナーレ2020をめぐりながら、ふと、関川航平氏はどうしてるのだろう?と思った。
スマホで検索してみた。
「デート」。
新作をWebで公開するという選択をしたようだ。
しばらくは会えそうにないので、デートの仕方を考えています。
4月13日からそれは始まる。
5月1日。
6月1日。
7月1日。
8月1日を読んだ。
私も銀杏を見た。
今日も書いている。
でも有料ではないし何か関連商品を売ろうというでもない。関川航平氏の収入にはならない。彼は今どうやって生きているんだろ?
でもこの拘束で梗塞な疫病下でのリアルな手触りは心に響く。
ヒマワリはゴッホのヒマワリを選んだ。