東京に残る高低几号標。
下谷の三島神社さまへ。
東京メトロ日比谷線入谷駅を降りててきとーに路地を行けば、お風呂屋さんがあったりなんかして楽しい(^^)/
三島神社さまは、蒙古軍が博多に再度来襲した弘安の役で勇名をはせた鎌倉幕府御家人・河野通有の発願により河野家の氏神・三島大明神を上野の河野館に勧請したのちに下谷のこの場所に創建されたのが始まりという。
色々とにぎやかなのだ。
雷井戸には雷さまが閉じ込められたという。もう二度と落ちないから出してくれと懇願して出してもらったから、この地は落雷の心配はないそうな。
狛犬氏はちゃんと阿吽になっている!
阿は獅子。
吽は狛犬。角がある。
高低几号標は北側の門。
なんというのだろう?門の下の石に刻まれていた。
この状態で高低几号標としての役割ができたかどうかわからない。
明治政府がこの高低几号標を使って測量して地図を作った後に、関東大震災と第二次世界大戦があった。
もしかしたら、どこかのタイミングで倒れて、捨てるわけにもいかず物資も不足していただろうから、こういう活用方法になったのやもしれぬ。
対応してくださった若くて元気の良い巫女さまが、おばあちゃんが昔はこの門の前は一面に畑だったと言ってました!と教えてくださったm(_ _)m
まずは地図をみてみようかな。
国会図書館でコピーしてと、と、ああ・・・
居眠りしていて飛び起きてコピーした地図10枚カレンダー状に巻いて輪ゴムでとめたの電車の網棚に忘れた・・・
すぐに見つかるだろうと思っていたのになぜだか出てこない。
明日の探索でも見つからなければまたコピーにいくしかないなぁ。。