




ランドマークタワーを背景にした総帆展帆の帆船日本丸は壮観。
なれど帆船日本丸はただ今20年ぶりの改修中。
すなわちいつもは満水の国指定重要文化財・旧横浜船渠第1号ドックはドライドックになっている。


安政5年(1858年)に日米修好通商条約に基づき開港した横浜港であるが、船舶の係留・修繕・建造等近代的な湾岸設備は何一つ備わってはいなかった。
東波止場・西波止場・フランス波止場が造られたが、沖合に停泊する船から波止場まで艀を使って人や荷物を運搬していた。
明治29年(1896年)に汽船の買い出しと外航路開設のために外遊に出た浅野総一郎が横浜港に帰ってきた時に、沖合に停泊した大型船へわらわらと艀が集まってくるさまを同船していた外国人客からあれはなんだ?と質問されて冷や汗をかいたという。
浅野が目にした諸外国の港は、大型貨客船が港の岸壁に着岸し船まで鉄道が伸びていて荷物は船から直接貨車に積まれて運ばれていたのである。
様々な紆余曲折の末に横浜船渠会社が設立され、東京横浜財界悲願の東京湾内民間商船用修繕ドック・横浜船渠第2号ドックが完成したのは明治30年(1897年)。同年4月の開渠式には日本郵船・西京丸が入渠した。
続いて明治32年(1899年)に第1号ドックが完成。同年5月の開渠式には日本郵船・河内丸が入渠した。
その後、みなとみらい地区の開発のためにこれらは全て廃止され、第2号ドックはイベントスペース・ドックヤードガーデンとなり、第1号ドックは帆船日本丸が入渠してドックと帆船が保存されることになった。
当時のドックは地盤を掘削した空間に海水を入れて船舶を入渠させた後に排水し船舶の修繕等をしていた。



もう旅することのない帆船と数十年に一度しか乾かないドライドック。




でもここには先人の技術と情熱がある。
第2号ドックのような保存活用方法もいいけど、次の修繕もあって欲しいものだなぁと切に願うのです。

