『ザ・マスター』(2012年米) R15+
あまりの猛暑に、思考が停止。
読書も映画もボワーンと大雑把に受け止める日々。
感想、無い事もないんだども、
文章にする気力なし、まとめる能力なし。。。
あらかた暑さのせいにしつつ。
この映画がまた、消化すんのに時間かかること。
って私だけか?
大戦が終わり、水兵としての任務を終えたフレディ。
軍によるおざなりなフォローを受け、普通の生活に戻るが。
自分に対する不安と、世間に対する不満、未来に対する不信。
虚脱と不安定な精神ゆえに、感情をコントロールできない。
落ちぶれ、逃れた先が…
たまたま新興宗教団体が借りていたクルーズ船だった──
精神を向上させる為、根拠のない試練を課される。
要するに、追い詰めて何かを見出させようとする試み。
そんなもんに付き合ってられっか!と思うところ。
が、フレディは手ごたえを感じ言われるままに課題に取り組む。
まぁ、別にこういうセラピー的なこと自体が悪い訳じゃなく。
問題なのは、答えが教義の中からしか探せないこと。
そこ以外には、答えが無いと信じさせること。
この目的が、はなはだよろしくない。
試練をクリアするごとに、褒められりゃ、そりゃ嬉しいわな。
次のステージにいける、とか言われたら成長した気になるわな。
ってある意味、褒め育て?
まぁ、そうなんだけど。実際は育ってないのが問題。
狭~くイビツに固められてるという事実。
いや、ホント早めに気づいてくれや。
頼むーといったところ。
しか~し。
ホントにこんなんでええんか?踊らされてる気がする、と頭をかすめたとこで。
答えにたどり着けないの?次のステージ行けないの?
それは、あなたの努力が足りないからです。
あなたにやる気が無いからです。
な、何このスゴイ責められてる感!
おっと、これは自己嫌悪。
ここが分かれ目かいな?
マスターと教団にすがりついて、自分の思考を放棄するか。
こいつらかなりヤバイ、とトンズラするか。
(ちなみに、ここで体力と気力を無視して頑張っちゃうと、
ブラック企業の犠牲になります。え?違う話?)
で、この映画の悩みどころのひとつ。
マスターの家族。
まず、再婚した嫁の怖さ。
信念と野望、有り過ぎ。
前妻との間に出来た息子と娘。
教団を生活の糧として割り切った様子。
状況と立場を利用しつつ、親の顔色を伺い演じる日々。
うわ~、一緒に居たくねぇー。
な家族状態。
実際、フレディはマスターの妻が苦手だし。
ある意味、軽んじている感さえある。
娘に誘惑され、まんざらでもない。
息子の軽口にキレる。
…フレディとも一緒に居たくねぇ。
そう、これもこの映画の悩みどころ。
性的な妄想でいっぱい、突然、キレる。
違法な高濃度アルコール飲料をせっせと作る。
(というか、燃料だね、それ。)
このフレディの病みっぷり。
この映画で描かれる一番の悲劇は。
“何故、友情ではいけなかったのか?”
のひとことに尽きる気が。
マスターとフレディの間には、確かに絆が在る。
なのに、主従関係しか許されない事実。
マスターが聴衆を前に行う演説。
ん?これは完全に営業だろ。
好かれようとして媚びてんな。
傍に居る事で見えるアラに、
どうしても冷めていくフレディ。
割り切ってついて行くか、盲目的に従うか。
結局どちらも出来ないのは、
幸か不幸か?
含みのある脚本、異様な雰囲気をかもしだす演技。
声高に糾弾せず、登場人物を描く事で新興宗教の姿を写し取る。
どこまでも不気味な味わいの一本。
『ザ・マスター』(2012年米) R15+
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン、撮影:ミハイ・マライメア・Jr、音楽:ジョニー・グリーンウッド
出演:ホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、 ローラ・ダーン