やがて高速を何時間か走り続けると、車は夜明けの東海についた。海辺はとても静かだった。穏やかに打ち寄せる波の音だけが響いている。夜明けの冬の空は美しかった。海の上に濃紺、紺色、赤、オレンジのグラデーションが彩り、その上に明ゆく空が青色に染まり始めていた。遠くには早くも漁を始めた漁船の明かりが、まるで星のようにゆらゆらとまたたいている。チュンサンは車を波打ち際ぎりぎりに止めて、二人は車を降りた。
「初めての海だなぁ」
チュンサンが感慨深げにつぶやいた。
「一度も海に来たことがないの?」
「違うよ。君と来る初めての海だろ?」
「そうね。私たちの最初の海」ユジンはそのフレーズを気に入って、嬉しそうに微笑みながら、夜明けの海をじっと眺めていた。チュンサンはそんなユジンの横顔から目が離せなかった。さらさらと風になびく髪や、夜明けに輝く白い肌、きらきらと輝く瞳や長いまつげ、ふっくらとした赤い唇、、、すべて忘れたくないのに、この瞬間も少しずつ思い出になっていくのだ、、、チュンサンは心の中でつぶやいた。
『僕はここで彼女を手放さなければならない。これは彼女と来る最初で最後の海』
二人は朝焼けを心行くまで見た後、少しだけ車の中で眠りについた。二人が目を覚ますと、辺りは燦燦と光に照らされていて、浜辺にはたくさんのカモメが舞っていた。
ユジンは「行こう」というと、チュンサンの手を引っ張って、浜辺を走り出した。二人が手をつないで、思い切り浜辺を走り抜けると、二人に驚いて、たくさんのカモメが一斉に空に飛び立つ。ユジンはそれを面白がって、何度も何度も浜辺を走ろうとせがんだ。
そのあとは、波打ち際まで歩いて行って、靴が濡れるぎりぎりのことろで帰ってくるという遊びを繰り返した。しかし、結局ユジンの靴は波をかぶってしまい、慌ててチュンサンはユジンの手を引っ張った。二人はどんな時も手を放さずに、飽くことなく同じ遊びを繰り返した。
それから、お互いの靴を踏む遊びをしたり、チュンサンがユジンの肩を抱いて、日が高くなるまで浜辺を散歩した。二人とも思い切り笑って、うららかな冬の一日を楽しんだ。すると、チュンサンが「眠くなったな」と言い出し、コートが汚れるのも構わずに、波打ち際に敷いてから寝転がった。
それでも、膝を立てて足をぶつけあったり、チュンサンが足を組むとユジンも真似して足を組んでみたり、二人はずっとじゃれあっていた。幸せすぎてめまいがしそうだった。
「海の香りがする。空も青くて気持ちがいいね。」ユジンがまぶしそうに目を細めて言った。
「ほんとだね。」
ユジンはバシバシとチュンサンを叩いて言った。
「あれがなんだかわかる?」
空に飛行機雲が浮かんでいる。飛行機はすごい速さで去っていき、飛行機雲があっという間に線を描いた。
「何って飛行機雲だろ?そんなこと知ってるよ」
「ねぇ、飛行機を見るとどこか遠くに行きたくならない?うんと遠くに。」
チュンサンは無邪気な顔で自分をバシバシとたたいてくるユジンを、複雑な顔で見ていた。
するとそこに、1匹の子犬が入り込んできた。子犬はふさふさしてかわいらしくて、2人とも子供のように喜んで、かわるがわる子犬にキスをして大はしゃぎした。
しばらくすると、今度はまたユジンが新しい遊びを始めた。海辺に落ちているコインを何枚拾えるかというゲームだ。二人とも、夢中になってコインを集めた。特にユジンはいつまでたっても木の棒で砂をつついたりして戻ってこない。チュンサンはそんなユジンを愛おしそうにずっと眺めていた。やがてユジンは子供のような満面の笑みで走ってきた。
「きっと、夏の観光客の落とし物だろ」
「そっか。」
ユジンは沢山のコインを宝物のように両手で包み込みこむと、チュンサンの隣にちょこんと座った。すると、チュンサンがユジンの手を広げて、おどけた様子で一枚一枚コインを手に取って数え始めた。
「アイスが一個、アイスが2個だろ」
「ちょっと、やめてよ。返してよ。」
ユジンは唇をとがらせて慌ててチュンサンからコインを取り返した。しかし、チュンサンがこっそり1枚くすねようとしたので、手を無理やりこじ開けて取り返した。チュンサンはその様子を楽しそうに見ている。
「季節は冬なのに、コインだけは夏に取り残されたままだな。」
チュンサンはぽつりとつぶやいたが、ユジンは聞いていなくて、コインで何を買うか考えていた。
「ねぇ、これどうする?」
「そうだな。もっと拾って二人で船を買おう」
「船?」
「そう、船。そして、僕たちは海に航海に出る。そして一生戻ってこないんだ。」
チュンサンは半分本気の口調で腕組みをしていった。視線ははるか向こうの大海原を見つめている。しかし、ユジンの考えは違った。
「でもいつかは帰ってくるわ。だって、月日がたてば、船も古くなるし、船長だって年を取るでしょ。きっと疲れちゃうわ。だからいつかは帰りたくなる。」
「そうかな。」
「わたし、すごく遠いところには行きたくないな。家族や友達に会えなくなるのは寂しいでしょ。」
「そうだよね。みんなに会えなくなる。やっぱり大切な人たちを悲しませるのはやめよう。」
チュンサンは喉元まで「二人きりで誰も知らない外国逃げよう、そして結婚しよう」とでかかったけれど、穏やかに微笑むユジンの顔を見てあきらめた。今度は寂しそうに海を見つめるチュンサンを、ユジンが心配する番だった。今日のチュンサンはとても楽しそうなのに、とても悲しそうで寂しげでもあった。変なチュンサン、最近さっぱり何を考えてるかわからないわ、と思っていた。
二人は手をつなぎながら商店街に続く道を歩いた。ユジンの手の中ではチャラチャラとコインが音をたてている。ユジンは固くつながれた二人の手を振りほどいて「ちょっとだけ待っててね」とどこかに消えて行った。残されたチュンサンの顔からは、たちまち笑いが消えて、またうつろな表情に戻ってしまった。